「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

 第一章 「I became Heroine」 その7


「……何なんだよ、まったく」
 響野家の脱衣所で、俺は苛立ちまぎれに呟いた。ブラジャーのホックがすぐに外れないのもそれを加速させる。
 昔は片手でプチッとできたはずなのに。今の体たらくにはほとほと愛想が尽きる。
 俺の苛立ちの原因は、つまるところそれだ。
 ゲヘナはああいう種族なのだ。それはまぁ良い。
 しかし俺の慌てぶりはどうだろう。
 あれではまるっきり女子に縁のない童貞野郎ではないか。
 美冬さん以外の女に興味が持てないからこそ、彼女に操を立てて来たからこその、孤独なこの十数年間だったのではないのか?
 しかも相手は美人とは言え中学生――ヘタすれば小学生にも見えるほどの小女子だぞ。
 ……もしかして俺って、美冬さんをモテない理由に使っている、女なら誰でも良い飢えたロリコン野郎?
 嫌だ嫌だ嫌だ。今更そんな自分なんて発見したくない!
 顔を振ってそんな考えを振り払うと、俺はようやく下着も取り去り浴室に入る。
 正面には鏡があるが、ゲヘナのおかげで曇っているのがありがたい。
 今自分が姿かたちだけは若い女なのだと自覚してしまったら、その事実に感謝してしまいそうだった。
 それだけはダメだ。あの女に感謝なんてするもんか。俺は好き好んでこうやって生きて来たんだ!
 シャワーを出し、しばらくしてからそれを体に当てる。
 すると――。
「ホギャーーーーーーー!」
 思いっきり胸に痛みが走った。まるで海外で思いっきり焼いた時後のシャワー。それを数十倍の痛みに拡大したような感覚だ。
 盛大な悲鳴を上げシャワーヘッドを取り落すが、それどころではない。
 シャ、シャワーでもダメなのか。 敏感なんてモンじゃないぞ俺の胸。
 さ、さすりたい。でもさすったらもっと痛いに決まってる。
 あぁでも!
 誘惑に耐え兼ね乳房の前で指をぐにぐにと動かす俺。
 ドタドタドタ! っと、そんな俺の耳に慌ただしい足音が響いた。
 バタン!
「大丈夫!?」
 声とともに、扉が開いた。
 飛び込んできたのは、響野貴人だった。
「え、あぁ、大丈夫……」
 そうか心配して来てくれたのか。何だかんだで宇宙の隣人より同じ地球の友である。
 しかし原因を素直に言う訳にはいかない。胸が痛くて悲鳴を上げたなんて恥ずかしくて言えるものか。
 そう、この大きな胸が……。
「って、ナチュラルに女子の入ってる風呂場開けんな!」
「あ、あぁごめん!」
 ワンテンポ遅れて、俺は貴人に向けて叫んだ。
 何この男。こんな見た目だけはプリプリの女子が入ってる風呂の扉を一瞬も躊躇しないで開けやがった。
 俺も自分の姿が女子だってことをわざと忘れようとしていたから、このとんでもなさに気付くのが遅れたが。
 これがラブコメ主人公というものなのか。ラッキーでスケベな目に遭うためには逮捕も起訴も恐れずに突っ走る肉食系の心意気こそが、俺の人生に足りなかったものなのか。
「ひ、悲鳴が聞こえたからつい。その、本当に大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だって、良いから閉めろよ」
 男に裸を見られたとて、どうという事は無い。無いのだが、この落ち着かなさは何だろう。
 そうか。背中が寒くて仕方がないせいだ。
 それを意識すると、ぶるりと体が震えた。
 思わず両手で自らの体を抱くと、、間で乳がむぎゅっと潰れ、また痛みが走った。
「あだだだ……」
「や、やっぱりどこか怪我してるんじゃ!」
 貴人が一歩踏み出す音がする。
「ええい、寄るな変態!」
 それを察知した俺は、湯を出しっぱなしだったシャワーノズルを掴み、背後へと向ける。
「わっぷ!」
 シャワーをまともに浴びた貴人が、バランスを崩し前方に倒れる。
 え、ちょっと普通逆だろ何でこっちに倒れる。
 頭は混乱はしていたが、体は勝手にシャワーヘッドを放りだし、奴を受け止めるべく手を伸ばしていた。
 危うくキャッチ。まったく俺もお人よしだぜぃ。なんて一息ついていると。
「わわっ!」
 いきなり貴人が暴れやがった。
 それを支えきれずに、俺の体が背後へと傾く。
「あっ」
 短い悲鳴と共に、一瞬の浮遊感。
 そして、俺の体は風呂の床へと叩きつけられた。
「いっつぅー……」
 いくら女性の体が柔らかいと言ってもこんな転び方をすれば痛い。
 うめき声を上げながら俺が目を開けると。
「あ……」
 目の前に、逆光になった貴人の顔があった。
 最初に出会った時のように、今度は俺が貴人に押し倒されている。
 貴人の手は俺の胸の上に置かれており、それが故意か不意か、ピクリと動いた。
「あんっ」
 すると俺の口から、まるで聞きなれない種類の声が勝手に出た。
 ……これはきっと夢だ。悪夢だ。男が男に胸を揉まれて喘ぎ声を出すなんて。
 だって、さっきまで痛みしか感じてなかったじゃないか。それが原因でこいつが飛んできたんじゃないか。
 それが今……どうだった? こいつに胸を触られてどんな感じがして声を上げた?
 感じ……感じ……感じ。嫌だ、思い出したくない。
 やっぱりこれは夢だ。つねらなきゃ。
 俺は自らの胸――貴人に揉まれていない方に手を伸ばし――思いっきりつねり上げた。
「ホンギャーーーーーーーーーーーーーーーー!」
 この世の物とは思えない柔らかい感触と、この世の物とは思えないほどの純度百パーセントの痛みが体を襲い、俺は顎が外れるほどの悲鳴を上げた。


 ――その悲鳴でおっとり刀にもほどがあるカノヌが駆けつけてき、あわあわとしている貴人をどこかへ引っ張っていった。
 ついでに俺は湯船の中に放り投げられ、のぼせる直前で意識を取り戻した。
 部屋に戻ると既に電気が消えていて、二段ベッドの下側ではゲヘナが丸まって寝ている。
 俺はそっと上側に昇ると、掛布団を抱きかかえ転がった。
 何だアレ。何だ俺。なんで俺があんな目に遭ってるんだ。
 あれじゃまるで、俺が頭悪いハーレムラブコメのお色気要員みたいじゃないか。
 俺はあんな男に一片のサービスシーンも提供する気はないのだ。
 ゴロゴロゴロゴロ。
 ……やっぱり早くあのハーレム男と宇宙人をくっつけて、元の孤独で平和な生活に戻ろう。
「ンゴゴゴゴ……」
 決意した俺の下で、ゲヘナは宇宙的ないびきを漏らしていた。

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