「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

 第二章 「He is Not Hero」 その4


 そして、昼休み。
「あの、新井田さん。一緒にお昼どうかな?」
 一番後ろの席に戻った俺に、名も知らないクラスメイトが声をかけてきた。
 彼女はチラチラと貴人を伺いながら、俺の返事を待っている。
「お昼……」
 昼食を一緒に摂る相手というのは、十分に吟味せねばならない。
 何故なら昼食こそがクラス内のヒラエルキーを表す物であり、どのグループに属したかでこれからの学校生活がどうなるか決まってしまうからだ。女子ならなおさら顕著である。
 ここで失敗し便所飯道などに落ちようものなら、まず這い上がっては来られない。
 そしてそれとは別に、俺にはもう一つ、致命的な問題が持ち上がっていた。
「お昼、ねぇ……」
 俺は、この重大儀式をすっかり忘れていた。現役高校生の頃の思い出が著しく封印……もとい破損しているので仕方がないことかもしれないが。
 あいつ、せめて金ぐらいは入れてないのか?
 鞄を用意した宇宙人に一縷の望みをかけ、俺は彼女に笑顔を向けつつその中を全力でまさぐる。
 すると、書類以外で手に引っ掛かるものがあった。
 やった! 意気揚々と掴みあげるとそれは……。
「お、お昼それだけなの?」
 チューブゼリーだった。
「あ、あは、うふふ、忘れてきちゃって、慌ててコンビニで買ったの」
「あ、そうなんだ。結構ドジっ娘さんなのかな」
「えへへーそ、そうかもー」
 誰かこの会話を止めてくれ。もしくは俺を殺してくれ。
 あ、コラ貴人。露骨に顔を引きつらせんな。
「じゃぁ私達のお弁当分けてあげるよ! ……どうかな?」
 どうと言われても、俺はここでちょうど腹の虫を鳴かせる様なベタな事をする人間ではない。
 というか鳴りそうになって全力で抑え込んだ。
 しかしまぁ、彼女の誘いに乗るのも悪くないだろう。
 俺の仕事はあくまでも貴人とゲヘナの縁結びだ。クラスでの立ち位置や他の人間との調和なんてあまり気にすることじゃない。
 しかしこのクラスにおける貴人の扱いというのはどうにも不可解だ。
 外部から探ってみるのも良いはずである。
 ……鞄から同じくチューブゼリーを取り出した両名から、一刻も早く離れたいとかいう理由は置いといて。
「えぇ、悪いよぉ。でも、それならお邪魔しちゃっかな」
「良かった! それじゃ行こう!」
 しなを作りつつ返事をすると、彼女が貴人をチラリと見てから背を向ける。
 苦い顔で俺を見る貴人に舌を出してから、俺もそれに続いた。
「勧誘成功〜! 美冬ちゃん連れて来たよ!」
 教室の前列入口側に集まっていたのは三人の女生徒だった。つまり俺を連れてきた少女を入れて四人。俺も混ざって五人グループとなる訳だ。
「わぁやったぁ。よろしくね美冬ちゃん」
「あはは、よろしくぅ」
 心の中に何とか女子高生を一人住ませようとしながら、自らの選択を少し後悔する俺。
 こんな状況、現役高校生の頃ですらなった事がない。
 あまりぶりっ子になり過ぎても浮くかしらんなどと考え、いっぱいいっぱいになりながら、彼女らと挨拶をかわす。
 高校時代もここまで使わなかったであろうというほどに脳をフル稼働させ、何とか顔と名前を一致させた所で、唐揚げをくれた眼鏡の女子、大野が多少声を潜めて俺に尋ねた。
「ところで、新井田さんって響野君の事どう思った?」
「あいつの事?」
「あいつって言った今?」
「え、おほほ、あの人の事ね」
 一日……いや、一昨日の夜に拉致されたのだから二日ぶりのまともな食糧につい口が緩んだ俺の失言に、嫌いな金ぴらごぼうを分けてくれた桂が鋭く突っ込む。
 それを受けて、生姜焼きをくれた野中と俺をグループに引き入れて餃子をくれた時坂がヒソヒソと囁き合った。
 やっべ、変な所で失点したおかげで適当な事を言える雰囲気じゃなくなったぞ。
 あいつについての印象……ね。
「優しい…人…だとは思う。ただ優し過ぎてちょっと怖い」
 ここで取り繕ってもすぐにボロが出るだろう。それにこちらからある程度突っ込んでいかないと相手からも有益な情報は得られないだろうと判断し、俺はある程度正直な感想を彼女たちに話した。
 響野貴人は確かに気配りができ、横柄な態度で接しても激せず柔らかく返す。
 ジェントルというには頼りないが、良い奴って事に間違いはないだろう。
 ただ、それを全方位に向けすぎていて、せっかくの優しさに主体性の無さや不信感を感じさせてしまう。
 穿った見方をすると、見返りもないのにあそこまでされると不気味だ。
「あぁ、やっぱりそう思うよね」
「まぁ響野君は誰にでもそうだから大丈夫よ」
「そこが逆に引いちゃうんじゃないかな?」
 俺の感想は、意外にも女子高生達の賛同を得た。
 響野貴人の優しさは、やはり全面的に支持されるものではないらしい。
「えーと、皆さんって貴人……響野貴人君の事嫌いなの?」
 俺は思い切って、単刀直入に尋ねてみた。本来はいくらか年かさとは言え、初めてのガールズトークで腹の探り合いができるほどの人生経験を俺は持ち合わせていない。
「いや、アタシはそこまでじゃないかな?」
「私も。そういう人だって分かってればね」
「隣のクラスの斉藤は凄く嫌ってるけど。女の敵だーって」
「あ、あれは斉藤さんが悪いんだよ。貴人君が委員会の仕事手伝ったからって一人で舞い上がっちゃって、それで他の子の仕事を手伝ってるのを見て勝手に嫉妬してるんだもん」
 これまた意外な回答が返ってくる。あいつが八方美人過ぎてクラスの女子たちからハブられてるなんてシナリオを想定していたのだが、そういう事ではないらしい。
 って、ちょっと待てよ。
「今なんか妙に熱の入った弁護が入った気がするんだけれど」
 最後の奴――名前は忘れた女のセリフが妙に引っかかった。今のはなんというか、あからさまに……。
「そ、そんな事ないよ」
 時坂は手を振って否定するが、その頬は見て分かるほどに熱を持っている。
「気づいちゃった?」
「お気づきになられました?」
 そんな彼女の頬を、大野と桂がうりうりとつつく。
「マジか」
「マジなのよ」
 俺が呆然として思わず素で呟くと、野中がそれを受け深刻な顔で頷いた。
 あの三人以外にも貴人に惚れている女がいるとは聞いていたが、実際目にすると天然記念物並み希少種に見える。
「え、どこが?」
 改めて彼女を見ると、派手さは無いが普通に可愛い女の子に見える。
 あんなのに引っ掛からなくても良さそうなものだが。
「えーと、優しいところ、とか」
「一点突破過ぎるだろ」
「わ、分かってはいるんだよ? 貴人君は私だけに優しい訳じゃないっていうのは。でも毎日毎日ああやって笑顔を向けられるとつい……」
「この子将来絶対に詐欺に遭うと思うんだけど」
「私達も思ってる」
 自分で分かってると言う奴は大抵分かっていない。語りながらいつの間にかすっかりふにゃふにゃになっている時坂を見ながら、俺は他のメンバーと相談した。
「でも、こういう子も多いみたいなのよ。分かってるけどハマっちゃうみたいな」
「顔は良いからね響野君」
「……性質の悪いホストみたいだな」
 実際、ナンパとは千人に声をかけて一人を引っかける行為らしい。
 あいつが日常的に色んな奴の世話を焼いているのなら、それに引っ掛かる奴も何人か出てくるだろう。
「まぁそんな事があるから、なるべく彼には近寄らないがクラスの不文律になってるって訳」
「男子も?」
「結構いるんだよ? 男子でも道を誤っちゃった人」
 野中がそう答えると、女子達は何が嬉しいのかキャーキャーと盛り上がった。
 いやいや、女子の幻想をぶち壊すようでアレだが男はそんな簡単に同性愛に走ったりしない……はずだ。あいつに男子の友達がいない様子なのはきっと……。
「まぁ、引っ掛かっちゃった――」
「引っ掛かってないもん!」
「好きになっちゃったのはしょうがないから、私らもそれなりにサポートしてこうって話になってさ」
「面白半分でねー」
 時坂に訂正された桂がそう言い直すと、野中が楽しそうに付け加える。
 しかしまぁ動機はどうあれ付き合いの良い奴らだ。
「だから良かったら、美冬ちゃんも手伝ってくれないかな?」
 俺を誘ったのはそういう理由か。後は牽制の意味もあったのかもしれない。
 意外と腹黒い根回しだが、ほほえましい範疇である。
 しかし、俺は彼女達の提案を受ける事は出来ない。
 既に仕事で別の少女をサポートする事になっているからだ。
 久々に普通の人間と話せて楽しかったし、普通ならこの少女の恋も応援してやりたい。面白半分で。
 しかしそういう訳にはいかないのだ。どう断ろうかなんて俺が思案していると――。
「新井田美冬―――――――!!」
 廊下から教室内へ、巨大な咆哮が炸裂した。
「な、何?」
「あ、親衛隊の人だ」
 現れたのは、昨日俺に蹴りをかましたポニーテールの少女だった。
 そいつが紹介した覚えのない俺の源氏名を叫んだと気付いたのは、奴がずんずんとこちらに近づいてきてからだ。
「あ、あら、何の用でしょうウフフ。私あなたの事なんて全然存じ上げてないんですけど」
「カマトトぶってんじゃないわよこの無駄乳!」
 取り繕って別人のフリをしようとするが見事に一蹴される。
 それどころかこの女またしても俺の胸に手を伸ばしてくるので俺は急いで両手でそれをガードした。
「っぶね! また乳触ろうとしたなこの無い物ねだり!」
 それから立ち上がって抗議。
 くそ、昨日ので弱点がバレたのか僻みかしらんがここばっか狙ってきやがって。
「な、無い訳ないでしょ! その、ちょっとぐらいあるわよ!」
 すると奴は顔を真っ赤にし、あまり言い返せてない感じで言い返した。
 ていうか両手で乳が山盛りのジェスチャーするのやめろ。自分の貧相さを完全にアピールしてるじゃねぇか。
「タカちゃんのクラスにおっぱいな転校生が来たって聞いてまさかと思ったけど、やっぱり貴方だったのね」
「乳が俺のアイデンティティみたいな言い方すんな!」
 更にはその後ろから黒髪の少女、そして金髪ツインテールまでが教室に入ってきた。
「新井田……美冬……なのだ」
「な、なんだよおどろおどろしい」
 金髪はゆらりゆらりと一歩ずつ俺に近づいてくる。
 タッパもあるので相当怖い。俺なんか悪い事したか?
 シュッ。
 そちらに気を取られていると、ポニーがまたしても俺の乳を狙ってくる。
 それを避けて先程まで会話していた四人組を見る。
 ――と、うわぁ、完全に引いてる。
 明らかにこいつらの同類だと再認識されてる。
 違うんだ、俺は別にこいつらみたいな貴人狂いじゃ……。
 とりあえず彼女らに弁解しようとした俺より先に、ポニテが口を開く。
「っていうかアンタ! タカくんと同棲ってどういう事よ!?」
 あ、終わった。
 もうあのコミュミティには戻れない。だって時坂は泣きそうな顔してるし、他の三人は白けた顔してるし。
「えーと、それには事情があってだな。ていうか誰に聞いた」
「あのメイドよ!」
 メイド? あぁカノヌね。大雑把に分類すればアレもメイドか……って。
「何してくれてんだあの腐れ女!?」
 縁結びなんて口実で、本当は俺を困らせたいだけじゃないのか!?
 くそ、あの女帰ったらきっちり問い詰めてやる。
「どういう事情だか説明してもらおうじゃないの! 来なさい」
 しかし先に問いつめられるのは俺のようだ。
 言って、ポニテが俺の腕を取る。
「説明、してもらうなのだ」
 なにくそと抵抗しようとすると、さらにもう片方を金髪がホールドした。
「私もいろいろ聞きたいなぁ」
 更には止めとばかりに、黒髪がやおら俺の太ももに手を入れると自らの両脇に抱え込んだ。
「ちょ、中身見えんだろバカ! 開いたり閉じたりすんな! ていうか太ももも敏感だからやめ……」
 完全に自由を封じられた状態のまま、俺は貴人のいる教室の隅へと運ばれていく。
 一緒に昼食を摂っていた四人が、色んな意味で遠くなっていく。
 思い起こせば彼女たちは、俺が女になってから――いや、十年以上ぶりに楽しく話した女子だったかもしれない。
 そして俺には分かった。響野貴人が避けられている理由……その一旦は間違いなくこいつらが担っている。

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