メイドさん大王
いんとろだくしょん
最後に、紅茶を喉に流しこむと、僕はカップを置いた。
鼻腔に残るほわっとした匂いが、朝の優雅さを演出する。
「ご馳走様でした。 美味しかったよ、心音」
「お粗末さまでした…」
僕が顔を上げると、机の反対側でじっと立っていた彼女は、すっと頭を下げた。
紺色のエプロンドレスの裾が、ゆらりともしないその礼は、そのまま彼女の有能さを示している様だった。
そうだ、優雅さは、彼女が居るだけで充分満たされている。
「このスクランブルエッグが、特に良かったね。 今度また作ってくれると嬉しい」
「かしこまりました、平助様」
僕の名前は高月平助。 まぁ、正直どうでも良いだろう、僕のことなんて。
それより目の前に居る彼女のことを紹介しよう。
彼女の名前は双宮心音。
僕と同い年の16歳でありながら、我が家の家事全般をこなしてくれるメイドさんだ。
同い年の子に、様付けで呼ばれるのは、多少くすぐったい気もするけど、それも彼女が幼い頃からの呼び方なので、もう慣れた。
「そろそろ、お仕事の時間でございます」
心音に言われ、壁にかけられた時計を見る。
只今の時刻は、7時53分。 確かに、そろそろ時間がまずい。
「ちょっと優雅になりすぎたかな? それじゃ、行ってくるよ」
今度は、あまり優雅とは言えない素振りで立ちあがり、早足で彼女の控えている場所、その横にある扉を開ける。
僕の行動に、心音は一瞬眉を顰めたが、それでも、さっきより深く一礼する。
「行ってらっしゃいませ」
「うん」
…今更だけど、心音は可愛い。
綺麗だが、それ以上に可愛いのだ。
静かで、感情があまり表に出ないけど、笑えば年相応の幼さが出て可愛いし、困った顔も保護欲をかき立てる感じで、抱き締めたくなる。
そんなこと、したことも無いのだけれど。
不意に、彼女に見とれていた僕の顔に、顔を上げた彼女の視線がぶつかった。
「あ、平助様、お口にケチャップがついております」
それに気付いた彼女は、ポケットからハンカチを取り出し、僕の口を拭く。
ハンカチ越しの心音の指が、僕の唇をなぞった。
そんな子供がされるような行為を、こんな素敵なメイドさんにされれば、誰だって照れる。
「あ、ありがとう…」
ハンカチが除けられると、赤い顔で礼を言う。
こんなのを無感動に受け入れられる日は、きっと来ないんだろうな。
来て欲しくも無いけど。
「いえ、ご主人様の身だしなみに気を配るのは、メイドの務めです」
…やるほうも、無感情では出来なかったらしい。
改めて、僕の唇から顔に視線を上げた心音は、照れ笑いのような表情を浮かべる。
幼くて、保護欲もかき立てる最強の表情。
こんな顔をするから、何時まで経っても慣れることが出来ないんだ。
そしてそれは、素晴らしい事なのだけれども。
ともかく、彼女のおかげで、僕は幸せな気分のまま、仕事場に向かうことが出来た。
もっとも、結局は長続きする感情ではないのだけれど…。
僕の仕事場。
僕はそこで、整列した人の群に紛れていた。
例えば、学校で行なわれる集会の様に、真っ直ぐに並んでいる。
が、決してここは学校なんかじゃない。
前を見ても、横を見ても、そこにいるのは、全身真黒の人間。
彼らは、頭頂部から、つま先まで、真黒いタイツで体を覆っている。
黒に侵食されていないのは、唯一顔だけだ。
だがそこも真白い仮面に覆われ、結局は人間性を感じさせなかった。
視界の先まで埋まる黒い彫像達。
と、言っても、僕もそこに紛れ、一緒に黒い彫像と化している訳だけれども。
そして、僕らがそうやって体を向けている先には、広いステージがある。
その下に長い階段が続き、僕の立っている広大なスペースと、そこを繋いでいた。
それは、ステージというより祭壇だ。
古代ギリシャの神殿のような様相を見せながらも、金属的な光沢を見せるそこに、人間はいない。
ただし、その祭壇の一段下の階段。
そこに、人だと評しにくいモノならいる。
狼だ。 首の下が見えなければ、誰もがそう思うだろう。
だけど、彼の体が見えれば、誰もそんなことは言わない。
二本の足で立ち、なおかつ鎧を着こんだ銀狼など、この地球には存在しないからだ。
「諸君!!」
狼は、自らを狼だと知らしめる音量で叫んだ。
しかし、人語を話している時点で、そんな主張を聞く人間はいないだろう。
だが、驚くことも無い。 何故なら彼は、俗に怪人と呼ばれる者なのだから。
改造手術を受けた体に、そう言った常識は通用しない。
…唐突ですまないけれど、ここは悪の秘密結社、ポロームの基地だ。
その中の、組織においてNo.2の地位にいる男が、あの銀狼バウバウさん。
彼の下には、今回の集会に出席していない、何人かの怪人が仕えている。
そして、ここでワラワラと集まっている僕らはといえば、その人…とは言えないヒト達のさらに下の立場。
下っ端中の下っ端。
使いっぱしりの戦闘員だ。
「作戦立案に伴う、この緊急集会! 我等が王のお言葉を拝聴できる素晴らしき儀式だ! 心して聞くが良い!!」
「ギィーーーー!」
一斉に叫ぶ。
それが僕らに許された、唯一の言葉。
それでもその声は、天井に届き、響いた。
銀狼は満足そうに頷くと、再び咆哮した。
「では、ご登場願おう! 我等が王…」
「性別というものを無視していませんか。 貴方」
と、主がいなかった筈の祭壇から、涼やかな声が聞こえた。
声を荒げた訳でも、拡声器を使ったノイズ混じりの音声でも無いのに、その声は場内に響き渡る。
全員がそこに目を向けた。
銀狼が呼び出そうとしていた王――いや、自身の指摘通りの女性が、祭壇の奥から進み出てきていた。
「も、申し訳ありません!」
彼女の登場と共に、バウバウさんは跪く。
ここからでは彼の表情は見えないが、声の調子から、その人物に対する畏怖が伝わってきた。
まるで、舞台を見ている気分だ。
例えば、この客観性、彼女達の声だけが響く状況も、それを連想させる。
舞台上の女優も、この大げさなステージに見合うだけの美貌を持っていた。
ただ、舞台衣装だけは場違いだ。
「ではこれより、今回の作戦について説明します」
例えば、地味さを象徴したような、紺色のワンピース。
「まず本作戦は、我がP.O.R.O.H.M。 ポロームの発展のためであり…」
例えば、家事のプロフェッショナルを示すかのごときエプロン。
「今は無き、高月家復興のためであり…」
例えば、それに反して、無駄に装飾性を追及した、所々に配されたフリル、そして頭飾り。
「なにより、私のご主人様のためです!」
声高に宣言する、そのメイド服の少女。
自分でも意味が分からない感慨を込めて壇上にいる彼女を見る。
目が、合った気がした。
彼女の瞳が、数千という黒い人だかりの中から、そこに紛れた僕を見付けた気がした。
軽く眩暈がする。
そんな不思議な感覚も一瞬。
会場中が一斉に歓声を上げた。
ギィーギィーとやかましく鳴く、僕の同僚達。
中には感極まったものが、「萌えー!」とか叫んでいた。
叫んだ彼は、きっと後で粛清だ。
「心音様ーー!」
それでも、何処からか叫び声は上がる。
そう、彼女こそが、我が組織のbP。
双宮心音。
僕らの首領であり、僕のメイドさんである。