魔王の家の村娘A

12話 VSプール


「そっか、アンお姉ちゃんって泳げないんだ」
「はい……」
 良を待ちながら、アンは舞と並んで壁に寄りかかっていた。
 目の前のプールでは、人々が楽しそうに水の中を遊んでいる。
「ごめんね、そうだと知ってれば私、ちゃんと準備してきたんだけど」
「い、いえ良いんです。それにしても良さん来ませんね」
「あ、うん、そうだね。お兄ちゃんってば何……」
 言いかけた舞の言葉が、途中で止まる。
 彼女の視線の先、良が歩いてきていた。
「あ、良さーん」
 アンが手を振ると、そんな事せんでも見えとるわ。とでも言いたげに良の顔が歪む。
 その肩には、中をくりぬいた車輪のようなものがかけられていた。
「あ、あれは?」
「浮き輪!」
 アンが尋ねると、そう答えながら舞が良へと突撃していく。
 そして彼の腰に抱きついて、臍に頬ずりしながら叫んだ。
「お、お、お兄ちゃんの気配り博士ー! もう、今日は私が思いっきり撫でてあげる!」
「や、やめんかこそばゆい! ていうか恥ずかしい!」
 それを必死で引き剥がそうとする良。
 彼女の喜びようが分からず、アンはそぉっと彼らに尋ねた。
「えーっと、それって何なんですか?」
「浮き輪だよ浮き輪! これがあればアンお姉ちゃんも泳げるの!」
「そ、そんなマジックアイテムが!」
「マジック! ではなく! 科学の! 産物、だ!」
 ようやく舞を引き剥がしてから、良はアンにその浮き輪とやらを投げてよこした。
 それを顔にぶつけながらキャッチするアンに、彼はため息をつきながら言う。
「お前のようなドン臭い奴なら有り得ると思ったが、案の定それだ。どうせ海もない田舎で育ったのだろう」
「み、湖ならありましたよ! 私は……泳ぎませんでしたけど」
 顔をさすりながら、アンは言い返す。
 湖はアンのお気に入りの場所だった。あくまで、足を冷やしたり水浴びをする為のものではあったが。
「何の自慢にもならんわ」
 もちろん、良も湖の水の如く冷たくそう返す。
「お兄ちゃん、これを膨らませてて遅れたんだね」
「……ポンプも持って来るべきだったな」
「で、でもとにかくありがとうございます! 良さんって本当に……」
「新雪を踏み荒らすような行為が好きだよね」
「だからどういう例えだ!?」
 また例の言葉を言いかけたアンを、舞がフォローする。フォロー……した。
 良ももはや諦めたらしく、彼女が何を言おうとしたかは察しつつも、それ以上追求しようとはしないようだった。
「ところでお兄ちゃん、何か言う事ない?」
 その彼に、舞が後ろ手を組みつつ尋ねる。
「は? え、あぁ」
 言葉に詰まりながら、その意図を察したらしく、良がアンを見る。
 彼女が着ているのは、ピンクを基調としたビキニというもので、何といつもの乳当てにある肩紐がない。
 舞はバンドゥタイプとか何とか呼んでいたか、要するに布を真横に巻いたような状態である。それでも事前調査のおかげかアンの胸にはフィットしており、そうそうズレる気配はないのだが、やはり不安だ。
 下にはパレオという腰巻をつけ、普通の物より露出度が低いのだが、何故かこちらのほうは若干きつい。
 私って平均よりお尻が大きいのかしら。アンは若干落ち込んだりもした。
 そんなアンの体を、良は盗み見るようにチラチラと見ている。
 何だか無遠慮に見られるよりずっと恥ずかしい。
 アンは剥き出しの臍を慌てて隠した。
「俺は雷か。……まぁ本体の地味さを水着がカバーしているのではないか?」
「何で素直に似合ってるよって言えないかなぁ」
 もう見ないぞ。という意思の象徴なのか。良が露骨に顔を逸らしながら言う。
 そんな良に呆れ顔をする舞だが、アンは大して気にしてはいなかった。
「えへへ、だ、大丈夫です。私、良さんの言葉は良い方に考えるようにしてますから」
「お前も段々図太くなってきたな」
 アンが照れながらも精一杯微笑むと、良が露骨に嫌そうな顔をしてそう呟いた。
「うん、それがいいよ。あ、お兄ちゃん私は?」
「ナンパされたりしたら即逃げろよ。お前に興味があるって事は間違いなく変質者だ」
「ぶぅー」
 碌でもない感想を言われた舞が頬を膨らませる。
 彼女の水着は黒地に白い水玉の、確かワンピースという水着で、こちらは腰に短いスカートのような物がついている。一見子供っぽいそれだが、股のV字のカットが割ときわどい事を知っているアンとしては、彼女に似合いの水着だと思う。
「わ、私は凄く可愛いと思いますよ」
 多分、兄に気に入られようと厳選した水着だろう。
 そう思ったアンは、彼女を慰めた。
「わーん! やっぱりアンお姉ちゃん大好きー!」
「ひゃっ」
 すると舞は、今度はアンに抱きつき、その臍にぐりぐりと顔を押し付けてきた。
「お前ら、毎日一緒に風呂に入ってると思ったら、いつの間にかそんな関係に……」
 良が一歩引き、妹の性の歪みが信じられないような口調で呻く。
 風呂での事を思い出すとあながち間違ってはいないので、否定できないアン。
「体はお兄ちゃんに調教されても心はアンお姉ちゃんの物だよー」
「お前らの爛れた関係に俺を巻き込むな!」
「どちらかと言うと私が巻き込まれているような……」
 舞のスキンシップは、良に撫でられない欲求不満が原因な訳だし。
 そうは思ったが、良は舞の病気についてあまり正しく認識していないようだし、アンもどちらをどう正せば良いのか分からないので言わないでおいた。
 それはそれとして、流石に周囲の視線が痛くなってきたので、舞を引きずりながらアンは隅へと移動する。
「とりあえず、準備運動をしてから入るぞ」
「え、ここで胸を揉むんですか!?」
「そっちの運動じゃねぇよ! ただの準備体操だ!」
 ここで魔力開放運動をするのかと勘違いしたアンの声を掻き消そうとするが如く、良が叫ぶ。
 ちなみに魔力開放運動の方は風呂上りに継続中であり、年齢層がバラバラの男女がそれぞれ自らの乳を揉むという異様な光景が夜な夜な展開されている。
 アンが付き合う必要はないと言えば無いのだが、まぁこの世界の食べ物はとても栄養があるらしいし、乳当ても買ったし……という訳で彼女も参加していた。
「準備体操……って、どうすればいいんでしょう」
「あぁもう。俺の真似をすれば良い!」
 首を傾げるアンに、良はじれったそうに叫んだ。
 彼が体を動かし始めたので、アンはそれを真似て準備運動とやらを行う。
 五分ほどそれを続けてから、ようやく良は良しと言い動きを止めた。
「はぁ、はぁ、こんな所だろう」
「結構入念にやるんですね」
「お兄ちゃんは心配性だから」
 既に息が上がっている良が、額の汗を拭う。水着の裾を直しながらアンが聞くと、途中から手を抜いていた舞が苦笑した。
「バカ言うな。この女は水に入った途端足攣ってシンクロ的なポーズで死にかねん。だからこれでも足りないぐらいだ」
「そういうの心配性って言うんだと思うんだけど」
「あ、お前水に入るときはちゃんと胸に水を当ててからにするんだぞ! お前の場合八十パーセントの確率で心臓麻痺を起こすからな!」
「そ、そんなに高いんですか!?」
「気にしなくて良いよー。お兄ちゃんはちょっと病気なの」
 ビックリするぐらい信頼されてないけれど、まぁ少なくとも突然死なれても嫌とは思われているって事よね。
 アンは自分にそう言い聞かせ、良がするのを真似て胸に水をかける。
「ほれ、浮き輪だ」
 良に再びそれを投げられ、再度顔にぶつけつつ受け取るアン。それから彼女は決意を固め、良を見上げた。
「上に立てばいいんですね?」
「違うわ! その穴にお前の体を通すの!」
「ごめんお兄ちゃん。私もちょっと気持ちが分かってきた」
 つっこむ良と、それに同調する舞。これって異世界の壁かしら。
 そんな風に思いながらも、アンは言われた通りに浮き輪とやらに体を通す。
 そして、ドボン、と着水。
「浮いてる! 浮いてます!」
 あまりの感動に、アンは声を上げた。
 水に入れば即座に沈んだ自分の体が、今は足をつけずに水中を漂っている。
「……あまりはしゃぐとこの場所からも浮くからやめろ」
「って、わ、わ、なんか流されてます!」
「流れるプールだからねー」
 同じくプールに入った兄妹が、彼女の傍に寄って浮き輪を抑えた。
「だ、大丈夫なんですか? あまり流されると滝壷に……」
「そんなデンジャーな場所ではない」
 彼らの話によると、水の流れを人工的に作っているだけで、流されても滝や河口に付く訳ではなく同じ場所にぐるりと戻ってくるらしい。
 回転寿司みたいなものだと良は説明したが、アンにはよく分からなかった。
 そうして流れるプールとやらを三周ほどした頃だろうか。
 浮き輪の上に足を出す方法も教わり、上機嫌で足で水面を叩くアンに、舞が尋ねた。
「アンお姉ちゃんって、まるっきり泳げないの?」
 その質問に、アンの顔が曇る。気にしない、と決めたはずだったが、やはり落ち込む気持ちは止められなかった。
「あ、はい。魔力孔がありませんから……」
「何か関係あるの、それ?」
 顔を俯かせたアンに、舞が不思議そうに尋ねた。
「え? だって魔力孔が無いと水に浮かないじゃないですか」
 言い返して、アンは何かがおかしいと気づいた。先程から舞は平泳ぎとやらを披露しているが、彼女はこの間まで魔力孔さえ知らなかったはずで……。
「そうなの、お兄ちゃん?」
 そんな彼女が、泳ぎながら良に問いかける。
「人間が水に浮くのは、水より密度が低いからだ。魔力などはいっさい関係ない」
 すると彼は、スラスラとアンに解説をした。
「えぇ!?」
 俄かには信じられず、驚愕の声を上げるアン。前半はさっぱり意味が分からないが、後半は彼女の常識とまるで違う。
「信じられないなら、そうだな」
 良が、ゆっくりと、浮き輪に座ったアンににじり寄る。
「な、何ですか良さん。何か凄く嫌な予感がするんですけど」
 悪寒を感じ、アンは手で水をかき彼から逃れようとするが、水の流れに逆らう形になりむしろその接近を助けてしまう。
「フハハハハ、自分の身で体感しろー!」
 高笑いを上げ、良が浮き輪をひっくり返した。
 視界がぐるりと回転し、アンの体は水中へと没する。
 急いで水面へと戻らなければ、しかし体が動かない。
 気付けば大変、浮き輪にお尻が引っかかってる!
 もがく彼女の尻を、誰かが上から押した。
 それでようやく体が自由になり、アンは慌てて目の前の物に縋りつきながら体を水面へと引き上げた。
「な、バカ、そんなに慌てるな! 足なら余裕で付くだろう!」
「いやーーー!」
「ちょ、やめろ! ど、どこを引っ張っている!?」
「お、お兄ちゃん水着! アンさんも!」
 舞が叫ぶが、それどころではない。
 アンは必死でそれに昇り、しがみ付く。
「あぁ! 二人が公衆の面前でやっちゃいけないような格好にー!」
 両足をもつかって抱きついたそれと自らの格好に気づいたのは、それから数分後の事だった。

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