「美奈知ってる? 丸呑みお化けの事」
 ――放課後、鞄の中に教科書を詰めていた私に、遠藤絹子さんが問いかけてきた。
 彼女は私が帰ろうとするといつもそんな、くだらない話を振ってくる。
 そんな中でも今日のものは特に、意味が分からなかった。
「丸呑みお化け?」
 私がオウム返しに問いかけてしまったのも、致し方事だと思う。
「そ、通学路に出るらしいの。 見た子だって何人もいるんだから」
 ……お化けも随分身近になったものだ。 なんて考えながらも私は帰り支度をより急ぐ。
「ちょ、ちょっと聞いてよ。 本当なんだって。 知ってる? 今うちの学校って行方不明の子が何人も居るらしいよ。三組も平井さんだって学校来てないし」
「そんなの風邪か何かでしょ。 そんなに騒ぐ事じゃ……」
「きっと皆丸呑みお化けに食べられちゃってるんだよ。 美奈も気をつけなきゃ」
 この子は、自分がはしゃぐ為ならどんな話題だろうと良いのだろう。
 本当にその丸呑みお化けが存在していて、誰かを食べているというのなら、そんな明るい顔で話せる内容じゃないと思うのだけれど。
「……気をつけなきゃって。丸呑みにするんでしょう? どうしようもないじゃない」
「それが違うのよ。 丸呑みお化けは普段は普通の人間のフリをしてる化け物なの」
「化け、物……」
「そう。 で、地面に蹲ってるんだって。 頬を押さえて」
 彼女はそう言うと、自分も言葉通りのポーズを取って私にわざわざ示して見せる。
 セーラー服の隙間から背中が見えた。
「それで、どうしたんですかー? って声をかけると。 ほら、美奈かけて」
「……どうしたんですか?」
 バカらしいと思いながら言われた通りにする。 だってこの娘とあまり長く話していたくないし。
「彼女は手をはずしてニヤっと笑うの。 その口が耳まで裂けていて――」
「口裂け女じゃない」
「んもう! 違うんだってば! 口裂け女はポマードって言えば逃げるでしょ!?」
 私が割り込むと、遠藤さんは憤慨した様子で立ち上がり、机を叩いた。
 だって、口が裂けていればそれは口裂け女だろう。
「彼女って言ったけど、男か女か分からないの。 オカマじゃなくてええと……」
「中性的?」
「そう、そんな感じ。 で、そこがミソなの。 彼女は声をかけた相手に問いかける訳よ」
 私が言葉を見つけてやると、彼女は勢いに乗ったようで私に顔を近づけた。
「私達と遊ばない? って……」
「達?」
「えーと、冥界とか死後の世界とかそんな感じじゃない? ってそこは重要じゃないの。 重要なのは……それが男の声で聞こえるか、女の声で聞こえるか」
 声を潜めて彼女が言う。 どうせ同じ話を他の子にもするんだろうから必要ないと思うのだけれど。
「男の声で聞こえたら、その子は助かるらしい。 でも女の声で聞こえたらその子は……口がガバッと開いて、丸呑みにされちゃうらしいの」
 自分の言った事が恐ろしかったらしい。 そう言うと遠藤さんは机から離れ、キャーキャーと跳ねた。
 馬鹿馬鹿しい。 馬鹿馬鹿しすぎる。
「じゃぁその女の声は誰が聞いたのよ」
「あ……」
 私が問いかけると、彼女は固まった。 女の声を聞いたら丸呑みにされるのでは、目撃者など出ようがない。
「それじゃ、私帰るから」
 ちょっと得意になった自分を打ち消すために、ことさら冷たく告げ、私は教室を出た。
「あ、ちょっと美奈―」
 それでも背後から声がかけられるが知った事か。
 まったくもって、時間の無駄だったと言う他無い。
 どうせよくある学校の怪談だったのだ。
 いや、もしかしたら彼女が私をからかう為に作った創作だった可能性もある。
 友達のいない私を、笑いものにする為の。
 私はため息をついた。 冬も終盤だというのに寒さは一向に弱まる気配が無い。
 排気ガスにまみれた大通りを左に抜けると、狭く長い細道に入る。
 そして私は、そこで見つけてしまった。
 蹲る、薄汚れたコートを着た人物を。
 その体は壁側ではなく道の方に向いており、体調が悪い訳ではなさそうに見える。
 誰かを、待っているという姿勢だった。 
 噂通り、その頬には手が当てられていて顔はよく見えない。
 髪が肩まで伸びていて、確かに女性に見える。 でもコートは男性のものだ。
 遠藤さんの悪戯ではないか。 ふとそんな可能性が頭を過ぎった。
 いくらなんでもタイミングが良過ぎる。 きっとそうだ、彼女が誰かと組んで私を驚かせようとしているのだ。
 ……本当にそうだろうか。
 どちらにしろ声をかける必要は無い。 しかし引き返すのも癪だ。
 私はなるべくそっけないフリをしながら、その人物の横を通り過ぎようとした。
 その時――。
『私達と』『遊ばない?』
 声が、聞こえた。 女の子の声だ。
 話が違う。 こちらから声をかけなければ成立しない怪談だったはずなのに。
 いや、きっと通り過ぎようとした私に慌て、この女が段取りを無視し声を出したのだ。
 冗談じゃない。 怯えてたまるか。 私は毅然とそいつを睨みつけた。
 睨み付けたその顔は、やはり男だか女だか判然としなかった。 でも薄汚れた格好の割にやけに綺麗な顔で、私は不覚にも一瞬見惚れてしまう。
 私と目が合った彼だか彼女だかは、ニヤっと笑った。
『見つけた』
『見つけた』
 また、声が響いた。 だが、目の前の口はにやけたまま動いていない。
 私は周りを見回す。 しかし、周りに他の人の気配はない。
 恐ろしい。 聞こえなかった事にしてもう一度歩き出したい。 けれど、足が動かない。
 竦んでいる私の前で、今度は、バリッという音が鳴った。
 恐る恐る、目の前の人物を見る。 すると――。
 口が裂けていた! 頬が裂けその下から歯が覗いている!
「あ、あ、あ……」
 私はその非常識な光景に、私は意味のある言葉を発する事ができない。
 足が痙攣しながらゆっくりと後退りをはじめ、次で私が背後へと駆け出そうと必死で力をかき集めた一歩、それが。
「え……?」
 思い切り、空を切った。 
 私は確かに地面を踏んだはず。
 しかし、それが無い。
 代わりに私の足元には、真っ黒い穴が出現していた。
 さっきまでこんなものは無かった。 絶対におかしい。
 これは悪い夢だ。
 否定する私の心とは裏腹に、体はその唐突にできた奈落へと傾いていく。
 そしてそのまま重力に従い落ちる……かと思われた時。
『よいしょっ』『重いわ』
 私の両腕を、持ち上げる手があった。
 手。 手だけだ。 小さい女の子の手首が、宙に浮かんで私を支えている。
「足上げな」
 正面から、低い男の声がする。
 それを発したのは、例の口裂け女だった。
 女、男。 もはや頭の働く余地が無い。
 私は素直にそれに従い、前方へと揃えた足を突き出した。
 それに対して目の前の女……男……化け物が口を開く。 開いた。 まだ開いている。 大きくなっている。
 目の前がピンク色で埋め尽くされてから、ばくん、と口が閉じた。
 口は、地面を、穴を食べていた。
 下顎が地面を削り道路にめり込み、伸びた上顎がその上に覆いかぶさっている。
 まるで水中のカバのようだ。
 ボンヤリと思っている内に力が抜け、私は地面の代わりにそのよく分からない物体の上に足をついた。
「むぎゅ」
『今のは穴型の化け物かしら』
『また逃したわね』
 また、声が聞こえた。 
 声はどこからか聞こえるようでもあり、もしくは私の中から聞こえるようでもあった。
「ふぉふぃはえふどいてふぇる?」
 何を言っているのかわからない、 でも多分抗議だ。
 そう考え、私はそれの頭から降りた。 多分、頭だ。
 私が降りると、それを合図にしたかのようにそれの頭、いや口がしゅるしゅると縮んでいった。
 完全に人間のサイズに戻ったそれが、上目遣いでしばらく固まっている。
 下着を覗いているのだと気づいた私はスカートを抑えながら更に二歩三歩下がり、そいつに問いかけた。
「貴方、何なの?」
 するとそいつは「黒スト越しの白……」などと感慨深げに呟きながら、ゆっくりと立ち上がった。
 そうして、口の端が破れたまま答える。
「立島大輔。 ただの高校生……じゃぁないな」
 ただの高校生? そんな訳はない。
 頭の中で、幼い少女の声が二重に囁く。
 その声を、私はそのまま口に出した。
「……化け物」
「そ、化け物。 君と同じね」
 端の破れた口で、立島大輔はにやりと笑った。
 その言葉に、私は自分の額を抑える。
 私の額は彼の口のように破れ、その隙間から、赤い瞳がキョロキョロと外を窺っていた。


 ミミックコミュニケーション 完


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