「Iam Not Heroine――僕らのモラトリアム」

 第一章 「I became Heroine」 その2


 俺と彼女との関係は、約一年に渡って続いた。
 俺は彼女に勉強とともに男女の機微について教えられ、様々な手ほどきを受けた。
 その詳細は今回の話とあまり関係は無く、また他人の自慢話など聞きたがる奴は少数だと思うので省くが、とにかくそれは至福の時間であった。
 しかし一年後、それは当時五歳の妹に見つかり、その報告によって俺達は両親に引き離される事となってしまう。
 別れの言葉さえ残せない、非常に唐突な別離だった。
 彼女が居なくなった後の日常はねずみ色で染まり、俺には最新のおもちゃで盛り上がる男子も、最新のオシャレで盛り上がる女子も『本当』を知らないガキにしか見えなくなっていた。
 中学、高校とそうした見下した態度をとっていた為に友達もできない。
 両親ともあの一件以来折り合いが悪く、妹に至ってはあれがトラウマになり男子、特に俺を嫌悪するようになっており、俺は大学進学と共に逃げ出すように上京していた。
 自分がただ単に一度幸運に恵まれただけのガキだったのだと気付いたのは、その頃だったと思われる。
 ただ全ては遅く、大学でも似たような暗い青春を送り、会社をリストラされる際にもそういった点を協調性だとかそんな言葉で指摘された。
 人生をやり直したいと思わないでもないが、口には出さない。
 惨めすぎるし、それを言ってしまったらもう一度、奇跡的に彼女に遭えることもなくなってしまう気がする。
 多分未だにこんな風に考える事が一番惨めなのだろうが、それでも俺はもう一度彼女に会いたい。会わないときっと、俺の時計は動き出さない。
 そう、彼女の名前は……。
「美冬さん……」
 まばゆい光に瞼を焼かれ、俺は目を開けた。
 視界がぼやけ、しかめ面のまま何度も瞬きをする。
「おはようございます。気分はどうですか?」
 女の声が、上から降りてくる。
 聞き覚えのある声。美冬さん……いや、違う。
「……あんた、名前なんて言うんだっけ」
 寝起きだからか、自らの声が妙に高く聞こえる。
 目を閉じたまま、俺はゆっくりと体を起こした。
「カノヌ、と申します」
「変わった名前だな」
 改めて目を開ける。
 すると目の前にいたのはやはり昨晩の女だった。
 ただし髪の毛が、スプレーで塗ったような安っぽい桃色に変じている。
「あくまで地球語での発音ですので」
 まるで英会話のCMのような単語を出しつつ、女――カノヌはそう答えた。
 地球語ってなんだ。それじゃまるで……。
 考えていたところで、尻が冷たいと気づく。
 何だろうと視線を下にやった所で、その光景に唖然とした。
 視界が良くない。原因は俺の胸についている二房の物体のせいだ。
 皮膚と同じ肌色のそれには、先端に突起がついている。
 房……っていうかこれって乳房ってやつじゃ。
 恐る恐る、現実を確かめるように俺はそれに手を伸ばした。
 すると――。
「ヒギャーーーー!!」
 自分の物とは思えないような甲高い悲鳴が、喉の奥から飛び出た。
 痛い痛い痛い痛い! 頂の部分を軽く触っただけなのに付け根から?がれるような痛みを味わった。
「どういうことだよこれ!」
「ビーチクで感じない女子がおりましょうか……!?」
「痛みしか感じなかったわ! ていうか乳首が性感帯じゃない女子だっているだろ!」
 女がこぶしを握りつつ断言するので、思わず律儀にツッコんでしまう。
 それから、俺は彼女と自分の発言の根本的な違和感に気付いた。
「……女子?」
 俺の呟きに応じ、カノヌが手鏡を差し出す。
 その用意の良さに少し腹が立ったが、とりあえず俺はそれを受け取って覗き込んだ。
 ――そこに映っていたのは、十五、六の少女だった。
 多少険がある目つきをしているが、そのきめ細やかな肌、形の良い鼻と口は人を惹きつけるのに十分だろう。
 更に胸。メロンと冬瓜の中間のような形をしたそれは、同世代の平均より二回りほど大きい。しかし少女特有の張りも兼ね備えており、先端から力場でも発しているかのように重力に逆らいツンと上を向いている。
 感度も抜群であることは、先程証明したとおりだ。
「これが私……」
「それが貴方でございます」
「って女になってるじゃねーか!」
 一瞬陶酔しかけたが、我に返り鏡を放り出して叫ぶ。
 カノヌは無表情に半狂乱となった俺を見つめ。
「おめでとうございます。サービスでバストは八十九まで盛らせていただきました」
 と拍手した。
「おめでとうございますじゃねーよ! そんなサービスいらないしそもそもこんなの希望した覚えねーよ! いや、小学生ぐらいからやり直したいと思った事は何度かあるけど性別変えんなよ! ……え、お前がこれやったの?」
「はい、私が改造しました」
 混乱のままに一気にまくしたてた俺に対し、カノヌは眉ひとつ動かさずそう答える。
「改造って……アンタ悪の科学者か何か?」
「いえ、善良な宇宙人です」
 普段ならそんな単語を言う奴には冷笑か呆れ顔を向けてやるのだが、現在の自らの体を鑑みるとそれどころではない。信じる疑う以前にそんな心の余裕がない。
 善良と称される存在が人をいきなり改造するかなんてツッコミすら入れられない。
 俺は助けを求めるように周囲を見回した。
 しかしそこにあるのは俺が寝かされてたらしい銀色の寝台と距離感を狂わせる真っ白な壁に 丸い窓のみ。
 俺は立ち上がり、縋るようにその窓へとフラフラと歩いて行った。
 窓に映る美少女――は無視して外の景色を見る。
 すると、外は真っ暗。目線を下げると、そこには青く輝く星が浮かんでいた。
「お嬢様の婿探しの為、私達はこの星……もといあの星へやってきました」
 唖然とする俺の後ろからカノヌが近づき、ふわりと毛布を掛けた。
 その優しさに涙腺が決壊しそうになるが、俺がそもそも泣きそうになっているのはこの自称……いや、多分信じて良いだろう。この宇宙人のせいだ。
 しかしオゾン層をぶち破って監禁されている今、こいつに反発しても意味がない。
 て言うかなんかもう早く解放していただきたくて、俺は女の話を聞くことにした。
「お嬢様っていうのは、さっきの写真のか?」
「はい、ゲヘナ様と申されます」
 そりゃまたすごい名前だ。そういえば彼女も今のカノヌと同じく安いピンク色の髪をしていた。つまりこれが宇宙人の証拠という訳だ。
「なんていうか、地球人そっくりすぎる宇宙人だな……」
「そうでなければ交配できません。我が星では地球歴で言う千年に一度、他星の血を入れる習慣があり、お嬢様はそれに選ばれたのです」
 今さらっと交配つったな。
 渡された毛布を一応体に巻き振り向いた俺に、カノヌは淡々と説明した。
「で、えーと、交配相手としてあの少年が選ばれたと」
「そうです。彼の名前は響野貴人。本当はお嬢様にはもっと素敵な男性を選んでいただきたかったのですが、恋とはままならない物です」
 とても色恋を語っているとは思えない平坦な口調のまま、彼女は俺と入れ替わりに窓の外をじっと見る。
「しかしお嬢様も異星人との恋という宿命を定められた不自由の身。せめてあの方の選択だけは尊重しようと、私もその恋を全力でサポートしてまいりました。しかし、どうも上手くいきません」
「相手を拉致監禁でもしようとしたのか?」
「私はあくまで平和的手段しか取りません」
「俺、拉致監禁改造までされてるよな」
「……これは私が地球人の事をよく知らないせいだと考えました」
「無視かよ」
 俺の指摘にも、窓に映る鉄面皮は動く気配を見せない。ため息を吐き、俺は自らが寝かされていた……もしかしたら改造された寝台の上に腰掛け直した。
「そのような訳で、私は適当な酒場に居た適当な男に声をかけたのです」
 ……適当に選ばれてこの末路って悲惨すぎないか俺。
「話は分かった。だが分からない事が二つあるから答えてくれるか?」
 カノヌの言葉が切れたタイミングで、俺は軽く手を挙げて彼女に問いかけた。
 先程のように無視されても困る。
「どうぞ」
 すると彼女はまるで優秀な女教師のごとく、ゆっくりと振り返り俺に掌を向けた。
「結局、何で俺は女にされたんだ?」
「それはあちらに行けば分かります」
「あちら?」
「実際に見た方が早いでしょう。着替えはそちらの寝台の下に入っていますので」
 言われ、腰かけていた台を探ると確かに取っ手があった。
 意外とレトロに機能的なんだな、このベッド。
 開けてみると、確かに服が入っていた。
 ジーンズはありがたいが、やはり下着は女物だ。
 まぁ、ブラジャーはつけないと擦れただけで動けなくなりそうだしな……。肝心のつけ方が分からんが。
「この胸の痛みにも、ちゃんと理由があるんだろうな?」
 間違っても恋とかではあるまい。
 あまり期待しないで尋ねると、カノヌは頷いてあっさりと口を割った。
「反逆防止用です」
 なるほど。立派な理由だ。

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