「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」
第二章 「He is Not Hero」 その3
「新井田美冬ですー。よろしくお願いしまーす」
女声を更に裏返した非常にアレな声が、教室内に響いた。
そうだ、元々声は喉仏を無くした女声になっているのだから、今更作る必要はなかったのだ。
必死で作った笑顔を引きつらせながら、俺は教団の上で後悔していた。
目の前の若さ溢れすぎて若干腐らせているような学生達が、テンションの低い拍手を返す。
そしてその後列の窓際には、ピンク頭の美少女と頼りなさげな少年が並んで座っていた。
やはり同じクラスか。まぁあのカノヌが入学……書類上は多分転入だろうが、させたんだから当たり前といえば当たり前だ。
ゲヘナの方はいつも通りの無表情。貴人は他の学生より大きく目を見開いている。
ところで彼ら貴人とゲヘナの席だが、奇妙な点がある。
「えーと、空いてる席だがー……」
初老の教師が、キョロキョロと教室内を見回す。
そんな事をしなくてもあるだろう。
「先生、あの後ろの席は……」
俺が進言すると、教師はえっ? と目を見開く。
なんかまずいの? と思って生徒達の顔を見ると一斉にそむける。
面白いなお前ら。まぁ、おいといて。
そうなのだ。この教室は貴人とゲヘナの後ろの席が空いている。のみならず、前の席まで二人分空いている。
ゲヘナが苛められているのかとも考えたが、列が違うとはいえ彼女の横には人が座っている。
どうやら避けられているのは……貴人の方だ。
「問題無いようでしたら、私あそこに座りますわね」
現代のいじめはかくもあからさまな物なのか。腹が立って俺は教師にそう宣言すると、返事も聞かず一番後ろの席に向かった。
なんだかキャラ付けをまた間違えた気もするが構うものか。
まったく、話によるとアイツはモテるらしいのに、なんだってあんな目に遭っているのか。
モテるからか?
「彼女、響野君の後ろだって」
「まぁ可哀想……」
「転校生、結構好みだったのになぁ」
なんだか、歩いて行く内に周囲のひそひそ声が聞こえてくる。
……あれ、なんかこの予想も違っている気がしてきたぞ?
ともあれ俺は一番後ろ、窓際の席になるべく上品に腰を下ろした。
スカートを上手く尻の下に敷けず、一度座り直す羽目にはなったが。
もも裏と椅子が触れ合う感触に俺がおののいていると、貴人がさっそく振り返って俺に話しかけてきた。
「その、いつもの口調の方が可愛いと思うよ?」
「ナチュラルに口説いてくんのやめろ。俺はお前みたいにハブられたくないんだよ」
「あはは……」
俺の指摘を、貴人は笑ってごまかした。やはりこれについても自覚はあるようだ。
一人称が俺という女もいなくはないが、転校生がそれをやるには悪目立ちしすぎる。
ただでさえ乳が無駄に大きいせいで目立つのに……。
自己紹介した時に思ったが、一対集団だとバレてないと思って露骨に乳ばっか見やがる奴がいる。
昔同僚が似たような事を言っていた時は自意識過剰だと鼻で笑っていたのだが、世の中には本当に乳にしか興味がないカノヌとは別の宇宙人が紛れ込んでいるのだ。
「ところで教科書はあるの?」
「あぁ? 持ってないな」
教師がホームルームを続ける中、貴人が更に話しかけてきた。
そういえば、カノヌはそんな物用意していなかった。忘れたのか。それとも任務に必要ないからケチったのかは分からないが。
「良かったら、僕のを使う?」
「いや、今更なぁ」
今更高校生の授業を一緒に受けるというのもバカバカしい。
社会人になってから何度か「もうちょっと勉強しておけば良かった」なんて思った事もあったが、実際にできるという段になるとやはりやる気など湧かないものだ。
大体俺はここに、このハブられ男と宇宙人の恋のサポートに来ている訳だし。
「今更って……」
「別に進級できないほど手遅れな頭してるって訳じゃないぞ」
貴人が失礼な事を考えているような表情をしたので、釘を刺しておく。
と、そこまで考えてふと思いついたことがあった。
「あぁ、やっぱり貸してくれ」
俺が貴人の教科書を借りれば、アイツはゲヘナの物を一緒に見るに違いない。
それで進展するのは小学生の恋ぐらいだろうが、まぁ第一作戦としてはちょうど良いだろう。
「うん、分かった!」
すると何が嬉しいのか、貴人は満面の笑顔で頷いて前に向き直る。
……昨日の裸を見て、俺に惚れたか?
いや、多分こいつは他の奴が相手でもこうなんだな。
これで勘違いさせて引っかける訳だ。
やがてホームルームが終わり、更に休み時間が過ぎた。
一時間目が始まろうというタイミングで、やおら貴人が立ち上がる。
「これ、教科書」
「あぁ、サンキュな」
「ううん、かまわないよ」
そう言って貴人は俺の机の上に教科書を置き、隣に座った。
アレ?
「えーと、現代社会はここからだね。み、美冬はこの辺りはやったかな?」
「そこでどもるな」
席を寄せた貴人が、教科書を開きながら俺に尋ねる。
アレ?
「現代社会の内堀先生は私語にはゆるいけど居眠りには厳しいから注意してね」
アレ?
そうして一時間目が終わった。
「ちょっと待て。なんでこうなる!?」
「え、何が?」
チャイムと共に立ち上がり叫ぶと、教師も含め周囲が何事かと俺を見た。
それに対しておほほと愛想笑いで誤魔化してから、俺は貴人を睨み直す。
「教科書だけ貸してくれりゃいいんだよ。本体は前の席に戻れ」
自分は教科書を独占して、貸した側には他の奴に見せてもらえとはよく考えると無茶苦茶だ。
しかしこちらにも事情があるのも察してほしい。
いや本当に察せられると困るのだが。
「そっか。分からない事があったら聞いてね」
すると貴人は傷ついたけどそれを隠す。しかし隠し切れない。みたいな寂しげな笑みを浮かべて、次の授業の教科書を置いてから自分の席へと戻っていた。
割と良心が痛むが、あれだってきっとあいつの戦略なんだ。騙されてはいけない。
……いやでもちょっと言い過ぎた感は無いだろうか。あいつがしてくれた事は親切には変わりない訳だし。
美冬さんも言っていた。どんな下心があろうと、自分に良くしてくれた人には礼を言いなさいと。
しかし、ううん……。
なんて煩悶している内に、二時間目が始まってしまった。
俺は仕方なく貴人に借りた教科書を適当に開いて授業に臨む。
ノートなんかももちろん持ってこなかったので、本当に聞いているだけだ。
「という訳でこの文はここを分解。そうしてみると意味が分かりやすくなってくる」
にしても退屈極まりない。
机の下で携帯を弄ってる奴もいるが、俺は学生時代どうやって乗り切っていたっけか。
『新井田って暗いよね』
そんなことを考えていると、ふと、誰かの声が頭の中で勝手に再生された。
どこで誰に言われたのかも覚えていないのに、そのイントネーションだけは脳内にはっきり残っている。
『お前の目はいつも人を馬鹿にしてる』
誰だっけ? なんてちらりと考えたら、回答の代わりにまた別のセリフが再生された。
これまたシチュエーションは思い出せない。
もうやめようと考えるのだが、一度開いた記憶の蓋は中々開かず、かと言って開き切りもせず俺を苦しめる。
「うぐぐぐ」
いっそのた打ち回りたい。そんな衝動を堪えながら、俺は授業が早く終わるよう祈った。
――チャイムが鳴ったのはもちろん五十分後だったが、俺には二倍以上の長さに感じられた。
「はぁぁぁ」
授業が終わり教師が教室から出ると、俺は長い息を吐きながら机に突っ伏した。
「あの、体調が悪いなら保健室に案内しようか?」
貴人は先程から俺の様子を気にしていたようだ。突っ伏した俺に優しい声をかけてくる。
「いんや、医者じゃ直せない病気だから気にするな」
一時間目は何ともなかったのにな。悔しいが、こいつのおかげで誤魔化せてたってことか。
かと言ってもう一度頼むのは男のプライドに関わる。体は女でも、だ。
そんな事を考えていると、ふと貴人の隣にいるゲヘナがこちらを振り向いた。
そのピンク頭を見つめるだけで五分ほどは潰せたので彼女には感謝していたが、それ以外は先程から一切接触がなかったゲヘナが急に口を開き、言った。
「ここに座って」
「ここ?」
彼女が示す「ここ」が分からないまま俺が席を立つと、ゲヘナもまた立ち上がり、自分の椅子を指差す。
「いや、だから俺は後ろでいいって」
俺に貴人の隣に座らせて、自分は後ろに行くって事か? それじゃ一時間目とほとんど一緒だろう。そう思い、俺が辞退すると。
「そうじゃない」
と首を横に振った彼女は、目で強烈に「座れ」と訴えてきた。
何だ、この迫力は。
よく見ると、彼女の目の色が違う。比喩ではない。深い藍色だった彼女の瞳が、まるでシャボン玉の表面のように虹色に揺らめいている。
やはりこの娘は宇宙人だ。しかし、その感想を表に出すのが悪い事のように感じ、俺は動揺を表に出さないようにしながら、結局は彼女に従い席を移動した。
「もうちょっと左に詰めて」
更にそう言われ、椅子から半分体をずらして座る。なんか、昨日の三人組がカノヌに落とされた時もこんなやり取りをしていたなと思い返し、遅まきながら冷や汗を流していると。
「うおっ」
ゲヘナが、椅子の半分空いたスペースにいきなり座った。
「ごめんなさい」
そして謝る。
しかし、俺はそれどころではない。何故なら突発的に起こった歴史的発見に心を奪われたせいである。
……皆知っているだろうか。スカートを履いた者同士が密着して座ると、太ももが触れ合うのだ。
いやいや俺にとって女子高生など範囲外も甚だしいのだが、それでも未知の衝撃に打ちのめされるのは避けられない。
「うん、それなら皆で一緒に見られるね」
「いや、おいちょっと」
隣に座る貴人の胸にツッコミを入れるが、奴は万事解決といった体でまるで聞いちゃいない。
「これ、次の教科書」
ゲヘナも構わず、俺に顔を寄せ教科書やら勉強道具を広げ始めた。
彼女の瞳の色は、元の藍色に戻っている。
多分、俺を心配してやってくれたんだよな。分かりづらいが根は優しい娘なんだ、きっと。
「あ、ありがとう……って、そんなくっつくな」
自分は太もももそれなりに敏感な事と、椅子をもう一個後ろから持ってくれば良かったという事に俺が気付いたのは、四時間目の終わりになってからだった。
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