私が草薙桂の姉について知ったのは、私と彼が停滞についての秘密を共有した後。

そして先生が赴任してくる前のことだった。

…こう表現すると、何故か理由の無い違和感を感じるのだけれど。

「姉さんが居たんだ…」

夏は既に季節の反対側。

この街に来て初めて、空から雪が降った日。

私は、彼こと草薙桂と二人で下校していた。

灰色の空を見上げながら、彼が呟く。

白い雪が彼の頬に落ちては、融けていく。

「今まできっかけが無くて話せなかったけどさ。 森野には話しておこうと思うんだ。 いいかな?」

切り出しが唐突だと考えたのか、彼は照れ臭そうに笑いながら、そう言い直した。

「…ええ」

彼の秘密。

彼の生い立ちなど、私は聞いたことが無かった。

不覚と言うべきかしら。

疑問にも思わなかった。

彼がそこに居るだけで安心していた。

「俺、姉さんが居たんだ。 て、言っても双子のだけど、さ」

私より一歩先に進みながら、うっすらと化粧をする一本道を歩く。

「姉さんは…、姉さんも、俺達と同じだった」

「…」

「姉さんも、停滞を患っていたんだ」

草薙君の歩調が緩まる。

距離が近づく。

「姉さんは、どうしようもなく繊細で、俺みたいに、停滞をいい加減にやり過ごすことが出来なくて…」

興奮のためか、草薙君の歩調が強まる。

私との距離が開く。

「だから、俺に出来るのは、姉さんが起きたときに、側にいることだけで」

私の歩みが遅くなる。

さらに距離が開く。

「…だから、ね」

私は、彼の言葉を聞き、彼の笑顔を思い出した。

私が止まり、再び目覚めたときにみた、彼の表情。

ただ、同じ病気を患っているというだけでは、あんな顔はきっとできない。

私が、あんな風に笑えないように。

あれはきっと…。

「姉さんは、永遠に止まってしまった」

あれはきっと、彼が彼の姉に向けていた表情。

「最初は姉さんだって、停滞することが嫌で嫌で堪らなくて、だからあんなに荒れてたのに…」

草薙君が俯く。

表情は見えない。

「俺は、自分は止まる事をいやがるくせに、姉さんが停滞を肯定したとき、嘘をついたんだ」

停滞を肯定。

嘘。

そんな単語より、彼の表情が気になる。

「分からないくせに分かったような顔をして、肯定して、一緒に歩くフリをして、結局姉さんから離れていった」

彼の歩みが止まり、私の足もまた、止まる。

「だから、それが俺の罪なんだ」

振り向いて、真剣な顔で私に語る草薙君。

「草薙君…」

一瞬、彼に駆け寄りたい衝動が巻き起こったが、それをくだらない見栄が邪魔をした。

小さく、声を発するだけで終わる。

けれど、草薙君は私が何かをするまでもなく、表情を崩して笑って見せた。

「大丈夫…。 ってわけじゃないけど、やめたんだ、留まるのは」

照れ笑いのように、一種、苦笑のように。

「何で…だったっけな。 それが森野の言ってた、俺の求めるものってやつかも知れないけど」

誰かにくすぐられたかのように、むず痒そうに、彼は笑う。

『それ』の話をするときの彼は、いつもそうやって笑う。

彼の求めるもの。

彼の強さの元。

同じ秘密を共有した彼が、突然に遠くなる瞬間。

「言いたかったのはそれだけ。 森野には知って、そのまま覚えていて欲しいんだ。 俺の姉さんのこと」

秘密が、一つ増えた。

また一つ彼を知ったはずなのに、私と彼の距離は近づかない。

草薙君が歩き出そうとする。

「待って…」

私は思わず声を発していた。

彼が振り返らなければ、今度こそ走り出していたかもしれない。

「大丈夫だよ。 俺、もう置いて行ったりしないから」

さっきとは違うけれど、私に笑みを見せる草薙君。

見透かされたような言葉に、私は彼が年下なのだという認識も忘れてしまう。

そんなものを捨ててしまえば、彼に引き込まれるなど容易い事なのだ。

「俺たちは、進み続けよう」

私は、確かめるように、ゆっくりと彼の元へ歩いた。

ゆっくりと、少しずつでも歩いていければ、本当に彼は私を置いていかないだろうか。

長い距離でもないのに私は酷く疲れた気分になって、差し出された彼の手に縋り付く。

そしてそのままの勢いで、額をその胸に寄せた。

「森、野…?」

一瞬動揺する素振りを見せた彼だったが、そのまま力を抜いて、私を受け入れてくれた。

「大丈夫よ。 私は、ちゃんと進んでいるから」

「うん…、そうだな」

無様すぎて、言えなかった。

だから置いて行かないでなんて。

前から分かっていたことなのに。

彼は私を求めているんじゃないということぐらいは。

きっと貴方は、その求めるものと共に、いつか加速してしまう。

そんなことは分かっている。

だったら言えば良いのに。

私は一人でも進んでいけるから、貴方も好きに歩んでいけば良いと。

「森野も、俺も、加速しよう」

あなたは知らないでしょうね。

今の私がどれだけ危ういのかを。

知られたくない。 歩くのも覚束無い私を。

何も出来ないなんて、貴方には思って欲しくない。

だから…。

「私は一人でも大丈夫」

それでも、私のそばに居て欲しいの。

なんて、ね。

「森野。 なんか言った?」

「草薙君。 鼻が出てるわ」

「え、わっ、ご、ごめん、森野!」

「いまさら気にしないわ」

ズッ。

「って、あ、今森野も鼻すすっただろ」

「そうね、すすったわ」

「なんなんだよ、もう…」

「うふふ、何なのかしらね」

「あ、今本気で笑っただろ」

そんな、雪の日。

私の気持ちは、少しずつ、横目に流れる景色を映しながら、加速していっていた。

 

 

季節はもうすぐ秋。

先生と過ごす、初めての秋。

先生と過ごす…。

「って、何でこうなるかなぁ、本当…」

グラウンドではクラスメイトが思い思いに運動している。

体育も今日は自習らしい。

本当にうちの学校は自習が多い。

芝生に寝転がり、空を見る。

「女心と秋の空…ね」

あはは、あの急変ぶりには、この空程度じゃ適わないだろう。

「あはははは…」

ごろり。

悲しくなって、空を視界からはずすように横向きになる。

…昨日、先生に怒られました。

理由は、何だったっけ。

TVに映った水着CMが原因で、先生の話をちょっとだけ流したのが悪かったのか。

「若い子の方が良いんでしょう」といわれた時に、「ち、違いますよ」と声が上ずってしまったのがいけなかったのか。

「この女の子とか、スタイルも良いし」と拗ねられた時、「先生のほうがもっとスタイル良いですよ!」とすぐ返せたのは、我ながら好判断だとガッツポーズをとったんだけどなぁ…。

でも、その後「分かった、森野さんみたいに未成熟な体のほうが良いんでしょう!」と言われたときに…。

「草薙君…」

「な、なななんでそこで森野が出てくるんですかー!」

「口調が変よ、草薙君」

いきなり響いた森野の声に、僕は思わず、昨日先生に言ったセリフを、思わずそのまま言ってしまった。

そうなんだ。 今回の喧嘩の主だった理由としては、僕が森野の名前を出された途端、変に過剰反応してしまったことにある。

その理由は自分でも、よく分からないのだけれど…。

とにかく僕は視線を合わせるべく、視界に入った森野の足をたどり、再び空が視界に入る仰向けへ。

「って、も、も、も、も、森野ーー!?」

けれど、青空はあまり視界に入らなかった。

アゴをひいて僕を見下ろす森野が、そこにいたからだ。

なぜアゴを引くかといえば、そうしないとほぼ真下にいる僕の顔が見えないからで…。

でも、それは僕の責任ではない。

森野の位置がいけない。

それはもう、絶対的に。

「こんにちは、足の間の草薙君」

「ど、どどどこに立ってるんだよ!」

森野は体操着を着ていた。

うちの学校はハーフパンツなんだけど、森野の場合はサイズが合わないという話で。

その、ブルマというやつをはいていた。

跨は喜んでたけど、僕にはどういうものか…。

ごめんなさい。 よく知ってます。 その、先生のおかげで。

「草薙君。 にやけてるわよ」

「こ、これは森野のブルマに欲情したとかじゃなくて、先生の蜂蜜授業が…っていうかそこどけよ!」

「今のセリフ、是非続きを聞きたいわね」

ストンと、森野が腰を下ろす。

思わず目を閉じたが、衝撃は来ない。

恐る恐る目を開けると、さっきと同じ場所に森野の顔がある。

でも、距離はさっきより格段に近づいた。

耳の横に太ももの気配を感じる。

どうやら森野は、僕の頭の真上に腰を下ろしたらしい。

「なな、なんでそんなところに座るんだよぉ!」

「そう、あの体勢のほうが好みだったのね」

「そんな話してないだろ!」

「草薙君は顔より中身な人間なのね」

「あれを中身って呼ぶなよ!」

「まぁ、おあいこだから良いわ」

「お、おあいこって何が?」

「さっき、一人で散々悶えていた草薙君を見たから」

「み、見てたのか!?」

「えぇ、その短パンから覗く中身も…」

「わあぁぁーーー!!  何見てんだよ!!」

「あいこね」

「違う違う違う! 絶対俺のほうが損してる!」

「草薙君」

と、唐突に俺に呼びかける森野が、俺の頬に手を当てた。

「な、なに?」

「背が、少し伸びたわね」

「そう、かな?」

それとこの行動と何の関係があるのか戸惑いながら、僕は思考を巡らせる。

「まぁ、肉体的にはまだ成長期だから」

年齢的にはもう成人に近いけれど、僕の体は跨や漂介と同じくまだ育ち盛り。

それに赤ん坊の頃から停滞を患っていたから、実際の肉体年齢はもっと下だ。

一年たった今でも中学生並み…ってこともあるかも。

なんだかなぁ…。

そんなことを考えつつ、森野を見上げる。

あ…。

「あー、森野だってすぐ伸びるさ」

「さりげないフォローありがとう。 とても心に響いたわ」

と、頬から手を離して、無表情に呟く森野。

「ご、ごめん!」

「謝られると私が惨めな女になるわね」

「わー、ごめん! じゃなくて、ええとぉ、その…」

同じ間違いを二度繰り返してしまった僕は、急いで起き上がり、後ろ向きのままセリフを考える。

「別に私は平気よ。 どんな風になるかは想像出来るし」

言いながら、森野が僕の両肩を掴む。

おかげで僕は、振り返ることができない。

「それって、どういうこと?」

「妹は、私に似ているから」

普通の人間なら首を傾げるセリフだけど、似た事情を持つ僕には分かる。

森野には、妹がいるらしい。

そしてその子は、彼女が停滞している間に成長し、今では成人。

早いことに、もう結婚までしている。

結婚については、僕もとやかく言えないわけだけど。

「そっか…。 でも今は、森野だってちゃんと進んでる。 ちょっと見ただけじゃ分からなくても、絶対」

「…ありがとう」

「同じ秘密を持った仲間だろ、俺たち」

「仲間…ね。 でも、草薙君は私が成長したら困るでしょう」

「なんで?」

わけの分からないことを言う森野の表情を、僕は首だけ後ろに向けて窺った。

「…草薙君は私がロリィ…もとい未熟な青い果実じゃなくなっても良いの?」

至極まともな顔で、そんなことを言い出す森野。

昨日の先生の言葉と被る…。

「だから、何で俺がそういう趣味の人間になってるんだよ!?」

「そう、草薙君は成熟した方も大好きだものね」

「方もとかいうなよ! 見境無しみたいだろ!」

「草薙君。 落ち着きなさい」

「誰のせいだっ! うわ!!」

ツッコミを入れた僕の肩を、森野が後ろに倒す。

腹筋を使う間もなく、僕の頭は地面に落ちるかと思われたが。

ぽんっ。

明らかにそれとは違う感触に阻まれ、そこで頭の落下が止まる。

「落ち着いた?」

「って、これ…」

「生太ももね」

「な、生とかつけんなよぉ!」

「うふふ」

「さ、さりげなく肩を押さえるなぁ!」

「あまり動かないで。 いやん」

無感動に。

いや、口の端を軽く持ち上げ、微かに笑いながら森野が呟く。

その顔を見て、僕も抵抗をやめる。

というか、やめさせられたというか。

「こうやっていても」

「ん…?」

「私達は、こうやってふざけ合っていても、ちゃんと進んでいるのね」

「ああ…、そうだよ」

風が頬を通り抜ける。

目を瞑ると、夏の名残のような陽気を感じる。

この体勢が問題大有りだという事も忘れて、その心地良さに体を委ねそうになった。

「でも、このままではいられないわ」

「え、ああ…」

さすがにこの状況はまずい。

でもやったのは森野だろうと、僕がつっこもうとした時。

「アデュー。 草薙君」

「へ? あ、アデュー…」

「そしてこんにちは、先生」

「え、え、ええええぇぇぇーー!」

目を開けると、そこには女子高生にしてはむっちりした足が。

視線を上げる。

「先生! これは誤解です! っていうかなに着てるんですか!」

「教師のブルマ姿ね。 負けたわ」

「ちょっ、先生!? また銀河連盟のマニュアルに騙されたんですか!? え、そんなことどうでも良い? ちょ、先生? 先生!? せんせいーーー!!」

「うふふ」

これから一週間。 僕は10回ほど銀河系の果てに飛ばされるハメになった。


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