第一章 擬態する日常
ピピピピ。 ピピピピ。 ピピピピピピピピピ!
携帯のアラームが鳴り響き、俺は目を開けた。
相変わらず味気のない音だが、普通の着メロにすると目が覚めない。
煩わしいからこそ起きる。 因果なものだ。
大切にするからこんな俺をやらしく起こしてくれる幼馴染でも沸かないものか。
――などと半覚醒の頭で考えている内に、口の中がひどく乾いていることに気づく。
俺はバカみたいに開いていた口を閉じ、水分をかき集め、飲み込んだ。
喉の奥には嫌なネバつきがあり、それは唾液では流しきれない。
仕方なく起き上がり、携帯のアラームを止める。
人生は仕方ない事の連続だ。 とでも言っておけば、格好がつくだろうか。
……ついでにハードボイルドに言っておこう。
俺の名は立島大輔。 私立探偵…じゃなかった、公立高校生だ。
更にはもはやお馴染みのギャグとなっているセリフであるが、言っておこう。
ただの、高校生である。
『咲珠市周辺では現在、行方不明者が続出しており、警察は住民に注意を呼びかけると共に、行方不明者の捜索を行っております。お心当たりのある方はご覧の宛先まで……』
眠い頭でぼんやりとニュースの音を聞きながら、一階に降りる。
するとそこでは、ピンクのパジャマを着た女が朝食を準備していた。
「おはよ、大輔」
彼女は俺に無意味に明るい笑顔を向けてから、テレビのチャンネルを変えるとラップを剥がす作業に戻る。
俺とは違い、はっきりと起きているようだ。
彼女の名は立島綾菜。 俺と同い年のキョウダイ。要するに双子の姉である。そもそも双子で姉か弟かなんて意味が無いとは思うのだが、まぁそう決まっているのだから仕方ない。
未だに納得はしていないが。
「ほら、箸とって大輔」
「へいへい」
言われた通りにし、椅子に座る。
すると同じ顔が同じように対面に座り、俺達は同時にいただきますと言った。
男女ペアの双子の例に漏れず、俺達は二卵性である。 ただ何故なのか、俺達の顔は妙に似ていた。
顔だけではない。 靴のサイズも一緒だし、俺のほうが脚が短いという事もない。
ついでに身長も一緒。 ……165cm。
揃えるにしても、男子の平均身長に寄せてくれれば良いのに。
などと俺が考えていると。
「何、人のカラダじろじろ見て」
「首から上までは認めるが、その下の貧相なものまで視界に収めたつもりは無ぇ」
綾菜が半眼でこちらを睨んでいた。ひどい誤解だ。同じような顔で睨み返してやる。 こいつが男らしい顔つきということはないし、俺がこいつに似ているというのが、屈辱的な事実なのかも知れない。
が、こいつの胸も男の俺によく似ているのだから、そこはイーブンといった所だろう。
「やっぱり人の肢体を舐めるように見てるね大輔。 お母さんとお父さんいないからって秘密の遊びとかしないんだからね」
「朝からそのテンションはなんなの? 脳を寝違えでもしたの?」
「ちょっと柔らかくなってるのかもね。 あ、触らせないよ?」
「朝から脳姦とか想像させんな」
「近親脳姦」
「うるせぇよ」
我が両親は、現在世界一周旅行一週間の旅で渡航中である。
そのような訳で、俺はこのふざけた女と一週間協力して暮らさなければならないのだが、こいつと話していると改めて不安がこみ上げてくる。
俺の繊細な胃に穴など開かなければ良いのだが。
「ところで大輔。 昨日階段下で、野獣の目をして何かを狙っているアンタを見たって報告があったんだけど」
考えていると、綾菜がいきなりそんな事を言い出した。
俺はあらぬ誤解にいきり立ち、そんなデマを信じる愚かな双子の姉を糾弾する。
「ふ、覆面してたのに何故!?」
ちょっと間違えた。 焼き魚を租借する綾菜の目が呆れの色に染まる。
「何でそんなことするの?」
「下着が見たいからじゃない?」
「大輔は死んだらいいのにね」
再度問いかける綾菜に答えると、物凄く酷い事を言われた。 双子の死を願うなんて、この女には血も涙も月経もないに違いない。
「そんな事ばっかやってると、本気で皆に引かれるよ」
更にはそんな事言って、本当に心配そうな顔をするのが酷い。
……俺と綾菜の顔は似通っている。 だが、一つ違う箇所がある。
俺の方が、少し口が大きい事だ。
測ったことはないが、間違いなく大きい。 綾菜の口が小さい訳ではない。 俺の口が明らかに少し大きい。 この口のせいで下品に見える。 この口のせいで……ええと、俺がたかが下着一枚の為に、割に合わない努力をしているなどと邪推されるのだ、うん。
「……ふぅ、という訳で、今日の後片付けは大輔ね」
「ちょっと待て、何が次元跳躍してそうなった」
「アホな話してたら時間無くなっちゃったしー。あたしの方が準備に時間かかるしー」
言いながら綾菜が席を立ち、二階の自室に向かおうとする。
「ちょっと待て、俺だってメイクとか……!」
俺も抗弁しながら、慌てて立ち上がる、と。
ガチャン。 机に足が当たり、振動で机の上にあったお茶が落ちた。
その先は俺の下半身!
「わっちゃ!」
その熱さに俺は悲鳴を上げ飛び上がる。
階段に向いていた綾菜の顔が、こちらを振り返った。
それを見、俺は慌てて頬を押さえる。
「だ、大輔、チンチン! チンチン!」
言葉は選べ双子の姉。 まぁそりゃ弟が熱湯にまみれた股間を放置して頬を抑えていれば、動揺して言葉の選択もできなくなるかもしれない。
俺だって今すぐズボンを脱いで中の物を大気に晒したい。 しかし……。
「だ、大丈夫だから。 片付けとくからお前は着替えて来いって」
「でも…」
「あとちょっと気持ちいいし」
グッと内股に力を込め、俺は皮膚を剥がそうとするかのような熱さに耐えた。
押さえている手で頬を引き上げ、無理やり笑顔。
罵倒でもしてとっとと去ってくれるかと思った綾菜だったが、やはり俺を心配する表情を見せ、少々逡巡してからようやく二階に上がっていった。
……まったく、俺が何の為に日々ローアングルに生きていると思っているんだ。
しばらくして吹き出物一つ無い頬から、俺はそっと手を離した。
朝から下着を替える羽目になるなんて、今日は憂鬱な日になる予感がした。