僕、草薙桂が森野苺と出会ったのは、高校の入学式のときだ。
初めて見た彼女は、多分初めて見たインパクトということもあるのだろうけれど、今以上に小さく見えて、そして確実に、今以上に冷めた目をしていた。
そしてその目で、未来じゃない、どこか遠くを見つめていた。
その儚さと危うさは、三年前に、僕にとっては、死んだばかりの姉さんを思い出させ、彼女を見ているだけで、停滞しそうになってしまった。
長い停滞で人との関わりに距離を置くようになった僕が、彼女に声をかけたのは、つまりそういう訳だった。
私、森野苺が草薙桂を認識したのは、この学校の入学式のとき。 以前その事を小石に聞かれた時は覚えていないと答えた。
けれど私は、本当は覚えている。
彼が、なぜか困った顔をしながら、私に近づいて来た事を。
「ええと、アレ、なんて言おう…。 あ、そうだ、その、君、一年生の教室って分かるかな?」
彼はぶつぶつと呟いた後で、私にそう聞いた。
「私も新入生だもの。 知る訳が無いわ」
「あぁー…それは、確かに当たり前だよ、な」
私がそっけなく答えると、彼はさらに困った、というより途方にくれた顔になって、中空を見上げた。
どうやら、先ほどの質問をしたくて私に話しかけた訳ではないらしい。
ナンパをしてくるタイプには見えないのだけれど。
相手をじっと観察する。
背は低め。髪も肌も色素が薄く、どうしてもひ弱そうな印象しかない。
それでも彼に頼りなさより繊細さを感じるのは、きっとこの大人びた表情の所為でしょうね。
目立たないように見えるけど、他の新入生とは、少し違う…。
そんな風に初対面の人間を観察するのが、私の癖になっていた。
観察して、分析する。
恥じるべき事だとは思わない。
例え初対面であっても、相手を知っておいて損は無い。
自分が傷つかないためにも、相手を傷つけないためにも。
そうやって見ていると、ふと、目が合う。
すると彼は、照れと苦りを混ぜたような笑いを浮かべた。
表情自体はよくある反応だったけれど、目だけが違う。
それは、人を安心させるように、労わり、包み込む瞳。
天性のものもあるのでしょうけれど、きっと、それは彼が長年、そうしなければならない状況にいたからではないかと、私は推測した。
結局、その時の彼との会話は、そのまま発展することなく終ってしまったけれど。
それからというもの、彼の行動は私の目に残るようになった。
それは、今でも。
いつもの桟橋。 そこから少しずれた湖のほとりで、森野は片足を水の中に浸していた。
森野がゆらゆらと足を動かすたびに、水面もゆらゆらと動き、波紋が広がっていく。
「この行動、私らしくない?」
横にいる僕のほうを向き、試すような口調で問いかける森野。
珍しそうな表情でも浮かべてしまっていただろうか。
「いや、森野らしいってよく分からないんだけど…」
いまだに森野の性格って把握できないからなぁ。
表情の多い縁川とか漂介より、ずっと突飛な行動をとるし。
「靴下まで脱いでるし。 しかも片方だけ」
言いながら、僕は自分の足元にあった森野の靴下を見る。
いつもどおりの乳白色の、長いあれだ。
「ニーソックス、正確にはオーバーニーよ。 萌え萌えね」
「も、萌え萌えってなんだよ」
僕は動揺しながら森野の言葉にツッコミを入れた。
先生が持っている銀河連盟のマニュアルに、そういえば何回か書かれてたけど…。
後、跨が頂点に達した時とかに言う言葉だ。
「確かに、この格好も不自然ね」
「じゃぁ何でやってるんだよ」
「自分でも分からないわ。 これはミステリーね」
「そ、それで済ませちゃって良いのか?」
「草薙君」
「何だよ、森野」
再度森野の呼びかけ。
彼女は僕に視線を合わせると、水面に浸した足はそのままに、ニーソックス、正確にはオーバーニー…に包まれた足を向けてきた。
「取って」
軽く浮かしたその足の指をくい、くいっと動かす。
その、足を開いて、しかも軽く上げている状態だから、何がナニで、その、何というかとてもきわどい。
「ととと、取ってって、森野!」
「何?」
「 出来る訳無いだろう!!」
「何か問題が?」
「ありまくりだよ! つーかありすぎて余ってるよ!」
「素敵なツッコミね」
「そーじゃないだろ! 論点はそこじゃないだろ!」
「何処?」
「何で俺が森野を脱がさなくちゃならないんだよ!!」
言った瞬間、何故か急に静寂が訪れる。
要因としては、森野が立てていた水音が消えたこと。
後は、気のせいだとは思うけど、心なしか、ほんのちょぉっと、森野の視線が冷たくなったような気がした事が原因だ。
「草薙君」
「は、はい?」
なぜだか背中に冷や汗が流れる。
「いやらしいわね、うふふ」
棒読みで森野が笑う。
「も、森野が言ったんじゃないかぁ!」
「私はただ、そこにあるソレを取ってほしいと言っただけよ」
「ソレって…、もしかしてコッチのこと?」
ふと、僕は足元に落ちていた森野の靴下に気がついた。
「ええ、ソッチのことよ」
よく見れば、浮かした森野の足が示す先にはソレがある。
「手、手で示してくれよぉ…」
俺は肩を落としながら、そのついでのように靴下をつまむ。
「さすが萌え萌えね」
「だから萌え萌えって…」
森野は水面から足を上げると、鞄の横にあったバックを手繰り寄せた。
中からタオルが現れる。
森野はそれを使って、濡れた自分の足を拭き始めた。
ふくらはぎ、足の指の一本一本、水がはねたのか、スカートをちらりと捲って太もも。
「うぅう…」
さすがに直視できず、僕は目を逸らしていた。
目を逸らしても描写できたのは、その、まぁ…。
「うふふふふ、若いわね」
「森野だって同い年だろ!」
「精神的には年上よ」
「肉体的には一緒!」
そんな事よりいい加減、この風に靡くオーバーニーという代物を受け取って欲しい。
「草薙君…」
「ん、森野?」
「肉体的女子高生の生足…」
悪戯な瞳を僕に向けて、ニヤリと笑う森野。
「だあぁあぁ、もう!」
からかわれてるのは分かるけど、顔が赤くなるのは抑えきれない。
しっかりしろ、しっかりしろぉ、草薙桂。
お前はいつも先生のすっごいの見てるだろ。
すっごいのを…。
ダメだぁ、余計熱くなってきた。
居たたまれなくなって、僕は空いた手で自分の顔を覆った。
「…うふふ」
何がしたいんだよ、森野は。