立島大輔。 それが俺の名前だ。 確認しなくても変わったりはしない。
 マフラーに指を入れ、俺はそれを緩めた。 更にそこから首の付け根辺りを引っかく。
 皮と中身の境界は、意識しないと見つからない。 そして何処から何処までが化け物の体であるか決めるのは自分自身。
 双子の言だ。 そして俺は、既に自分がどんな化け物か決めてある、らしい。 ならば、あるはずだ。
 かりっ、かりと、何度も同じ場所を引っかいていると、やがて爪に何か引っかかるような感触が現れてくる。
 まるで催眠術にかかっていくよう。 意識すればするほど、ソレは実際にあるものとして俺に、世界に認知されていく。
 そして俺は、ついにその内側に指を入れた。 そこから、ソレを上へ引っ張り上げる。
 普段は紙袋のように脆いソレが、今はゴムのように伸びながら捲り上げられていく。
 鼻まで捲り上げたところで、俺は一気にソレを剥ぎ取った。
 ずろん。 と頭がゼリーになってそれが零れ落ちるような感触がし、完全に中にあった頭部があらわになる。
『ワオ』
『クールな顔ね』
 俺の手から被っていた皮を受け取ると、双子が囃す。 その内側にあった、俺の、化け物としての本当の顔を見て。
「どうなってる?」
 ――自分からはそれがどんなものか見えない。 なので、尋ねてみることにする。
 口を動かしてみると、口の端が半端に破れていた時より、ずっと喋り易い。
 もしかしたら破れていない、人間の顔をしている時よりだ。
『ホラー映画なら主役を張れるんじゃない?』
『六歳以下になら、確実にトラウマを植えつけられるわ』
 双子の評価は、中々高いようだった。
「これが、俺の本当の顔、か」
 表面を撫でると、卵の上にオイルをまぶしたかのようにつるりとしていた。
 恐らく初めて外界に触れるものなのだから、汚れが無くて然るべきだ。 ベビーフェイスというよりは、少々コワモテのようだが。
『違うわ』
『その面の皮も含めて、貴方の顔よ』
 双子の言葉に、思わず顔を上げる。 ぶるんと、顔が震えた。
『私達』
『美味しくないわよ』
「ちげぇ。 驚いたんだよ」
 何で顔を向けただけで捕食しようとしたなんて思われるんだ。 やはり少し自分の顔を確かめたくなってくる。
『驚いた?』
『何で?』
「だってお前ら、散々俺を化け物扱いしてきたくせに」
『あら、これがあるから化け物なんじゃない』
『化けられなきゃ、ただの怪獣だわ』
 何だそんな理由か。 何となく慰めているように聞こえたのだが。
 しかし、その言葉で俺はふと思いなおした。
「ちょっとそれ広げてちょ」
『皮?』
『良いけど』
 俺に言われ、双子が左右から俺の顔の皮を広げる。
 それに対して顔を振り下ろす俺。
 皮の中に頭がはまると嵌まるときゅぽんと鳴り、双子が手を離すとパチンと鳴り、顔を押さえつけて間に入った空気を逃すとぷすぅと気の抜けた音がした。
『あら、被りなおすのね』
『インパクトはあったのに』
「外箱がなきゃ、びっくり箱じゃないからな」
 脅かしてやるのはこれからだ。
 首を撫ぜると、皮の境目は綺麗に消えている。
 マフラーを巻きなおすと、俺はニヤリと笑った。
 いつも以上に、上手く笑えた自信があった。

 我が高校の体育館は二階建てになっている。
 柔道場や剣道場、トレーニング室などの細かい部屋に分かれた一階。 そしてバスケやバレーなどの球技や、全校集会などを行う開けた場所が二階である。
 普段は閉ざされているその二階の扉の錠が、破壊され、床に落ちていた。
 校舎に被害が行かないようにと思って、この場所を選んだというのに。
 まぁ、要するに自分はここにいるぞっていう可愛いミーヤの可愛いアピールだろう。
 更にぷんぷんに怒っているし、お前をバラバラにしてやるっていうアピールでもある。
 可愛いもんだ。
 ニタニタと笑いながら、俺は体育館の中へと入った。
 ヒュン! と、同時に風切音。
 俺はそれが何であるか確認する前に、左前方へと転がった。
擦れるようにして、黒い塊が脇を通過していく。
『良い反応ね』
「中学の時、こういう時のシュミレーションよくしてた!」
『それは厨二妄想よ』
 などと冗談を言い合っている暇も無い。
 それが体育館の梁に右腕の蔦を巻きつけ、ターザンのように俺めがけぶつかってきた雅だと理解した時には、彼女は俺の頭上、入り口の上の壁に足をつけていた。
 三角飛びの要領で、その勢いのまま壁を蹴り、まるで独楽のように体を回転させる。
 梁から離れた蔦が、雅の高速回転に合わせてリズムよく体育館の床を襲った。
「ひぃぃぃぃ!」
 恥も外聞もなく、四つんばいになりながらその嵐から逃げ惑う俺。
 双子の呆れ顔など目に入らない。
「だっかっら、人間の動きじゃ、ねぇだろ!」
「私は、人間ダ!」
 最後に一際強く打ち付けてきた鞭打を、前転で避ける。
「お前が人間なら、俺だって人間ダ!」
 少なくとも今悲鳴を上げている手足だけは。
 お前が自分を人間だって言うなら、俺だってそう言い張ってやる。
 だから俺は、敢えて言う。
「この人殺し!」
「どの口が言う!」
「こんな口デース!」
 言いながら口を開けると、顎が床に落ち、舌がでろんと垂れ下がった。
「シ、ネェ!」
 そのアピールで雅の怒りが限界を超えたらしい。
 咆哮とともに、右手の触手がまとまっていきドリルを形成。 同時に彼女は俺めがけて駆け出してきた。
 猪かお前は。 なんて思いながら俺はバネ仕掛けのごとく勢いよく顎を閉じる。 その勢いを首を捻り横に流しながら、俺は体を沈みこませた。
 頭が妙に冷えていて、雅の咆哮も耳の中で反響するだけ、脳の中には届かない。
息を吸い込み、横目で標的を見据えると、まるで自分が撃鉄を起こされた銃になったような気分になる。 もしくは、開けられるのを待つびっくり箱だ。
 体の中の全ての機能、器官が、一つの目的の為に集約していく。
 つまりは、目の前の女を食らう。 それだけの為に。
 そして俺は、それを解き放つ。 いや、留めることなどできなかった。
 衝動のままに顔を正面に向けると、口が勝手に開きまるで津波のように広がっていく。
 新しく生まれる歯が肥大化し牙となる歯を押し出し口が広がっていく。
 舌がレッドカーペットのように伸び、獲物を捜し求める。
 空気が口の中を駆け抜け、吸い込まれていく。
 人類の、生物の基盤を無視した成長が、俺の眼下で行われていく。
 その途中で、俺は首を無理やり捻った。
 首の力も普段より大きくなっているようだが、流石に上顎下顎それぞれの重さに耐え切れず、両方が地面へと落ちていく。
 ガガガガガガガブチッ!
 体育館の床と壁、それと一緒に何かが千切れる音がする。
「あががっ」
 慌てて雅の居た場所を見る。 彼女は右手を押さえ、歯を剥きだしていた。
 良かった、彼女を食ってしまっては意味が無いのだ。
  などと平和な感想を抱いている暇は無い。 雅は再度俺に突進してくる。
 そういえば俺は今彼女から顔を背けていて、なおかつ今まで生きてきた中で一番とも言える体の動きに強引に逆らった所為で、体勢を崩している。
 今襲われたら、ひとたまりも無いわけで。
「た、たんみゃ!」
 広がりきった口で伝わるはずも無い。 伝わってもタンマしてくれる訳も無い。
 さっきのは触手の一部を切り取った音だったようで、ドリルの一部が欠け赤いモノが飛び散っている。
 観察する余裕があるわけではない。 ただ単に恐竜のようにバカでかくなった顔の所為で動けないのだ。
 絶体絶命。 俺がそう感じた瞬間。
 ドム!
 という音とともに俺達の間に何かが降ってきた。
 先程の俺の動きの不審さも相まってか、鋭いバックステップで飛びのく雅。
 口を閉じたまま中の空気を吸い、布団圧縮機のように早く縮めと念じながら、俺は落ちてきたモノを目で追う。
 それは、バスケットボールだった。 体育館の天井に挟まっていたものが、雅のターザンアクションで落ちてきたらしい。
 更に続いて、バレーボールやゴムボールまで一斉に天井から落ちてくる。
 それがボンボンと床で跳ね、まるで体育館がコンサートホールのような有様になった。
 雅より日本の体育館事情に詳しい俺のほうが先に事態を察知し、何とか持ち運びできるようになった頭を持ち上げ、そのスコールの中を颯爽と逃げ出す。
 雅が触手を伸ばしたが、俺が体育倉庫の扉を開けて滑り込み、威嚇するように口を開くと一瞬その動きが止まった。
 その隙に、俺は扉を閉める。 そして息を吐いた。
 閉まった扉を、触手が乱暴に叩いてくる。
『危なっかしいわね』 
『あのまま食べちゃえば良かったのに』
 心休まる暇もなく、双子が交互に喋りだす。
「食ったら意味ねぇだろ」
 息を整えながら、俺は彼女らに答えた。
 ここでアイツを食ったら、綾菜が最後にやったお節介の意味が無くなってしまう。
 俺が今殺されかけている意味も無くなってしまう。
『それで貴方が死んだら』
『もっと無意味でしょ』
 そんな事はない。 とりあえずそれで、綾菜の死の真相を知るものはいなくなる。 愛華も雅が何とかしてくれるだろう。
 だが確かに、俺は雅に殺されてやる気も、彼女に愛華を譲る気もなかった。
 俺が彼女をわざわざ学校に呼び出したのは、これから来る愛華との対峙に邪魔が入らないようにする為だ。
 俺がやられた時の為に、両方を同じ場所に呼び出しはしたが。
 つまり俺は、自分より明らかに強くて殺意が満々の奴を、あと十分程度で殺さないようにしつつ、邪魔にならないように無力化させなければならない。
 世間的に言う無理ゲーだ。
 クロロホルムでもあればなんて思ったが、アレを使っても短時間で気絶なんてさせられないらしい。
 首の付け根叩いても、腹を叩いても、素人じゃそう簡単には意識を絶てないそうだ。
 さて、ならばどうするか。
 考えていると、再度扉が強く叩かれた。
 貫通はしないだろうが、こう何度もハートをノックされては雅にもっと惚れてしまう。
 俺は声を張り上げて彼女に話しかけた。
「ミーヤ! そんなに振り回しちゃ触手が痛いだろ!」
「ショク、シュ? 何のことだ!」
 雅は残念ながら、ジャパニーズHENTAIゲームをプレイしていないらしい。
「今ガンガンぶつけてる奴だよ! 俺の歯に挟まってる奴!」
 実際は気づかぬうちに飲み込んだのだろうが、俺に噛まれたという事を意識させるべくそう説明してやる。
 すると彼女が触手でのノックをやめた。
 ガン! と、かと思えば一際大きくドアを叩かれる。
「……ぐっ」
 が、呻いた。 ほら、やっぱり痛いんだ。 それとも、痛くなってきた、か?
 彼女の蔦は決して即座に生え変わるものじゃない。 更に痛覚も有している。
 彼女が、それを無意識に自分の一部だと認めている証拠だ。
 そして彼女は、今日の体験からそこへのダメージの記憶が刷り込まれている。
「お前の触手はお前の弱点でもある。 繊細に、意のままに動くからこそ、神経がそこに集まってるんだ」
 本当に意のままに動いたのなら、綾菜を殺したりはしなかっただろうが。
 だが、それは永遠に知らないでいていただこう。
「それを引っこ抜かれれば……ショック死してもおかしくないと思わないか?」
 そして、ここは大げさに。 つまりはこれが俺の狙いだ。
「その触手、食い千切ってやる」
 ドアを叩く音も雅の罵声も聞こえなくなり、一瞬の沈黙が落ちる。
 そうだ、考えろ。想像するんだ。 雅は、純粋で素直な少女だ。見たままを信じ、聞いたままを受け入れる。
 そうしないと多分今まで心を保ってはこられなかっただろうし、本当を知ってしまえば彼女は耐えられないだろう。
 頭の中に、雅の笑顔が浮かぶ。
 つってもそんなものが見られたのは、数えるほどしかないが。 これからも、二度と見る事はないだろう。
「ダとしても、お前なんかにこれ以上食べさせナイ」
 うん、乗った。 彼女の代わりに俺が下卑た笑いを浮かべてやる。
 後の問題は、俺の度胸だけだ。
 体育倉庫の中を見渡す。 その中に目についたものがあり、俺は口を広げた。
 バクン。 と、飲み込まないように注意する。
 そして、すっかり凹み、立付けの悪くなった扉を苦労して四分の一ほど開くと、即座に触手が飛んできた。
 ドアの陰に隠れ直し、俺はそれをやり過ごす。
 触手はドアの奥までには入り込んでこない。
 ヘイヘイ触手ビビってる! ってやつだ。
 それを確認し、俺はドアの隙間から唇を出す。
 それを窄め、息を噴出すと、ボフッと音がし、そこから勢いよくバスケットボールが射出された。
 雅がそれを、何本かまとめた触手で弾く。
 ドアを蹴飛ばし、俺は自らの姿を彼女の目に晒した。
「ナッ!?」
 いびつに膨れ上がった俺の両頬を見、雅が驚きの声を上げる。
 彼女が動揺した隙に、俺は口の中に詰め込んだドラム缶サイズの籠二つ分のボールを次々に発射した。
 流石にそれぞれを弾ききれないと判断したのか。 雅は、触手を扇風機のように振り回し弾き始める。
 スイカの種のようにボールを飛ばしながら、俺はじりじりと間合いを詰めていった。
『『あ』』
 だがその時、双子が前方やや上に現れ、同時に声を上げる。 その視線は上。
 ひょっとこ口のまま目線だけ上を見るという、バカにしているとしか思えない表情をしながら、俺もまた天井を見上げる。
『『私達の皮!』』
 すると、天井から羽衣のようなものが舞い降りてきていた。
 実際に羽衣なんて見た事がないので、これが正確かは分からない。
 が、半透明でオーロラの如く輝き色を変え落ちてくるそれを、他にどう表現すれば良いのか分からない。
 何故あんな場所にあるのか。 犬が飼い主の元に返るように、皮も本人の元に戻ろうとするのか。
 それが何故体育館の梁に、ボールとともに引っかかっていたのか。
 疑問は尽きないが、それよりまずい。
 アレが落ちていく先は、雅の振り回す触手の真っ只中だ。
 事態を認識すると、俺は砲撃をやめ、頬の間から息を吸い込んだ。
 双子の皮は俺みたいに再生しない。 彼女らが言っていたことだ。
 ダッシュで一気に雅に近づくと、今度はバッと息を吐きながら散弾のごとく一斉にボールを吐く。
 それは全て触手のスクリューに防がれたが、雅が一歩後ろに退く。
 しかしすぐに、雅は回転のまま触手をドリルに形成し直し、俺に突き出さんとした。
 俺は舌にホールドしていた最後のボールを彼女にぶつけ、それを阻止しようとする。
 だが触手の一部が分解し、それを弾いた。  弾かれた先には、先ほどの双子の皮。
 ボールに押された皮が双子の浮いている中空へ。
『『アターック!』』
 双子はそれを、同時に叩いた。
 双子の手に皮がまとわりつき、白い手だけが体育館に浮かんだ。
 ボールが雅の顔に直撃し、彼女は体勢を崩す。
 チャンスだ。 俺は口を広げた。
 が、恐るべきは占い師の精度。 彼女は顔面をボールで塞がれているにも関わらず、更にもう一段階触手を分割させ、こちらに向けてくる。
 その先は、闇夜に浮かんだ双子の手。
 バチィン!  という乾いた音。 それと共に手が弾かれる。
 双子と雅の触手の間に差し出された、俺の左手が。
 焼けた鉄棒を押し付けられ、それで皮膚を剥ぎ取られるような感触と同時に、腕全体が上がらなくなる。
 触手が巻きなおされ、雅のドリルが再び俺を襲う。
 突き出されたそれを、俺は間一髪。
 自らの前歯で受け止めていた。
 キュイイイイン!
 と、かまわず回転を始めるドリル。
 それが口の中に滑り込むのを防ぐ為、強くドリルを噛むが、それはガッガッガと断続的に回転を続け、俺の前歯を削っていく。
 首と腰に一気に力を集め、俺はドリルを咥えたまま右へと頭と体を振った。
 雅の体が浮き上がる。
 更にその体を遠心力の命ずるままに、一回転、二回転、三回転。
 振り回す度に、ドリルを形成する触手がほどけていく。
 まるで恋人達の輪舞のよう。 ついに触手は麺のように伸びきり、雅はより一層遠心力をその身に受ける。
 ブチ、ブチブチ!
 嫌な音がして触手が千切れていく。
 しかし俺は離さない。 強くその触手を噛みながら、一つの事を念じる。
 ハンマー投げの選手のようになり、三半器官を異常無しと騙し続けながら、ぐるぐると回り続ける。
 ブチン! そうして、ついに最後の触手が切れた。
 遠心力を一身に受け、レールガンもかくやという速度でスッ飛ぶ雅。 彼女は体育館の壁に激突し、力なくそのまま崩れ落ちた。
 口から触手を吐き捨てると、俺は荒く息を吐く。
 雅は、と慌てて彼女の様子を見ると、俯いたまま動かないが、肩は上下している。 流石にショック死はしなかったようだ。
 俺は彼女に、触手が千切れたら意識が途切れる、と露骨に刷り込んだ。
 化け物は自分が思い込んだ通りの体になっていく。 強さも、そして弱点すらも。
 それは雅にも効果はあったらしい。 彼女の腕に毒があるように、俺も雅を噛みながら気絶しろと念じたのも、この結果の要因かもしれない。
 もしくは、ただ単に頭を強く打ちでもして、気絶したのかもしれないが。
 ……後遺症とか残らないよな。
 自分のした事ながら不安になって、雅に近寄る。
『殺されかけた相手の心配?』
『しかも姉の仇なのに』
 確かにそれはそうだ。 しかし、彼女には生きていてもらわなければ困るのだ。
 何で? そんなの決まっている。
 結局俺は、この期に及んでも自分が彼女をどう思っているかよく分からない。
 鹿子に聞かれた時もきっぱり答える事が出来なかったが、今もそれは変わらない。
 綾菜を殺したことを憎んでいない訳ではない。 全ての化け物を殺そうとする傲慢さを許した訳でもない。
 だが、綾菜が死んだ原因は俺にもある訳で、化け物を厭う気持ちもまた俺の中にある。
 俺と彼女は、近過ぎるのかもしれない。
 人の目を恐れ、それでも人の中で生きてきた所、化け物でありながら化け物を憎んでいる所、綾菜に憧れていた所。
 だから、俺はとりあえず。
 彼女と未来が見てみたい。
 これから化け物という存在がどうなっていくのか。 綾菜に助けられた俺が、彼女がそれにどう関わっていくのか。
 一緒に見る事は、多分できないだろうけど。
「……」
 ふと、雅が声を発した。
 日本語、じゃない。彼女の国――出身国の言葉だろうか。
 彼女の表情は見えない。 だが、意識は混濁し始めている。
 まるで、寝言のような調子の異国の言葉が、それを告げていた。
「……蛇は殺しておいてやる」
 どう答えていいか分からず、俺はそんな事を口走っていた。
 彼女が俺に話しかけているかも判然としないのだから、当たり前ではあるのだが。
 彼女の顔を見て、本当の本当を全部ぶちまけたい衝動がこみ上げる。
 綾菜を殺した恨み言。 騙した事への謝罪。 
 ……まとまらないままの、彼女を俺が本当はどう思っているか。
「それじゃ、おやすみ。 いい夢を」
 それらを押し殺し、言葉だけはなるべく軽薄にそう告げ、俺は体育館を去った。


次へ 戻る みみTOP TOP