「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

 第二章 「He is Not Hero」 その10


 そんな俺の憂鬱な気持ちは、家に帰りその内装を見た途端吹っ飛んだ。
「な、なにこれ?」
 家の中には入ると、ぬいぐるみ、陶器、招き猫。膨大な数の猫達が俺達を出迎えたのだ。
 その全てがこちらを向き、幾数の瞳が俺達をじっと見ている。
 ……あいつがしてた用意って、間違いなくこれのことだよな。
 考えるまでもなく、これはカノヌの仕業だ。
 猫達の視線を逃れるように俺が天を仰ぐと、そこには白いボードが釣り下げられており、こう書いてあった。
 ゲへにゃんハウス、と。
「……ゲへにゃん?」
 見上げたまま首を傾げた俺だったが、ゲへにゃんとやらの正体はすぐに知れた。
「お嬢様、どうぞ」
 廊下の奥から、腐れ宇宙人ことカノヌが現れ、俺達ではなく自らの出てきた部屋の中へ恭しく礼をした。
 そして、そこから出てきたもう一人の人物は……。
「ゲ、ゲヘナ」
「ゲヘナではありません。ゲへにゃんです」
 腐れ宇宙人が腐れたことを言う。
 しかしそこには、やはり腐ってない方の宇宙人、ゲヘナが立っていた。
 だが、その格好は昨日一昨日と俺が見たどんなものとも違う。
 彼女はチューブトップの黒いビキニを身につけていた。
 そして、その頭には黒い三角形が二つ。いわゆる猫耳がひっついており、腰の辺りからは尻尾まで飛び出している。
 尻尾はどういう原理なのか。彼女がこちらへと歩いてくる間、意志を持ったようにゆらゆらと揺れていた。
「こ、これ何? 何でこんな事になってるの?」
 貴人が俺に尋ねるが、こちらも今放心から立ち直ったところだ。聞かれても困る。
「ゲへにゃんです」
「だぁってろ!」
 なおもそれを推すカノヌを一喝するが怯んだ様子すらない。
「ゲへにゃん……」
「ゲヘナも嫌だったら言っていいんだからな」
「にゃん?」
「……気に入ってるなら良い」
 進言したが、彼女は小首を傾げて非常に可愛らしく返事をした。
 そうか、こいつら服飾に関しては
恥ずかしいって感情が無いんだったな……。
「近頃はこれでケモノ化と名乗ると過激派がうるさいので、お嬢様の肉体改造も考えたのですが、お嬢様の大切な体をそんな一発ネタに使うのもどうかと考え自重を……」
「お前が自重すべきはもっと手前の地点だ」
 いちいちツッコミきれずそれだけ言うと、俺は視線で結局これは何なのかと尋ねた。
「まぁ一般性癖の持ち主でしたらこれでコロリと行くだろうという判断です。どうでしょう貴人様」
 今度はストレート過ぎる。
「え、僕?」
 しかし当の本人はそれすら届かないスーパー朴念仁だった。
 普段の気の付きようを考えると、わざとなんじゃないかって気もしてくるな。
「ゲヘナはお前の感想が聞きたいんだってさ。理由はもう聞くな。考えるな」
 どうせ無駄だろうから。
 未だに分かっていない様子の貴人にそう教えてやる。
「感想……えーと、可愛いね」
「にゃん?」
 本人は相変わらずの無表情だが、ゲヘナの尻尾がぴこっと動いた。
「具体的には?」
「おへそとか」
「おい」
「なかなかやりますね」
 猫要素関係無ぇじゃねぇか。
 つうか平時でも女子のヘソを誉めるとかあり得ないだろう。
「にゃぁん」
 しかしゲヘナの尻尾はフリフリと振られ、その軌道はハートマークを描いていた。
 ……なんだかんだでこいつらってお似合いなのかもしれないな。
 そんなことを思いながら、俺は靴を脱ぎ、カノヌの横へと移動した。
「どうです私の作戦は」
 すると奴は顔を正面に向けたまま俺に問いかけてきた。
 なんか誇らしげなのがムカつく。
「九五%は徒労だな」
「何の。こうした丹念なゲへにゃん空間の演出のおかげで、今彼らは良い感じの雰囲気になっているのですよ」
「良い感じねぇ……まぁゲヘナは喜んでるみたいだからとりあえずは成功なんじゃないか?」
 貴人の方は戸惑っているようにしか見えないが、ゲヘナは多分もの凄く喜んでいる。
「いえ、ここで満足するのは女の姿をしたチキン野郎だけです」
「なんか今ケンカ売られたか?」
「計画をもう一段階進めます。貴方はそこで見ていなさい」
 俺の半眼視も軽く受け流し、カノヌは俺と入れ替わりにゲヘナの背後へと歩み寄ってゆく。
 そして、彼女の剥き出しの背中に手をやると。
「お嬢様、失礼します」
 ドン。
 短くそう謝って、彼女を突き飛ばした。
 突然の凶行にバランスをくずしたゲヘナは、貴人の胸へと倒れこむ。
 えー……。
 物凄いダイレクトアタックじゃん。
 そんなもん貴人が「大丈夫?」と受け止めて、ゲヘナが「にゃん」と答えて終了だろ。
 俺がそう思った次の瞬間――。
 トン。と、前に突き飛ばされたはずのゲヘナが、尻餅をついていた。
 貴人の手は前方に伸ばされており、俺はそれで、ようやく彼がゲヘナを突き飛ばし返したのだと気づいた。
「ちょ、何してんだよお前……お前ら」
 俺が一番早く硬直から立ち直り、ゲヘナの側へと駆け寄る。
「あ、ご、ごめん!」
 すると貴人は慌てた様子で靴を脱ぎ、玄関に上がるとゲヘナに謝る。
 彼女は後ろから前から突然突き飛ばされたせいか。事態が把握できないようだ。
 ボケッとしたまま貴人の顔を見つめている。
「貴人様、お嬢様にお手を」
 カノヌはと言えば自らは微動だにせず、貴人にゲヘナを助け起こせと促した。
 指示された貴人は自らの手を伸ばしたが、まるで火傷したかのように、途中で慌てて引っ込める。
 なんだ? と思ったが、それをゲヘナに悟られてはいけないような予感の方が勝る。
 俺はとにかくゲヘナの手を取ると、彼女を引っ張りあげ、立ち上がらせた。
「大丈夫か?」
「にゃ……」
 それでもやはりゲヘナが不穏な空気を感じることは防げなかったようで、応えた彼女の尻尾は元気無く垂れ下がっていた。
 その様に胸を打たれた俺は、貴人を睨む。
「あの、その、あ、僕は……」
 だがその貴人は睨んだ事を後悔するほど狼狽し、顔面は蒼白に近くなっている。
「お、おい。お前も大丈夫か?」
 流石に心配になり、空いた手で貴人に手を伸ばす。
 瞬間、貴人の目が見開かれ――。
 パシッと、俺の手がはねのけられた。
 ハァハァと荒い息を吐いてから、貴人は自らの行為に気づいた様子で、もはや泣きそうな顔を晒してから。
「ごめん!」
 謝罪の言葉を叫び、俺の横をすり抜けると階段をかけ上がっていった。
「どうしたんだ、あいつ……」
 触られるのを、嫌がった?
 今まで男女としては相当近い距離で接してきたけど、そんな素振りはなかったぞ。
 ……いや、だが風呂で押し倒されたときとゲーセンで抱きついたとき、アイツの様子は確かにおかしかった。
 手がジンジンと痛む。
 そんな俺の手に、何か暖かい物が触れた。
 ゲヘナの手だ。彼女は俺の手を包むと、優しく撫でて労った。
 別に傷ついた訳じゃないさ。
 心の中で自分と彼女に弁解した後、ゲヘナに礼を言い、カノヌを見る。
「やはりダメでしたか」
 すると彼女は、鼻から息を吐きつつ平然とそう言った。
「分かっててやったのか!? ていうか、あれは一体なんなんだ」
 あの、ゲヘナに手を貸せと言った時の様子から、こいつはこの事態を予測してたんじゃないのかという予感はしていた。
 だがそれなら何故、わざわざゲヘナが、そして貴人が傷つくようなことをする。
「ショック療法のつもりでした。何時までも昔の事を引きずっているものですから」
「昔の事って……昔アイツになにがあったって言うんだよ」
 重ねて尋ねると、カノヌが笑った。
 見間違いではない。頬を引き上げ、歯を見せ、彼女はわざと俺に笑って見せている。
「少し時間が経ったら、自分で確かめてみると良いでしょう。貴方にその覚悟があるのなら」
 俺がそれに圧倒されている内に、彼女はスッといつもの無表情に戻ると背中を見せ居間へと歩いて行ってしまった。
「覚悟って何だよ。おい、カノヌ!」
 呼びかけるが彼女は振り向かない。
 立ち尽くす俺の手を、ゲヘナがきゅっと力を込め握る。
 それを握り返しながら、俺は途方に暮れた。

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