「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

 第二章 「He is Not Hero」 その2


「何が慣れるだよ。すげぇ痛いじゃねぇか……」
 ヒリヒリとする胸の痛みを堪えながら、俺はカノヌに愚痴った。
 やっぱり痛い。どうしようもなく痛い。痛さ以外の感触は無い。
 じゃぁ昨日のアレは……ってやめようアレを思い出すのは。
 ぶんぶんと頭を振ると、ばっさばっさと髪の毛が顔にあたった。
 奴の方は相変わらずの無表情……だが少し満足げに見えるのは俺の気のせいだろうか。
「ていうかこの制服キツいぞ。サイズ間違ってんじゃねぇの?」
 ただ今俺は、どこの物ともしれない女学生の制服に着替え中である。
 紺ブレザーにチェックのスカート。これもカノヌに渡された物だが、シャツといいその上といい妙にパツパツだ。
「予定より胸を多めに盛り過ぎたかもしれません。形に中々納得がいかなかったもので」
「粘土か俺の乳は!」
「おかげで芸術的になったでしょう?」
「前衛芸術みたいにされなかった事は感謝する……」
 なんでこいつは乳にそんな拘りを持っているのだ。
 そういえば宇宙人レズ説は未だに否定できていなかったな……。
「胸の痛みが消えにくいのもそれが原因でしょう。しかしその後には驚くほどの快感が待っているはずです」
「いらねぇ」
 痛い方がまだマシだ。あんな、あんな思いをするぐらいなら……!
「スカートはもっと短く履くべきでは?」
「アホか。恥ずかしいだろうが」
 カノヌに指摘されるが、俺はスカートを更に下に引っ張り拒否した。
 ただでさえこんな下着丸見えのとんでもない物を身に着けているのに、それを更に引き揚げろとはどういう了見だ。
「?」
 しかしそれに対し、カノヌはあからさまに疑問符を浮かべて首をひねった。
 やっぱり無いんだな、羞恥心。
 こんな奴が相手じゃなきゃ、ちょっと誑かして公共良俗に反するポーズの一つでも取らせようと画策するのだが。
「とりあえず着る事はできるようですね。制服の交換については検討いたします」
 あ、これ有耶無耶にされるな。思いつつも水掛け論になりそうなので黙っている大人な俺。
「では顔を洗って居間へどうぞ。朝食の準備ができておりますので」
「……どうせまたゼリーだろ?」
「失礼ですね。私は二食続けて同じ物を出すほど芸の無い女ではありません」
「夕食に携帯ゼリーは十分な一芸だと思うぞ……」
 その日の朝食は、コンビニ弁当の天丼だった。
 ――それから三十分ほど後。
 俺、ゲヘナ、貴人の三人はカノヌに見送られ、学校へと登校していた。
「……意外ともたれないもんだな」
「何が?」
 俺は自らの体の若さに感心していたが、貴人には分からないようだ。
「せいぜいその若い胃袋を大切にしろよ」
 説明してもわかるまい。振り返った貴人を適当にあしらいながら、俺は並んで歩く彼とゲヘナの一歩後ろで腹を擦った。
「あの、昨日はごめんね」
 その貴人だが、今朝顔を合わせてからずっと気まずそうにしていた。カノヌが言うようなラブコメ主人公ならあんなハプニング慣れっこだと思ったが、気にしてはいたらしい。
 何もそこまでというほど暗い顔で、俺に謝罪の言葉を口にする。
「忘れろ。俺も忘れるからお前はその十倍の速度で忘れろ」
 だが、俺はあんな出来事とっとと忘れてしまいたいのだ。
 なのでその話題はしたくない。その意思表示の為にぶっきらぼうに告げ、貴人から顔を逸らす。
 ていうか風呂で押し倒されたなんて話、こいつを好きな他の女子が聞いたらなんて思うか。
 そう考え、俺は話によるとこいつを好きらしい女子に目をやった。
 しかしゲヘナは俺達の会話など興味が無いかのように、秋風に髪をそよがせている。
 俺だったら好きな女とよく知らない男がこんな会話をしていたら気になってしょうがないと思うのだが。
 感情がない……訳ではないんだよな。昨日あちらから会話を振ってきたのに強引に打ち切ってしまった事が、今更ながら悔やまれる。
 などと俺が考えていると、不意にニャオという短い鳴き声が耳に届いた。
 前方を見てみると、貴人の足元にどこからか猫が現れ、切なげな声を上げていた。
「あぁ、今日も来たんだ」
 貴人はその猫と既知の仲らしく、笑顔を見せて屈みこんだ。
 ゲヘナも屈みはしないが足を止める。
 俺も貴人の後ろからその猫を覗き込むと、割と眉目秀麗な美猫である。
 ただし黒猫なので若干不吉。
 そんな事には構わず、貴人は猫を一撫で、二撫で。
 すると猫は体を震わせ、ごろりと腹を見せる。
「人懐っこい奴だな」
「うん、この子こうやっていつも撫でられに来るんだ」
 そう言って貴人は丸出しになった腹をすぐには撫でずに、その周辺を焦らすようになぞっていく。
 猫はまるで赤ん坊と聞き間違えるような大きな鳴き声を上げながら、その指に翻弄されていた。しかし逃げる気配はまるで見せない。
 あ、こいつ雌だ。
 そして貴人が待望の腹に手をやり若干乱暴にワシャワシャと撫でると、盛大な叫び声を上げた後、猫はぐったりと横ばいになった。
「あ、寝ちゃった」
「お前それ、わざとか?」
「何が?」
 俺が問いかけると、猫を花壇の下に移動させながら貴人がとぼけた声を出す。
 いや今お前、その猫の撫で方……。
「この子いつも来るんだけど、撫でるとすぐ寝ちゃうんだよね」
 どうやら貴人は、自らの中に眠る超絶テクには気付いていないらしい。
 猫に軽く手を振るとまた歩き出す。
 ラブコメっていうかエロゲーに必要な技能だろうそれは。
 ……もしかして俺が喘がされたのは、こいつが無意識に自分の指テクを駆使したせいか?
 ついて行きながら、俺はそう思い当る。
 カノヌが俺を男限定で感じる体とかに改造したのではないかと疑ったが、一安心だ。
 いやしかし、そうなると俺はガチンコで男に喘ぎ声上げさせられたという事で、そっちの方が屈辱な気もする。
 煩悶する俺を振り返った貴人が不思議そうに見る。
 しかしとりあえず気にしないことにしたのか。彼は前方を指差して俺に告げた。
「ほら、あそこが僕らの通ってるカキ高だよ」
 彼が指差す先には、四方を道路に囲まれたクリーム色の建物がある。
 市立蛎森高等学校。倍率は一倍を少し超える程度の特筆べき所は特にない高校だと、カノヌは解説していた。後は柔道がそこそこ強いらしい。
 しかしまさか、もう一回学生やる事になるとはな。
「んじゃ、ここで一旦別れるか」
 校門手前の信号で立ち止まり、俺は貴人達にそう告げた。
「職員室まで案内するよ?」
 親切さんの貴人はそんな事を言ってくれるが、冗談ではない。
「バッカ。お前モテるんだろ。変な噂になったら困るわ」
 カノヌの情報では、あの三人組も同じ学校らしい。
 例えあいつらに出会わなくても、アレ級の厄介なのが貴人に惚れていない可能性があるのだ。
「え、いや、うーんそっか」
 貴人は否定しかけたが、結局は俺の言うとおりに引き下がった。
 一応ラブコメってる自覚はあるんだな。
 モテてないなんて言ったら、衝動的にはっ倒すところだった。
「ガッコでもお前ん家に住んでる事は内緒だからな。あとは……ま、いいや」
 あんまり馴れ馴れしくするなよ。と言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
 仕事の事もあるし、この男はその類の忠告は聞かなそうだ。
 それに、俺にはある予感があった。


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