「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」
第一章 「I became Heroine」 その5
しかしその俺の決意は、案内されたリビングで早くも崩れ去ることになった。
「……おい、こりゃなんだ」
「こちらがゲヘナお嬢様。そしてこちらが響野貴人さんです」
響野邸の居間はキッチンに隣接しており、テレビと向かい合った二人がけのソファーと、四人用のテーブルがある。
ただ今紹介された響野貴人、そしてゲヘナが隣り合って座っているので、貴人の対面に俺。その隣にカノヌとなったのだが。
「どうも。これからよろしくね」
貴人が俺に微笑みかけ、ゲヘナは無言でペコリと頭を下げた。
「あぁ、よろしく……ってそうじゃなくて」
挨拶を返して、俺はそのままこちらを紹介しようとするカノヌを睨んだ。
「なんでしょう」
「この机に四つ置かれたパックのゼリーはなんだ」
「晩餐です」
俺がそれを指差すと、奴はあっさりとそう答えやがる。
これが晩餐? この、内容量百八十グラムしかないこれが?
「他には?」
「……おかわりは二つまでですよ」
重ねて尋ねると、いやしい奴だと言わんばかりの顔で、カノヌが俺を睨み返した。
「そうじゃねぇって! おかしいだろ夕食がこれって!」
「これが一般的な宇宙人の食事だと聞きましたので」
「俺は地球人だ! っていうか料理とかできねぇのかよお前!」
「最近は料理のできない女性の方が主流だそうですよ」
「都合の良い所だけ地球人面すんな!」
こいつは本気で宇宙人だ。常識が通じないにもほどがある。
俺が立ち上がりかけた所で、クスクスという笑い声が耳に届いた。
見れば、響野貴人が口を押さえて笑っている。
「な、なんだよ」
「いや、本当に仲がいいんだなって思って」
「はぁ?」
何を言っていらっしゃるんだろう。こいつ日常的に暴力を受け過ぎて、暴力イコール愛情とか友情とか危ない考えになってるんじゃないのか?
「カノヌさんが友達を連れてくるって言った時は、どんな人が来るんだろうと思ったけど、その、安心したよ」
「友達ぃ?」
俺が隣を見ると、カノヌは「はい」と当たり前のように返事をする。
間違いなく作戦の為の嘘なのだが、自分が拉致改造した相手に対し友達と呼べるこの肝の太さは見習いたい。
「ごめん、自己紹介の途中だったね」
いや、というか抗議の途中だったのだが、こいつがまるで気にしていない様子なのを見るとバカバカしくなってくる。
浮かしかけた腰を下ろし、俺は貴人に向き直った。
しかし自己紹介ね。成り行き上素で喋る事になったので考えもしなかったが、そういや俺自分の名前さえ決めてなかったな。
こちらはさすがに本名ではまずかろう。
何か適当な名前は無いかと俺が考えていると。
「彼女の名前は、新井田美冬さんです」
カノヌが、勝手に俺を女性名で紹介した。
しかもその名は……。
「おい」
目の前が白くなりかけ、俺はカノヌの首に手を回して引き寄せた。
「なんでしょう?」
すると奴は、それでも顔色を変えずにしかし声は押さえて俺に問い返した。
「……何でお前があの人の名前を知ってる」
その態度に敬意を表し、俺も同じような調子で問いかける。
カノヌが出したのは、俺の、初めての人の名前だった。
あぁ、憧れの美冬先生。彼女の美しい名を、どうしてこの宇宙人が知っているのだ。
「貴方の寝言に五回ほど出ましたので」
「そんなに!?」
確かに彼女の夢を見ていた気もするが、それにしたって女々しすぎだろう俺。
大きな声を出した俺に、貴人は目を丸くしている様子だ。
ていうかこのやり取りも相当不審だろう。手早く済ませなければ。
「……言い間違えって事にして変えてくれ」
「既に戸籍の登録も済ませてしまったので、それはできません」
「そんなことまでしてんのかよ!」
宇宙人恐るべし。地球はすでに侵略されている。
ていうかそれ偽造だろう。なんて言うか最早抵抗するすべもない。
「あ、あの……」
さすがに貴人から声がかかり、俺は改めて彼に向き直った。
解放されたカノヌは、びょいんと体を反対側に跳ねさせてからまっすぐに戻る。
「美冬さん、で、いいのかな?」
貴人が、確かめるようにその名を呼んだ。
その姿が、過去の俺と重なる。俺も彼女を、そんな風に呼んでいた。
「あー、と、その呼び方は勘弁してくれ」
名前を呼ばれる度、そんな回顧に囚われても困る。俺は彼に待ったをかけながら、他に良い呼び名は無いかと思案した。
「美冬ちゃんと呼んであげてください」
「なっ!?」
すると横にいたカノヌが勝手にそんな事を言う。
「えっと、美冬ちゃん?」
「呼ぶな!」
しかもそれを、目の前の男があっさりと受け入れやがるので、思わず叫んでしまう。
俺は年下の男にちゃん付けで呼ばれる趣味は無い。
「ご、ごめん」
すると彼は可哀想なぐらい体を小さく縮めた。
ちょっと強く言い過ぎたかもしれない。
この体になってからどうも色々なことに対して過敏になってしまっている気がする。
「……美冬でいいよ。お前も貴人って呼ぶけど良いよな?」
フォローって訳じゃないが、とりあえず俺は彼――貴人にそう告げた。
違和感はどうしても残るが、さん付けよりはずっとマシだろう。
「あ、うん。よろしく美冬さ……美冬」
すると奴は何が嬉しいんだか、勢いよく頷くと花のような笑顔を俺に見せた。
男にこんな表現を使うのもどうかと思うが、顔だけを見れば少女のような美少年なのだから仕方がない。
……確かに、こりゃモテそうだ。
「アンタも、ゲヘナって呼んじゃって良いんだよな?」
かと言って俺は心まで女になった訳じゃない。その笑顔をとりあえず流して、隣の少女にもそう問いかけた。
「……」
すると彼女は、俺の問いに少し間を置いてから、無言で頷いた。
本当に無口な娘だ。いや、お嬢様らしいし、アンタ呼ばわりがまずかったのか?
「ゲヘナはちょっと引っ込み思案なんだ。気にしないであげてね」
と、俺の考えが顔に出ていたのか。貴人がフォローを入れる。
この男、他人の機微にも聡いようだ。
「あぁ、別に怒ってる訳じゃねぇよ」
口を開けば人をげんなりさせる事ばかり言う隣の宇宙人に比べれば、ずいぶん可愛いものだ。
引っ込み思案ね。この超然とした、高級フランス人形に四百円ぐらいの人形の髪を移植したようなこの少女の顔からは、あまりそういったものは感じられないのだが。
「美冬さんとは酒……喫茶店でお友達になりました」
このやり取りをどう思ったのか、俺を一瞥した後カノヌが口を開いた。
俺はお前と友達になった覚えはないぞ。
「友達、ですか」
「トモダチ……」
それに対し、貴人は明らかに驚いた表情を見せ、ゲヘナまで声を漏らした。
……友達いなそうだしなコイツ。
俺がニヤニヤと微笑みかけてやると、カノヌは机の下で摘まんで捻る動作をした。
乳首か、乳首なのか。
一瞬で青ざめた俺を見て、カノヌが話を続ける。
「彼女は火事で家を失い、途方に暮れている所でした。その為半ばホームレスのような生活をしており、喫茶店で出会ったというのも本当はゴミを……」
「おい」
「何か?」
さっきもやったぞこのやり取り。何で俺がゴミ漁りしてた事になってんだよ。
ただしこちらの抗議も、クイッとカノヌが手首を捻る事で黙殺された。
「そうなんだ……大変だったね」
すると、貴人はその話を丸々信じたらしい。まるで自分が当事者になったかのように泣きそうな顔で俺を見つめた。
「あ、や、まぁ」
そんな反応をされると良心が痛む。
かと言ってそれよりデリケートなクッションが前面についているので、さするわけにもいかない。
などとバカな事を考えていると――。
「そのような訳で、しばらく彼女をこの家に滞在させていただけないでしょうか?」
「うん良いよ」
話が勝手かつあっさりと進んでいた。
「いやいやお前らちょっと待て」
「え?」
「何か不都合が?」
驚いた顔の二人……とはいえ片方は眉を上げただけだが。
いやいや、確かに住み込みとは聞いたが、簡単すぎるだろう。彼のリアクションを見るに、この腐れ宇宙人今の今まで彼に俺の話をまったくしていなかったようだし。
「え、いや、ご両親の承諾とかは?」
「この家には……今は両親が居ないんだ」
貴人の寂しげな笑いに、心臓が跳ねる。
迂闊なことを聞いてしまっただろうか。
「一年間の世界一周旅行中です」
「カノヌさんのプレゼントでね」
「紛らわしい表情すんなよ!」
「え、何が?」
俺が叫ぶと、貴人はキョトンとした表情でそれに応えた。
無自覚だし……。一挙一動が詐欺みたいなやつだなコイツ。
要するに、貴人とゲヘナお嬢さんをくっつける為に、カノヌが仕組んだ計略って事か。
本当にどこから金を捻出しているんだろうな、この宇宙人。
「まぁ、問題無いなら良い」
ため息をつき、俺は矛を収めた。
全てはこの女の作戦通りという事か。もうなるようになれ……。
「という訳でお嬢様。お部屋が狭くなってしまいますが、しばらくの間我慢してください」
「おい。何回も言うのなんだけどおい!」
「なんざんしょう」
「ちょっと返事フランクにしてんじゃねぇよ! って……それはその、良いのか?」
俺がそう諦めかけた所で、なおも腐れ宇宙人から聞き捨てならないセリフが入る。
この女は毎回人の心の隙をつくので、疲れる事この上ない。
「女の子同士、何の問題もないでしょう」
俺は男だ! と反射的叫び返しそうになり、寸前で思いとどまる。
カノヌ以外の前でそれを言う訳にはいかない。
しかし彼女をじっと見つめ、良いのかと尋ねずにもいられない。
カノヌの返事は、無視だった。
「えーと、ゲヘナも良いのか?」
仕方なく向かいのゲヘナに尋ねると、彼女はまたも無言で頷いた。
いや、この娘に欲情するかって言えば正直NOだけど、だからって、なぁ。
「決まりですね。それでは美冬さん、改めてお願いします」
やはりカノヌが勝手に話をまとめ、自己紹介はそれで終わりになった。
ニコニコとよろしくなんて言っている貴人と、無言で小さく頭を下げるゲヘナに、俺はこれからの生活に不安を覚えずにはいられなかった。
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