――それから三十分ぐらい経った頃だろうか。
 駅前に沿った大通りから離れると、この街は途端に田んぼや畑で溢れる。
 シャレた街というイメージをつけたいんだか、書く事がないんだかで、基本的にガイドブックには書かれない箇所である。
 そこも抜けると、目の前に廃ビルがぽつんと立っていた。
 四階建ての物で、前市長が新たな都市開発をしようとして失敗した名残だ。
 人には見つかりそうがないが、つまりは同時に人の気配もない。 こんな所に来るのは、俺みたいに廃墟めぐりが趣味の人間だけだろう。
 俺は汗をマフラーでぬぐい、ため息をついた。
 ここまでで見つかった皮は無い。 今までこれほど間隔が空く事もなかった。
 つまりはまだ、蛇はこの辺りでは犯行を行っていないのだろう。
「そりゃそうか。 いくらなんでもそう毎日食ってるはずが……」 
 ドダァン!
 無い。 と言いかけた所で、俺の安堵交じりの思考をぶち壊す音が響いた。
 発生源は、多分あの廃ビルだ。 というか他に建物が無い。
『あったみたいね』
『ダイエットとは無縁みたい』
 双子が肩を竦める。
「マジかよ……」
『とにかく』
『入ってみましょ』
 ふっと笑った後、ゆるゆると双子は前へ飛んでいく。 
 俺が動かなきゃそれ以上はいけないのだが、引っ張られるように俺の足も進んだので、その進行は非常にスムーズだ。
 これじゃ立場が逆だろう。 心中で呟いたが、そもそも俺がこいつらをリードできた事などない気もする。
 ため息をつきながら、俺はビルに近づいていった。
 ――ビルの入り口は、扉など残っておらず簡単に入る事ができた。
 明かりも死んでいるが、ガラスも張ってない窓から差し込む月明かりのおかげで、内部が見えないという事もない。
 室内は壁が取っ払われていて、柱が剥き出しの鉄骨を晒していた。
 慎重派の頭が前進を躊躇わせる。
  だが、足はもはや片方ずつ双子と紐で結ばれており、目は多分あいつらの尻を人参か何かだと思っている。
 双子が進むと俺の足も嫌々ながら動いた。
 右奥の隅を見ると、二階に上がるための階段が残っている。
 例の如く双子が先行するのでついていくと、ビシィという鞭のような音が響いた。
 もはや駄馬同然の体が、竦んで止まりかける。
 だが、双子が振り向いて上を指差すので、俺は渋々老朽化し瓦礫に埋まった階段に手と足を置き、四つんばいで慎重に上がった。
 ひょこりと二階部分に顔を出すと、バシィとまたも破裂音。
 ひゅっと空気を切り裂く音がして、またバシィ。
 ……あの蛇って、こんな音立てたか?
「くそ、何が起きてるか見えないぞ」
 流石に月明かりでは視界に限界がある。
 俺より視界に自由が効くはずの双子が、俺の体からギリギリまで体を伸ばしているが、結果は芳しくないようだ。
『距離が遠いわ』
『もっと近づいて頂戴』
「…足動かすのは俺なんだぞ」
 簡単に言ってくれる双子を、上目遣いに睨む。
『良かったじゃない』
『好きなステップを刻んでいいのよ』
「スキップと忍び足しか知らねぇ」
 もちろん忍び足を選択し、俺は鉄骨に隠れながらそれに近づいていく。
 ……気づくと、部屋の中を何か甘い匂いが満たしていた。 
 何か、嗅いだ事のある匂いだ。 そんな事を考えながら部屋の中ごろまで進むと、そこでは二匹の生物がぶつかり合っていた。
 二匹、で良いのだろうか。
 一匹目は昨夜見た蛇。 あの黒い体が、月明かりに照らされ浮かび上がっている。 
 そして、それに立ち向かっているのは、鮮やかな緑色をした、蔓だった。
 幾本もの蔓が明らかに意思を持って、月の光を反射しながら蛇を襲っている。
 あるいは蛇に巻きついて動きを封じようと、あるいは蛇を強かに打ち据えようと、あるいはその根元に近づかないよう牽制し。
 そして、その根元。 蔓は、なんと人間の腕に繋がっていた。
 鮮やかな金の髪を翻すそのシルエット。
そうだ、嗅ぎ覚えがあるはずだ。 あの蟲惑的な、植物のような匂い。
 少女、椎名雅は右手の先を蔓に変化させ、蛇に立ち向かっていた。
『あら、貴方の知り合いね』
『つくづく変わった知り合いが多い事』
 双子が茶化すが、それどころじゃない。
 俺はその戦いから隠れるように鉄骨に背中を預けた。 心臓がドンドンと肋骨を叩いている。
『蛇と戦ってるってことは、狩人?』
『でもあれ、どうみても化け物だわ』
 例えばミーヤが俺の正体に疑いを持っていて、しかも化け物を狩る狩人だというなら今までの敵意も頷ける。
 しかし、そちらは推論だ。 だがこれは、今の彼女の姿はどう見たって俺の、双子の、そして蛇の同類――。
 視線を落とすと、床にゴム手袋のような物が落ちている。
 が、それは青白く、五本の突起の先には、人間の爪がついていた。
 厚みはまるでない。中身がない、人間の、手の皮だ。 皮だ。 双子はスキンなんて言っていたっけ。
 バシィ! と、一際高い音がし、俺がそちらに視線を移すと、蔓が蛇を思い切り横薙ぎに払っていた。
 これは、あの、ミーヤ、雅の手が収まっていた、皮だ。
 彼女もまた、自らの皮を脱ぎ捨て、その本性を晒す――化け物だったのだ。
『それにしても強いわね』
『貴方じゃ入る余地無さそう』
 雅は前述の通り、右肘の先を蔓に変形させ蛇を翻弄している。
 そして見え隠れする蔓の集合点には、銀色の針――いや、杭の様な物が飛び出していた。
 つまり彼女の本命は、蛇を捕らえてあれで串刺しにする事だろう。
 そして蛇も近づきたいのは同じなようだ。
 地を素早く這ったと思えば跳躍し、鉄骨に体を巻きつけ、飛ぶかと思えばまた地に戻るという目まぐるしい動きをしているが、雅は惑わされることなく着実に蛇を追い込んでいく。
「……パンピー名乗って良いかな」
『だぁめ』
『化け物でしょ、お互い』
 化け物が四――五匹も集うこの空間は明らかに異常だ。
 腰の下がぐにゃぐにゃとして、現実感がない。
 そりゃ、俺だって一応誰が化け物でもおかしくない、と覚悟してきたつもりだった。
 だが、目の前で知った人間が、化け物、になった時、その衝撃は予想よりはるかに大きかった。
 ついでに、彼女を化け物と呼んでしまうことに酷い罪悪感を感じる。
 誰だって嫌だろう。 化け物呼ばわりされて生きていくなんて。
『あら、動いたわ』
『これは蛇の負けかしら』
 ……こいつらは、そうでもないみたいだが。 自らを進んで化け物と呼ぶ双子は楽しそうに戦いを観察している。 
 そして、その注目の蛇と雅の戦い(この表現でも眩暈がする)にもついに決着がつきそうだった。
 雅の蔓が――我々に慣れ親しんだ言い方で言おう。 一本の触手が蛇を捕らえたのだ。
 それは糸が糸に絡むよう。 次々に他の触手もそれに混じり、グネグネと黒と緑が絡まりながら丸まっていく。
 蛇は触手に牙を突きたてようとするも、その頭部を残った触手がぴしゃりと叩く。
 そうして、蛇がぐったりした頭部だけを露出させた蛇団子が完成し、距離にして十mほどの場所から、雅はゆっくりとそれに近づいていく。
『串刺しね』
『わくわく』
 ごくりと、息を飲みながら俺は彼女の杭を見つめ続ける。
 雅が狩人なら、彼女が蛇を殺し、事件解決が一番いい形なのは分かっている。 しかし、なんだろうこの焦燥感は。
 分かっているのか雅は。 あれは、相手は化け物だけど、だけど俺達の知り合いかもしれないんだぞ。
 分かっているのか俺は。 あれは、相手は化け物で、姫足を食い殺した相手なんだぞ。
 自身が何に不安を感じ、何に焦っているか分からないまま俺がヤキモキしていると、蛇の様子に変化があった。
 頭を叩かれ、ぐったりとした様子だったそいつが急に顔を上げ、するりと蔓から抜け出したのだ。
 あんなものを、あんなもので拘束しようとしたのが間違いだったのか、蛇は地面に体をつくやいなや、再び跳躍。
 雅へと飛び掛った。
 だが、それに対しても雅は慌てなかった。 あるいはそれが彼女の狙いだったのか。
「シネ」
 雅は低く呟くと、腰を低く沈ませた。
 キュイイイイン! 
 同時に彼女の腕から、甲高いモーター音のようなものが発せられる。
 それと共に触手が彼女の腕へと、ほどけ、暴れながら巻き取られていく。
 触手の群れに煽られ、ぶつかられながらも蛇の突進は止まらない。
 空中の蛇に対し、雅が跳躍した。
 触手は杭へと巻き突いてゆく。 肘のほうへ行くほど多くの触手が巻きつき、その形は円錐状。 まるで糸を巻いたベーゴマのようだ。
 もしくは――。
『『ドリル!』』
 彼女はそれを、口を開けようとした蛇の下顎へと叩き込んだ。
 ブチャッという音がして、先端が蛇に突き刺さる。
 双子の表現通り、その途端触手の塊は再び甲高い音を立てながら回転を始めた。
 回転しながら、円錐がドンドン小さくなっていく。
 あれはきっと、あの傷から凄まじい勢いで蛇の内部に触手を抉り入れているのだ。
 脳があるなら、今まさに直接かき回されているのだろう。 蛇の体が声もなくビクビクビクと激しく痙攣している。
「ハジケロっ!」
 雅の声と共に、バァンという爆発音。 蛇の頭部のいたる所から触手が突き出た。
 更に彼女が腕を振りぬくと、蛇の頭が四散し、ちぎれた胴体がずしゃりと地面に落ちた。
 そして雅も着地。 彼女が腕を一振りすると、蔓が周囲に蛇の肉片を撒き散らす。
 俺は鉄骨の裏に隠れなおし、荒い息を吐いた。
「俺、よくあの子にシネ!って言われてたんだけど」
『『へぇ』』
「トーンがまったく一緒なんだ」
『冗談を言わない子なのね』
『有言実行なのね』
 恐らく実行される予定があるはずだ。 俺の正体がバレれば、それは確定事項となる。
「逃げよう」
 俺の決断は早かった。 そっと一歩を踏み出す。
 ベチャ! その踏み出した先には、蛇の黒い肉片が転がっていた。
 活きが良かったのかしれないが、そんな派手な音を出さんでも良かろうに。 死骸で仇とはいえ、その生々しい感触に鳥肌が立つ。
「ダレ!?」
 だが、悶えている暇もない。 案の定ミーヤが鋭い声を発した。
 もう逃げられるとは思えない。 仕方なく俺は鉄骨の影から全身を晒した。
 そしてそんな俺の目の前に写ったのは、俺の姿を見、目を見開いた雅、それに――。
「まだだ!」
 それを認識した瞬間、俺は叫んだ。 自分でもその事態が信じられなかったが、叫んだ。
 雅の足元、胴体だけになった蛇が動いたのだ。 更にその中からにゅるり、粘液に塗れた頭が飛び出した。
 亀かあいつは! と俺が内心ツッコミを入れる間にも、蛇は俺の方を向いている雅に対し、のっそりゆっくりと鎌首をもちあげていく。
「ミーヤ、後ろだって!」
 俺の二度目の呼びかけで、雅はようやく後ろを向いた。
 蛇は彼女が振り向くと、びくりと動きを止め、器用に起動変更をしその足元を這い抜けた。 そして奴が向かう先は――。
「俺かよ!」
 奴は、一直線に俺へと向かってくる。
 叫びつつ、俺は一瞬口を開くか逡巡してしまった。
 今口を開けば、雅に俺の正体がバレてしまう。 だからと言って、開かなければ俺の生涯がジ・エンドだ。
 死ぬよりはマシってので借金を重ねていくと、雪だるま方式に増えていって最後にはあの時死んだほうがマシじゃないかって思うような結果になる。
 だが今回はそれに当てはまるのか? このまま終わって良い訳……。
 などと長考している余裕はもちろんなかった。 蛇は俺の目の前まで迫っており――。
「うわぁぁぁ!」
 しかし、俺が予想していたような食う食われるの関係は、発生しなかった。
 ごつん! と代わりに俺の下顎にひどい衝撃。 
 生え変わった蛇の頭が、俺にアッパーを決めていた。
 吹っ飛ばされて後ろに倒れた俺の上を、蛇がずろろっと這っていく。 その独特の感触に、俺は口を開くどころではない。
 蛇は俺の上を通過すると、ガラスの嵌っていない窓から飛び降りた。
 放心したまま俺は、半ば朦朧とした頭で見送る。 それから急いで立ち上がり窓枠に取り付くが、もう遅い。 
 周囲はただっ広い田んぼだというのに、視線を巡らせても蛇の姿は既になかった。
 なんだったんだ、今の動き。 あれじゃまるで……。
 考えながら左右を見回し、隣で同じ動作をしているミーヤに気づいた。
「に、逃げられちまったね」
 ぎこちない笑顔で、話しかける。 叫んだ時に口が裂けたかと心配したが、そういうことは無いようだ。
 ミーヤはそんな俺をギッと睨んだが、それが如何に手加減した表情か今は分かる。
 いや、かと言ってこの背中に流れる冷や汗は止められないのだが。
「何で、ココにいるの?」
「いや、でっかい音がしたんで何かと思って」
 俺にそう言われると、ミーヤは慌てて窓の外を再度見渡した。
「大丈夫、周りには俺しかいなかったよ」
 あくまで多分。 俺がそう言うと、彼女はほっと息をついた。
 しかし、すぐに俺を再度睨む。 バツの悪さもあってなのか、視線ビームの強さは更に三割減していた。
「ええと……」
『一般のフリをしなきゃ』
『化けの皮を被って、人間のようにね』
 どう話そうか迷った俺に、双子が唐突に助言した。 心臓に悪いからやめてほしい。
「映画の撮影、とかじゃないよね」
『古い』
『ベッタベタ』
 皆がする反応だから、ベタって言うんだろうが。
 内心でつっこみを入れつつ、俺の笑顔も引きつるのを抑えられない。
 しかし、ミーヤはその笑顔を不審には思わなかったようだ。
 理由は多分、俺の視線が一瞬、彼女の右腕――いまだにウネウネと動く触手に向けられた所為である。
「別に、無理しなくて良い。 怖いのが普通ダカラ」
 睨んでいた視線をはずし、俯き、ミーヤは自虐的な笑みを浮かべた。
 そりゃ、誰だって化け物と罵られたり、恐れられたりするのは、辛い。
 彼女だって俺と一緒だ。 そう思うと急に胸が締め付けられる。
 こんな時俺ならどうして欲しい? なんて言って欲しい?
 ――彼女は、どうしてくれた?
「大丈夫、忘れさせてアゲル」
 思い出そうとしていた俺の思考に、ミーヤの言葉が割り込んだ。
 いつの間にか顔が近づけられている。 
 え、何? 唐突に色っぽい展開? いやいやいや。
 俺は窓と彼女から後ずさりして離れた。
 雅の表情は、先程の弱弱しいものから、ゾクりとするような冷たいもの。 蛇を始末した時のようなお仕事モードに戻っている。
 これはまずい。 何をされるか分からないが、猛烈にやばい予感がする。
 何か、彼女を思い留まらせる素敵な言葉は無いか?
「今日の素敵な君を、忘れたくないな」
 その言葉に、ミーヤが怯む。 
 皮肉だと思われたか? いや、違うんだ。 別にその姿が変って言いたいわけじゃなくて……。
 しかし彼女を慰めてる場合ではない。 ミーヤは再び俺に近づいてきている。
 他に彼女の歩みを止める言葉はないか。 俺は頭の中を必死で探り――。
「昨日も蛇を見た!」
 叫ぶと、ミーヤの足が止まった。 口を開けすぎて、端が少し破れたが
 彼女が完全に留まったのを確認して、更に一言足す。
「それで、今日も奴を探してたんだ。そしたら――」
「詳しく話して」
 よし、食いついた。 
 ミーヤの右手も興味深げに揺れている。 そう考えるとあの腕もちょっとだけ可愛いものに思えてきた。
 俺自身の混乱も治まってきた。 充分だと判断し、俺は喋っていた口を一旦閉じた。
「……どうしたの?」
「この先は、君の知っている事と交換でどうよ」
 肩を竦め、両手をかるく挙げてながら言ってやる。 グローバルなジェスチャーのほうが分かり易かろう。
「取引する気?」
 対するミーヤは生意気、とでも言いたげである。
「一応君より先輩なもんでね」
 あくまで学校の中では、だが。 世界的に年功序列って通用するんだっけか。
 言ってやると憮然とした表情になり、ミーヤは考え込む仕草を見せた。 ひとまず何とかなったと思って良いのだろうか。
 背中を向け、逃げる気がない事をアピールする為に殊更ゆっくり歩きながら、俺は先程から気になっていた箇所に向かう。
 それは、蛇がミーヤに貫かれた所。 そしてあの蛇が唐突に起き上がった地点だ。
『皮ね』
『皮だわ』
 言いながら、双子がふわりと俺の目の前、地面に横たわるそれを挟んで降り立った。
 そこには、真っ黒で細長い、目をつけてやれば鯉のぼりとして通用しそうな鱗の跡のついた物体があった。
 多分、蛇の皮だと思われる。 さっき散々拾った物より大分大きいが。
「完全に吹っ飛んでるよなぁ、頭の部分」
 俺が先程鯉のぼりと喩えたのはその為だ。
 蛇の皮にはあの凶悪な頭部分がなく、巨人の履くニーソックスのようになっている。
「化け物って、こんなに無茶苦茶なモノなのか?」
 俺はしゃがみ込み、あくまで独り言のような口調で、双子に問いかける。
 ゾンビだって頭潰されりゃ何とかなるのが、ホラー映画の定石だというのに。 
 もしかして、化け物って死なないんじゃないのか? なんて事まで頭に浮かぶ。
『貴方だってその一部なのよ』
『まぁ、ここまでしぶといのは稀だけど』
 不死身だなんて、そりゃ無いか。 じゃなきゃ狩人なんて存在しないだろうし。
「じゃぁ、何で……」
『脱皮したからじゃない?』
『そうすれば完全回復なのよ、本人的に』
「体力ゲージ制かよ。 ゲーム脳だろこいつ」
 振り返りかけた俺の目の前に、双子が回りこんで答えた。
「ていうかそんな思い込みで生き残れるなら、病弱少女も幽霊少女もいねぇよ」
 いや、後者は俺の目の前にいるが。
 本人達に言うと怒られるだろうが、まぁ事実かどうかは関係なく属性的な話だ。
『私達化け物と人間の違いはね』
『その思い込みで進化できる事なのよ』
「進化ぁ?」
 哺乳類から爬虫類になってるじゃねぇか。 俺が胡散臭げな声を出すと、双子がしぃっと人差し指を口の前に置いた。
 いや、しかし胡散臭げな声が出てしまったのは、仕方ないと思っていただきたい。
『私達の生態は、スキンを持つ事の他は全て、本人の意思で決定されるの』
『そう思ったようにしか変化しない。 そしてそうだと思ったならそう成れる』
「無茶苦茶だ」
『他の生き物の進化にだってあるでしょう?』
『まず飛ぼうと思ったから長い時間をかけて飛べるようになったとか』
 思っただけで、人間が一代で空飛んだりエラ呼吸できたり出来るようになっても困る。
進化論に対する冒涜だ。 ダーウィンだかミケランジェロだかの先生だって怒るだろ。
「お前らの言ってるのは、想像妊娠で本当に子供生んじゃうみたいな事だぞ」
『あら、分かってるじゃない』
『私達はそれを、皮の下で本当に育むの』
 双子は愛しげに腹を撫でている。 まるでそこに自分達の可能性を抱いているように。
 じゃぁ種はどうなる。 その子供を育てる栄養は? 仙人だって霞食えるようになるまでは相当時間かかるんだぞ。
 ……まぁ、冷蔵庫を丸呑みする化け物が物体を透過する幽霊――化け物にそれを問うても空しい事である。
 だったら受け入れるか? いやいや、負けると分かっていてもレジスタンスするべき局面が世の中にはある。
「……じゃぁ俺が世界最強だって思い込んだら、そうなるってのかよ」
『もちろんなるわ』
『純粋に、ただひたすらに、いっぺんの疑いも無くそう思えるならね』
 計四つの目で、双子はできるの? と問いかけてきた。
 ――俺は、自分の事を常識人だと思っている。 頭吹っ飛ばされたら、考える脳が無くなっちゃうじゃんとしか思えない。
 そもそもこの変幻自在の頭に脳が格納されているか怪しいが。
 できるなら女の子にモテモテのヌルヌル人生を歩みたいと思っている。
 だが、同時に自分が人の生など歩めないだろう事など、双子に指摘されるまでもなく知っている。
 誰かに急にそう言われたからって、あぁそうだ俺は最強なんだと思える奴なんて、幼稚園のそれもサンタに気づいてない時期の子供ぐらいだろう。
 しかも奴らは大半、無意識に気づいている。 都合が良いから見て見ぬフリをしてるだけだ。
 性悪説なんて大層なものを振りかざす訳じゃなく、人間はそういうズルい部分を生まれつき持っていると、俺は思う。
 化け物が人間について考察するってのもおこがましいから、この辺にしておくとして。
 ともかく、まぁ、俺には無理だろう。
 逆に言えば、それができる蛇の頭は、そういう単純な構造をしているという事か?
 しかし俺は、そいつにハメられ、罪をなすりつけられそうになっている。 なんなのだろう、この犯人像の矛盾は。
「て言うか、今流しそうになったけど、俺は人間を食いたいなんて思った事はねぇ」
 今更気づいて、俺は双子に反論した。 本人がそう望まなきゃ変化しないっていうのであれば、おかしな話である。
 俺はそもそも口がでかくなって欲しいなんて、思った事もない、はずだ。
『小さい頃の話なら、断言はできないんじゃない?』
『スイカを丸ごと食べたいなんて思ったかもしれないし』
 そんな些細な夢で事でこの有様は酷すぎる。
 いくら幼い俺でも、そんなバカな事を口が裂けるほど熱望する訳……。 な、無いよなぁ、大丈夫だよなぁチルドフッド俺。
「だったら、何でお前らはそんな格好なんだよ」
 尋ねると、双子は同時に一瞬表情を消して、口だけを笑いの形に戻して答えた。
『決まってるじゃない』
『なりたかったからよ』
 それは多分、パパやママを驚かせたいとか、可愛らしい理由ではあるまい。
 どういうことか尋ねようか俺が迷っているうちに、双子は俺の中へと消えた。
「うーん」
 様々な事に対して俺が頭を捻っていると。
「ummm......」
 背後では何だかグローバルな唸り声が聞こえた。
 そちらを見るとミーヤが、何かを探し回っている。 右手を押さえて触手をユラユラさせて…だからきっとアレだろう。
 俺は自分が先程までいた、鉄骨の影まで移動して、屈みこんだ。 
 そこにあったのは、血が通っていない為か、いつも以上に青白い、ミーヤの手の皮。
 抵抗が無いといえば嘘になるが、それをひょいと拾い上げて、俺は彼女に手を振った。
「お探し物はこれかな?」
「え、あ、ウン……」
 俺がそれを発見した事を見て取ると、ばつの悪そうな顔になる。 これは、全ての化け物に共通する、いわば化け物の証左だ。
 それを一般人(あくまで彼女の視点ではである)がもっていれば落ち着かないだろう。
 分かっていながら、俺は埃を払い、中に砂利が無いか確かめつつ、彼女に近づいた。
「ほら、手ぇ出して」
 人間の形をした、左手を出すミーヤ。
 俺はそれをかわし、右手の、蔓を取った。
「そっちじゃなくてこっち」
「あっ!」
 取られたミーヤは、驚きの声を上げて固まってしまった。
 俺はそのまましばらく待つ。
 ミーヤから硬直が融けていくと共に、奥から不安そうな顔が覗いた。 
 多分、「怖くないの?」だ。
 本当に、判り易い子だ。 俺が昨日同じ経験をしているのも、関連してるんだろうが。
 ――こんな時、彼女はどうした? どうしてくれた?
「ええと、どうやってはめれば良いのかな?」
 なんでもない風に尋ねると、ミーヤは戸惑いながら、ちょっと待ッテ、と言う。
 間があって、彼女の右手の触手がするすると動き始めた。 掃除機のコードのように巻き取っているのだろう。
 どこに? それは聞かない約束だ。
 やがて雅の右手は、銀色の円錐に蔓が張り付き、その頂点でまとまりきらなかった蔦が五本飛び出すパーティーハットのような形状に変化した。
「ここにはめれば良い訳ね」
 俺は彼女の肘に手を添え、、手の皮を近づけ――。
「そっち、ギャク」
「失礼」
 親指に小指の皮を被せてしまった。 やり直して彼女の腕へと皮を被せていく。
 まるで結婚指輪をはめるように、丁寧に一本一本、指の皮に中身をつめると、彼女の手の皮に赤みが差し、息づいていった。
「ミーヤの指は綺麗だね」
「あ、アノ……」
 鼻歌でも歌おうかと言う俺に、ミーヤがたまらずといった具合に声を出した。 あぁ、彼女が聞こうとしている事は分かっている。
 こんな時、姫足なら――いや、あれは俺には真似できない。
 俺は五本の指に血が通った事を確認すると、彼女を制して言葉を放った。
「ミーヤってさ、乳輪大きいよね」
「ナァッ!?」
 猫のような悲鳴を上げ、ミーヤが手をほどき、後ずさった。
 どうして良いのか分からない、と言った感じの右手が鉤型でピクピク動いている。
 皮との継ぎ目もないし、なるほど便利なもんだ。
「イイイイ、イツ見た!? テ言うか大きくナイ!」
「そうだね、乳首と比べて大きく見えるだけかも」
「シ……だから、私は――」
 多分死ねと言いかけてやめた可愛らしいミーヤを、俺は軽く手を上げて遮った。
「その程度の違いだよ、大したことじゃない」
 なるべくいつも通り、笑ってみせる。
 ミーヤは何か言おうとし、口をもごもごと動かしたが、結局大きなため息を一つ吐きつつ力無く呟いた。
「アンタが、どうしようもないバカだっていうのは分かッタ」
 そうして、後ずさった分、こちらに歩み寄ってくる。
「むしろ、今までそう思われてなかったのが光栄だな。 あと大きさは気にしないほうが良いよ。 おっぱいがもっと大きくなれば自然と――」
 ガスッ。
「あいたぁ!」
「再、確、認、シタ!」
 スネを蹴り上げて、ミーヤは悶絶してしゃがみ込む俺の脇を通り過ぎてゆく。
「あ、ちょ、ちょっと」
「場所を変エル。ココじゃ人が来るかもしれないシ」
「大きな音もしたしね」
「ウルサイ!」
 振り返って怒鳴られた。 そのままスタスタとミーヤは階段を下りて行ってしまう。
 とりあえず、置いて行かれることは無いようだ。 取引も成立ってことだろう。
 それはそれとして、痛みにしゃがみ込んでいた俺の前に、双子が再びふわりと現れた。
『今、普通に皮を拾ったわね』
『化け物にしか見えない物なのに』
「あ……」
 失念していた。 が、ミーヤはそれを咎める様子もなかったな。
 助かった、のか?
『ねぇ』
『本当に思ってるの?』
 俺が今更胸を高鳴らせていると、双子が唐突に、そう問いかけてきた。
「何が?」
 一応とぼけて見たが、うん、こいつらが聞きたい事もよく分かっている。
『『自分(化け物)が人間と大して違わないだなんて』』
 双子は珍しく、ステレオで別々のことを言ったがまぁ内容は、一緒だ。
 どうせ、こいつらだって分かってるんだろう、俺の答えなんて。
 息を吐いて、それでも俺は答えた。
「そんな訳、ないだろ」
 答えが分かりきっていても、口に出すと出さないとでは、大分違う。
 胃の奥が、きゅうっと冷えていく。
  あぁ、俺は彼女に、同じ悩みを抱えているはずの雅に、一時しのぎの嘘をついたのだ。
 姫足の真似など、出来るはずはない。 俺は相変わらず最低の、化け物野郎だ。
『安心した』
『仲良くしましょ、これからも』
 今まで見たことがない優しい笑みを浮かべて、双子は俺の頬を撫でるような仕草をしながら、俺の中へ潜っていった。
 返答次第ではどうなっていたのだろうか。
 ……俺は別に、お前らの意見に全面賛成って訳じゃないんだからな。 心中で、俺は双子に舌を出す。
 人間と化け物、その二つを区別しない奴がいたって良いと思う。
 怖いと思っていても手を差し伸べてくれる奴がいるのは、尊い事だと思う。 まぁそれはあくまで、そいつが人間だった時に限るのだが。
 今俺が雅の目にどう映っていようと、本性が化け物で、本質的には人間を――化け物をも恐れている俺が言っても嘘にしかならない。
 彼女を真に救ってやりたいなら、キャラメイクを種族人間でやり直す事をお勧めする。 俺はどうやったって、口裂けの化け物なのだ。
「ダイスケー?」
「はいはーい」
 かけられた声に返事をして、俺は外へと向かった。


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