序章 穴


 私、平井正美が家路についたのは、八時を回ってからの事だった。
 家から一時間の場所になかった物を、更に一時間移動して探せば帰宅に二時間かかる。
 簡単な理屈。しかし必死だった行きの私がそれに気づいたのは、帰りの私になってからだった。 つまりそんなものは存在しないって事で、ちょっと哲学的だと思う。
 でも今、後悔している私はいない。
 目的の物は手に入った。紙袋の中を覗く。 これを渡せば、弟も機嫌を直すだろう。
 もちろんだけど、周囲はすっかり暗くなっている。
 しかも私の家に近道で帰るには、この人通りの無い路地を通らなければならず、心細い事この上ない。
 こんな事なら弟に迎えを頼めば良かった。
「アレ?」
 そんな事を考えていた私がふと気づくと、狭い道の真ん中にぽっかり穴が開いていた。
 危ないなぁ。工事会社の人がマンホールを閉め忘れたのかな。
 私は穴を避け、端を通ろうと一歩踏み出した。 ……が、その先には、踏みしめる地面が無かった。
 反射的に踏み出してないほうの足に力を込め……ようとしたが、先程まで足を乗せていた大地が無い。
「え?」
 代わりにあるのは、ぽっかりと暗いウロ。 夜闇より暗く、街灯すら射し込まない。
 その穴の真上に、いつの間にか私の体は置かれていた。
 そして、支えられるものがない私の体は、都合。
 ストン。 落ちた。
 それで私、平井正美の人生は終わった。


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