彼女に降りかかったのは、小さな奇跡だった。
数時間前までの姿は、既に無い。
短かった四肢は伸び、全身を覆っていた体毛も、一部を除いて今は無い。
魔法使いは舞い降り、彼女の願いを叶えてくれた。
長い耳と丸いしっぽはそのまま残されてしまったのだが。
とにかく彼女は、自分の望みどおり、今、獣の姿を捨て、人間となったのだ。
そう、彼女の主人と同じ、人間に。
人の姿になってしまった故に鈍くなってしまったその長い耳が、それでも扉の向こうの、鉄製の階段を上る音を捉える。
彼が、彼が帰ってきた。
獣の姿で、幾度聞いただろう?
幾度労いの言葉も言えない自分を悔しく思っただろう。
いや、あの頃の自分には、そんなことを感じることが出来るほどの頭も無かった。
しかしそれも、今日で終わりだ。
鍵を開ける音が聞こえる。
ドアノブが回る。
彼は驚くだろうか?
変わってしまった自分を受け入れてくれるだろうか。
そんなことはどうでも良い。
今はただ、今まで言えなかった分のお帰りを言えば良いのだ。
それだけで良いのだ。
ドアが開く。
愛しい主人の姿がその中から現れた。
彼女は一杯の笑顔で彼に
「お帰りなさい、ご主人様!」
それを受けた彼は、一瞬固まった後…。
「あ、ただいま…」
苦笑いを浮かべて、普通に挨拶を返す。
彼は結構、素だった。
「…ご主人様?」
「ん、なんだ?」
主人の名は久貫俊樹。
22歳独身である。
そして、そんな彼の前には、一人の少女が立っている。
俊樹には、現在同棲中の恋人などいない。
第一彼女の外見は、どう見ても中学生か良くても高校生辺りにしか見えず、家に連れ込もうものなら即檻の中に送られてしまいそうだ。
しかし、最初に彼女の年齢について考察するものは、一人もいないだろう。
「あの、私を見ても驚いたりとか、しないんですか? 自分で言うのもなんですけど、今の私、結構驚くべき事態になってると思うんですけど」
なぜなら、そのほかの特徴があまりにも特異だからだ。
まず瞳は、思わず血のようなと陳腐な表現をしたくなってしまうほど、真っ赤。
髪は白。 しかし、老人のそれとは違い、艶やかな光沢を持ち、触れば絹のような質感を持つことは、容易に想像できる。
そして、最大の特徴はなんと言ってもこれだろう。
「ん、ああ、そうだなぁ…」
それでも尚、気のない返事の主人。
彼は視線を、胸の辺りにあった少女の顔から、水平に戻す。
そこには、二本の白い棒があった。
いや、それは毛皮を纏ってフサフサとしているし、のぞく中身は鮮やかなピンク色であるから、この表現は非常にアバウトなものなのだが。
それに、彼はその物体を適切に表現する語彙を持っていた。
「すごいな、生ウサ耳」
「なんと、驚くところはそこですか」
なぜ彼がそれをすぐにウサギの耳と判断できたかといえば、それを見慣れているからだ。
別にこういった飾り耳をつけているお姉さんがいる店に、頻繁に通っているからではない。
彼が本物のウサギを飼っているからだ。
一人暮らしの寂しさに負けて買ってみたのだが、ここ三年間、彼女は自分を癒し続けてきた。
それが…。
「実は私、貴方に飼われていたウサギのミミーです」
唐突に、少女は衝撃の事実を語った。
主人のリアクションが薄いことが、不満であるらしい。
これがただモニターの外から小説を読んでいる人間ならまだしも、主人公がこれでは話がまったく盛り上がらない。
やはりたいしたリアクションが無い主人に、元ウサギの少女、元ウサミミ少女ミミーはさらに言葉を続ける。
「毎日ご主人様を想って生活しておりましたら、今日お家に良い魔法使い様が訪問してくださり、私の姿を人間に変えてくださったのです」
例えばこれを言っているのが普通の少女で、表紙に魔法陣でも書いてある本を持っていたりすれば、間違いなく春にはよく現れるイタイ人で終わっただろう。
しかし、その容姿は、彼女を電波なお嬢さんには見せない。
一気に喋って疲れたのか、少女は一通り事情を話し終えると、ハァッとため息を吐いた。
すると、奇異なことに彼女の主人も、同じくハァとため息を吐いた。
初めて起きた主人の大きなリアクションに、彼に視線を合わせる少女。
「やっぱりそうなのか…」
主人は、疲れたような声でそう漏らす。
「あれっ、簡単に受け入れるんですね?」
「最近じゃウサ耳なんて、珍しくとも何ともねぇんだよ」
「…小説とかじゃそうかもしれないですけど。 ご主人様って、そういう二次元と現実をごっちゃにするようなイタイ人種でしたっけ?」
「イタイって言うな! 最近は本当に珍しくないんだよ! ほれっ、これ見ろ!!」
仮にも飼っているペットにイタイと言われたのが効いたのか、俊樹は急にテンションを上げると、懐から携帯電話を取り出した。
「あ、私のおもちゃですね」
「違うわ! 床に置いとくとお前が勝手に齧ってるだけだろ!!」
ウサギの頃のミミーから見れば、それは完全に彼女の玩具であったが、俊樹にとっては違う。
彼はそのまま、取り出した携帯を操作し始めた。
「これだ!」
彼はそのまま、携帯電話の画面をミミーに突きつける。
「あれ、これって…」
そこに写っていたのは、ミミーより一回りしたと思われる年齢の少女だった。
「こんな幼女の画像を誇らしげに見せられても、困ります」
「だから違う! 耳とか見ろ! あと尻!」
言われて彼女は、ご主人様はロリコンで耳とお尻フェチな人間の最下層だったのかしらんと思いつつ、携帯に写る幼女の尻を見る。
「あれ、これって…」
するとそこには、なんとフサフサとしたしっぽが生えているではないか。
形状から察するに、犬の物のようだ。
そして耳もまた、ふさふさとしたものに覆われている。
「これって…」
「ああ、犬耳少女だ。 それは、俺の友人の家で撮った」
ため息と共に、主人が吐き出す。
その画像を見つめ続けるミミー。
「なんで、私以外にこんな娘が…」
「この娘だけじゃない。 今俺の友人のペットが、次々に人型になっていってるんだ」
「な、何故!?」
「お前が言った魔法使いな。 そこら中に魔法ばら撒いてるんだよ」
「はい!?」
「もう、一週間ぐらいから、この辻魔法が始まってな…。
みんなから相談されて、俺もクタクタなんだ」
「辻魔法て・・・、だから、私を見ても驚かなかったんですね…」
その通りであった。
俊樹は既に友人から、同じような相談を何件も受けていたのだ。
よって、自分のペットが人型になっていたときも、「ついにこのときが来た」としか思わなかったのだった。
「そんなことがそこら中で起きてるなら、とっくに大事件になってるんじゃないんですか?」
「それがな、飼い主が全員『世間に公表したら、俺のペットが闇組織にさらわれるだろ!』とか言って、みんな秘密にしたがるんだ…」
「後は政府の介入によって離れ離れとかですね」
ミミーはなぜか重々しく頷く。
俊樹はそこで、先ほどから気になっていた事を聞いてみた。
「なぁお前、元は脳みその小さいウサギだったんだろ。 何でそんな無駄な知識とかが増えてるんだ?」
人間は人間。
畜生の思考回路など把握できるわけは無いが、元はウサギであった彼女が人語を解するのも不可解であれば、やたら邪な単語を理解する彼女自身も謎であった。
「あ、それはですね。 人型になる際に、足りない情報やなんかは魔法使いさんの知識で埋めたそうです」
「便利なモンなんだな、魔法って…」
もはや原理を追求することもせず、与えられた回答にただ納得する俊樹。
しかし、もはや人間の認識が無意味なこの空間では、それもしかたのないことだろう。
「ご都合主義は才能の無い人間の味方ですから」
が、同時に俊樹は、こんな歪んだ知識の元ネタを無性に知りたくなっていた。
「で、お前は何で擬人化したんだ?」
「ぎ、擬人化って言わないでください!
ちゃんと人ですよ、人!!」
「正直言ってそんなことどうでも良いから、質問に答えろ」
「うぅ…、そんなの決まってるじゃないですか…」
言った後、もじもじとしだすミミー。
その様子に、俊樹は不覚にもときめいたが。
「ご主人様の子を孕む為ですよ」
そのセリフで萎えた。
「…獣姦じゃん」
「だから獣姦じゃありません! 人ですってば、人!!」
「たとえ今は人でも、ペットとナニをするつもりはねぇ!」
「それじゃぁ、強い子を生んでウサギ界の頂点に君臨するという私の夢は!?」
「そんな無駄に壮大な夢、捨てちまえ! っていうか生まれてくる子供はウサギなのかよ!?」
「…二人の中間を取ってミッフィーとか」
「何処が中間だよ!?」
「あ、知ってます?
あれってうさこちゃんっていう和名があるんですよ。 そのまんまですよね」
「だから、いらねぇよそんな無駄知識!!」
これも魔法使いの知識とやらだろう。
ペットの時にこんなことを記憶しているウサギというのもそれ歯それで嫌だと、俊樹は思った。
「ハァ…」
言い争いの途中で、急にミミーはため息をつく。
「なんだよ」
「ご主人様は、私とは遊びだったんですね…」
「なっ、何言いだすんだよ、急に!!」
「帰ってくれば、いつも私の体を撫で回すし」
「ただのコミュニケーションだろ、それ!」
「休日にはお風呂場に連れ込んで、濡れ濡れにして、体の隅々まで弄くりたおすし」
「洗ってるだけ!」
「トイレだってご主人様の前で・・・」
「それ以上言うな! その姿だとシャレにならん!!」
今まで自分がミミーにしたことを人間バージョンの彼女に当てはめて、その想像のまずさに狂乱する俊樹。
自分が重罪人のように感じられる。
「全部事実じゃないですか。 もう私、お嫁にいけません…」
「ウサギに婚姻制度なんて無いだろ。 所詮畜生だし」
「うぅ、ご主人様が酷い・・・」
「知らんのか、人権が無い奴には何をしてもいいんだぞ」
「そんなわけ無いじゃないですか!
タマちゃんにエアガンなんて撃とうものなら殺されますよ!!」
「っていうかそれ、民間の方々にだろ」
「大体、何をしても良いんだったら、子供の一人や二人、くれてもいいじゃないですか!」
「筋が通ってねぇよ! むしろそれお前の願望だけじゃん!」
「ああ、もう実力行使です!!」
業を煮やしたミミーは、いきなり俊樹を押し倒した。
大外刈りを使っている点が、実に憎らしい。
思わず一緒に倒れこむ俊樹。
「うげっ!」
背中を打ち付けられ、一瞬息が出来なくなるが、すぐさまミミーをどかそうとする。
が。
「フッフッフ、無駄ですよ。
この体は通常の人間の2倍の力が出るようになっているんです」
「お前こそなんて無駄な改造だ!!」
絶体絶命のピンチである。
この時俊樹の頭には、「獣に襲われる場合も獣姦というのか?」という疑問が過ぎっていた。
「大体お前、今3歳だろ!」
「大丈夫です! 動物ですから児ポ対策はバッチリですよ!!」
「さっきといってること矛盾してる!! って言うか、お前人間換算だと○十歳だろうが!俺はフケ専でもねぇよ!!」
「ぐっ、心は乙女ですってば!」
「体も若いとか否定しろよ!
俺が本当に惨めになっちゃうだろ!!」
ああ、俺が、ペットのウサ耳の3歳の中学生に見えるおばさんに獣姦されるだなんて…。
こんな人生、誰が想像するだろう。
と、俊樹が悲嘆にくれていたところに。
「俊樹兄ー、遊びに来たよー」
また違う娘が入ってきた。
今度はウサ耳も生えていない、見た目はいたって普通の娘だ。
「…よう、妹」
久貫沙耶。
現在自分のペットに押し倒されている彼、久貫俊樹の妹である。
普通の少女がこのような光景に出くわしたなら、どう反応するだろうか?
叫ぶ、見なかったことにする、止めさせる。
OK、基本的にはこの三択だろう。
そんな中、彼女は。
「OK、とりあえず見てるからちゃっちゃとやっちゃって」
視姦することに決めた。
「って、おかしいだろその選択肢!」
兄は抗議の声を上げるが、妹は聞いてはいないようだった。
押さえつけられている兄の隣に静かに正座する。
「おっけい、やっちゃって」
「はい、がんばりますね!」
「がんばらなくていいよ!! ていうかお前乙女なんだろ!? 恥じらいの心とか持てよ!」
「やれる時にやってしまうのが、獣の掟です」
「おおーワイルドー!」
俊樹は妹を見た。
確かに沙耶は変わった娘だった。
思考回路も人とはずれており、彼も兄として将来を心配していた。
それでもこの娘は、一人暮らしの兄のために朝ごはんを作ってきてくれるような奴だったはずだ。
汚い兄の家を、文句を言いながら掃除してくれるような。
アレはもしかして、自分の幻想だったのだろうか。
彼は心の中で、さめざめと涙を流した。
「しかし、こうなれたのも妹さんのおかげですね」
「はぁ?」
俊樹はとりあえず心の涙を止めて、不可思議なことをのたまう自らのペットを見た。
彼の今の状況と、彼の妹と、一体どんな因果関係があるというのか。
「あれ、知らなかったんですか?
そもそも私を人間にしてくれたのが、妹さんですよ」
「・・・マジデスカ?」
俊樹は頭が回らないまま、妹のほうへ顔を向ける。
すると妹は、持っていたカバンを漁りだし、つばがやたらと広く、先の尖った黒い帽子を取り出した。
まるで、自分が魔法使いであることを象徴するような…。
彼女はそれを俊樹の目の前で被り。
「イエス、アイアムウィッチ!」
なぜかVサインをした。
「因果関係も何も、お前が元凶か!!」
「やだぁ、幸せ案内人といってあげてください」
「誰が呼ぶかボケ!
っていうか何でお前が魔法なんぞ使える!?」
兄の当然の疑問に、妹は少し考えてから答えた。
「あー、だって私、ハリーポッター読んだし」
「それだけで魔法が使えるんなら、世界中に魔法使いが溢れとるわ!」
「でも、ちゃんと全巻読んだよ?」
「だから同じだっての! それだったら、俺だって使えることになるじゃん!」
「あー、しかも私、寝っころがって、ポテトチップスをかじるって言う儀式も執り行ったし」
「あ、楽しそうな儀式ですね」
「それ全然儀式じゃないよ!」
そこまで会話を進めて、兄は虚しくなって追及を止めた。
ここまで自分は良くがんばった。
これはもう既に、人間が一日に許容できる範囲の出来事を超えている。
もしかしたら、一生分の容量も満タンかもしれない。
とにかく今は、この状況をどうにかすることを優先しよう。
そのために、後ひとつだけ質問をしてみよう。
「お前は、何だってこんなことをするんだ?」
つまりは、主犯の要求を聞くことで、獣姦(受け)を回避しようという心積もりだ。
こんなタイミングで現れたというのは、きっと偶然ではあるまい。
何か要求があるからこそ、彼女はわざわざ兄が強姦されそうになろうとしている所に紛れ込んだのだ。
さぁ、目的は何だ。
それを使って取引をしようじゃないか。
「ん〜、一回見てみたかったのよね、獣姦」
「うわっ、取引の余地ねぇ!」
「だから獣じゃないですよー」
そんな知的好奇心でこられては、取引のし様が無い兄。
姿を変えた張本人に獣呼ばわりをされて不満なミミー。
「あー嘘嘘」
「さ、さすがにそうだよな」
手をヒラヒラと振る妹に、安堵の息を漏らす兄。
流石に彼も、妹が獣姦マニアだなどと、考えたくはないようだった。
「本当の理由はね…」
一旦そう言って言葉を切ると、沙耶は急にモジモジとしだした。
一瞬不覚にもときめいた俊樹だったが、数分前に似たようなことがあったと思い出して、すぐに正気に戻る。
「獣姦が出来る兄なら、近親相姦も出来るかなーって」
「お前も何言ってんだよ!」
だが、せっかく正気に軌道修正されてきた思考回路も、妹のその言葉に、あえなく瓦解する。
「実は私、ずっと前から俊樹兄のことが好きだったの」
「…この状況で言われなきゃ、ときめいてたがな」
「と、言いつつ顔が赤いですよ、ご主人様」
「でも、お兄ちゃんって少し固いところがあるじゃない?
だから、最初は寝込みを襲って既成事実を作ろうとしたんだけど…」
「そういえば最近よく、深夜に妹さんが入り込んできて、ご主人様の布団の前で色々思案してました」
「うわっ、お前止めろよ!!」
「ウサギの姿じゃ無理ですよー」
「でも、そんなの愛じゃないと思ったの。
だから、私は方向性を変えた…。
俊樹兄が獣だろうが男だろうが何でも食べれる人類として最下層の人間になれば、妹を襲うぐらい訳ないと思って…」
「それは愛なのかよ!?
って言うか、兄が畜生にも劣る存在になって嬉しいのか!?」
「しかも妹さん、私の後は男の人とからませようとしてたんですね」
「それ言うなよ!
せっかく想像しないようにしたのに!」
「ともかくそのために私は魔法を習って、近所の飼い犬や飼い猫で実験したわ」
「実験て…、お前のその実験とやらのせいで、俺の友人の何人かは、確実に道を踏み外したぞ」
俊樹は、猫耳や犬耳に狂った友人達の姿を思い出す。
中にはペットがさびしがるという理由で仕事を辞めた人間もいたはずだ。
「うわ、努力家ですねぇ」
「見事なまでに遠回りな努力だけどな」
「そんなわけで、ミミー」
「はい?」
「お兄ちゃんの人としての尊厳が粉々になるくらい、思いっきりやっちゃって」
「って、こいつに何させる気だ!」
「はい、分かりました!」
「お前も嬉しそうに頷くなぁ!
存在として貶められてるんだぞ、今!!」
「さぁて、ちゃっちゃと始めちゃいましょうか」
「俊樹兄の人間としてのランクが光の速さで落ちていく様、しっかりと見ててあげるからね♪」
「嬉しくないわ、ボケ!! って、あ、あ、やめろって、あう…!」
その後、彼の人としての尊厳は地中深くまで落ちゆき、二度と浮上することは無かったという。