いもうとティーチャー☆

第三十九限:妹クリカエシ


ふと、一人でなにやら呟いている姫地の枕元、そこにある目覚まし時計が目に付いた。

…結構時間が経ってるな。

考えてみれば、俺は喧嘩の原因だけ話すはずだったんだが…。

なんか余計なことまでぺらぺらとしゃべった気がする。

姫地の相槌が絶妙だった所為なのか、ただ単に俺がしゃべりたかったからなのか。

そんなことを考えていると…。

「あの、その後はどうしたのかな?」

「ん、あぁ…」

姫地の先を促す声。

「少し話をして、結局すぐ帰った。 慰められたのかも分からねぇ」

「妹さんが心配で?」

そのときそこにいたかのように、極自然に、そのときの俺の思いを言い当てられてしまう。

むしろ俺が姫地の言葉で自分の思いを辿らされている様な気分だ。

「情けない話だよな。 妹のこと放っておいてあいつを追いかけたはずなのに、何も出来ないで、今更妹が心配だなんて」

引きずり出されたそのときの感情を、今の自分が鼻で笑う。

現状を鑑みても、どうにも滑稽だ。

「でも、片野くんは本当に心配だったんでしょ?」

「そりゃ、な」

「それなら、しょうがないんじゃないかな。 その子も納得したんでしょ」

「恨み言は言われたけどな」

「え、そうなの?」

「つっても冗談みたいなもんだったよ。 本当だったら、それぐらい言っても良いのにな…」

「片野君。 その子のこと気に入ってるんだ?」

「まぁ…、生意気だけど良い奴だよ。 ずっと妹のこと心配してくれてた。 家に帰ってやれって言いだしたのも、あいつだしな…」

雨の中で立ち尽くしていた雪村妹を思い出す。

それから、泣き顔を見せないまま泣いたあいつのこと。

でも、俺は。

「じゃぁ、片野君ががんばるのってその子の為?」

「なんであいつと同じこと言うんだよ」

「あ、そうなんだ。 ええと、じゃぁ妹さんにはなんて答えたの?」

「お前に答えるのと同じ。 違ぇって言った」

「そっか、ちゃんと話はしたんだ」

「したけどな…」

「うまく行かなかった?」

「あぁ…」

答えてから、未久美との一連のやり取りを思い出す。

俺の話を聞いていたときの未久美。

拒絶。

捨て台詞と、残された俺の混乱と、反発心と。

今朝に見た昔の夢。

「…違うんだと」

「え?」

「素直に謝る俺は俺じゃないんだと」

「不自然ってことかな?」

「って、いうか…、違う俺になるのがいやだとか、何とか…」

「そっか…」

「分かるか? そういうのって…」

「うん。 なんとなくだけどね」

姫地は、何故か弱気な笑みを見せながらも、俺の問いに頷いた。

未久美に感情移入してるって言ってたよな、姫地は。

姫地なら未久美の気持ちが分かるかもしれない。

「…なぁ、姫地」

「何かな?」

「例えば、今姫地が俺の妹だったらどうして欲しい?」

「ええと、でも私、その妹さんじゃないし…。 そういうのはやっぱり片野君が」

「俺も、どうして良いか分からないんだよ」

家に帰った後のことを想像する。

玄関を開けて、未久美と顔を突き合わせて。

それからどうする?

今の俺には、帰った時にあいつがどんな表情をしているかも分からない。

「あいつには俺の気持ちを正直に話したつもりだし、できるだけちゃんと対応もしたつもりだ。 後、どうすりゃ良いんだよ…」

自分が愚痴っぽくなっているのを感じる。

誰にも話せなかった事で押さえつけられていた気持ちが、そのまま押しつぶされて、気色の悪い形で出てきていた。

「どうもしなければ良いんじゃないかな?」

自然に、軽いいつもの調子で姫地は呟いた。

「そんな訳に、いくか」

「ううん、と、言うよりね。 もう無いんじゃないかな、片野君に出来ること」

「そんなこと…」

「片野君、いっぱい悩んだんでしょう? それでもすることが浮かばないんだったら、もう無いんだよ」

「う…」

論法としては強引だ。

俺の頭がカラカラのスカスカだから、答えを出せずにいるだけかもしれないのに。

もしくはそのスカスカな俺の頭の中にいる、さらに頭がスカスカなネズミが、すぐそこに出口があるのに、気づかずぐるぐると回っているのかもしれない。

それでも、俺のその頭の大部分は姫地の言葉に納得している。

それはやはり俺の脳がカラカラだからかもしれないが。

「でも俺は、このまま放っておくことなんて出来ないし…」

「うん。 でもそれは、片野君の事情だね」

「ぐっ」

一旦やわらかく受け止めてから、スパッと断ち切る姫地。

「ぐうぅ…なんか、めげそうだ…」

思わず、二の句を継げなくなってしまう。

「ごめん。 意地が悪いね、私」

姫地の自嘲も、やっぱり笑顔だった。

顔を俯けて、力無く。

「でも思うの。 それってやっぱり、二人の問題なんじゃないかなぁって」

「姫地も、やっぱりあったのか? こういうこと…」

「うん。 やっぱりあったよ」

「それって、雪村、か?」

「うん…」

最初の肯定より若干トーンを落としながら、姫地は頷いた。

「女の子も色々あるんだよ」

それから、急に茶化した口調で俺に笑いかける。

それを見て、俺の口からは反射的に謝罪の言葉が出そうになった。

だが、わざわざ笑みを作った姫地の苦労を無駄にするのは酷でしかない。

思って、言葉を飲み込む。

「片野君が言った事がいくら正論でも、やっぱり受け入れるのには時間がかかると思う」

少々の沈黙の後、姫地は再度語り始める。

俺も気分を切り替えて、それに耳を傾けた。

「片野君には無いかな? 何か一つの事が、小さいことでも良いんだけど、急に変わっちゃって、それで慌てちゃったこと」

そりゃ、ある。

件の妹が天才と知ったとき。

そりゃぁ、生まれた時から才能があったから天才というんだが。

俺にしてみれば、いきなりなったのも同然だった。

もちろん、受け入れるまでには結構な時間が…。

いや、嘘だな。

俺はいまだに受け入れられていない。

ちょうど、雪村妹が俺に指摘したことだ。

俺は天才のあいつを認めていないと。

「…ある?」

「あぁ…」

答えると、姫地は小さく「そっか」といって、先を続けた。

「そういう時に色々言われても、簡単には受け入れられないと思う」

「だから、放っておけって言うのか?」

「そうなっちゃうね」

「むぅ…」

姫地の言葉に、俺は深く考え込む。

混乱というのなら俺も存分にしていると思うが、姫地の言葉には納得できてしまう部分が多い。

冷静に考えたって、確かにそれが良策であることは明白だろう。

しかし…。

「いや、やっぱりだめだ」

「ダメ、かな?」

「今、俺はあいつの事を放っておけないけど、距離を置けって言われれば出来ちまうと思う」

考えを整理しながら、ついでのように言葉を吐き出す。

「楽なんだ、実際。 今の俺はあいつに何をしてやれば良いか分からないし、今日だって帰ってからどうしようかも思いつかない」

ここに来たのだって、半分は逃げの気持ちだった。

「でも、だからって今あいつと距離を取っちまったら、俺は二度とあいつに近づけない気がする」

これが俺の事情だって言うならそうだ。

だけど、そもそもこの喧嘩には、俺の事情が既に混入されているのだ。

「確かに喧嘩は二人の問題なのかもしれないけど。 やっぱりあるんだ、俺にも妹と向き合う理由が」

普通の喧嘩だって言うなら姫地の方法でも良いかもしれないが、きっとこれからだって、こういうことは何回も起こる。

だったら俺は…。

ふと気づいて、姫地の表情を伺う。

「悪かったな。 病人に相談…って言うか愚痴まで言って。 聞いといてこれだしな」

自分から聞いたくせに、勝手に結論出してちゃ世話無いよな。

まぁ、でも、姫地に聞いてもらったおかげか。

「ううん。 かまわないよ」

そういってから、姫地はまた笑う。

姫地は、笑ってばかりだ。

「それじゃぁがんばらなきゃね、片野君」

「そうだな…」

ちょっとした沈黙が起きた。

話そうと思えばまだ話題を作り出すことができるが、それをするには少し長い、そんな感じの沈黙だ。

多分、お互いそれをすることに対して躊躇った所為だろう。

姫地が息を吸い込む。

何を言おうとしているかは分かっている。

ついでにそれは、俺が言い出さなければいけないことだというのも。

「それじゃ、帰るわ」

すっかり冷めてしまったお茶を飲み干して、俺は椅子から立った。

苦い後味が舌に残る。

帰るっていうのは、客が言わなくちゃならないことだからな。

何回も間違ってはいけない。

「あ、うん。 そうだね」

「長居して悪かったな。 その、お大事に」

「ありがとう。 片野君が色んなこと…、私に話してくれたのは初めてだから、嬉しかったよ」

「嬉しかった…か」

「どうしたの?」

「二回目だ、それ」

俺にそういわれた姫地は怪訝そうな顔をした。

そりゃそうだろう。 自己完結だし。

嬉しかった。

あいつも、そう言ってくれてたんだよな…。

「そうだね。 妹さんも、確かに混乱はするだろうけど、でもそれが片野君なら」

そんなことを考えていると、姫地が顔を上げて、俺を見上げた。

「きっと、嬉しいと思うよ」

そして、やっぱり笑った。

「そっか、ありがとな」

「それじゃ、また明日」

「明日って…病人だろ、お前」

「あ、そういえばそうだね」

「ほんと、無理だったら明日も休めよ」

言うと、一瞬姫地が吹き出した。

「な、なんだよ」

「ありがとう、お兄ちゃん」

「お、お兄ちゃんって何だよ!」

「そう思っただけ」

「だけって、なぁ…」

言いながらも、くすくすと笑い続ける。

「帰るからな」

「うん、またね」

何回目かの別れの挨拶を交わして、俺は部屋を出て行った。

「お兄ちゃん…ね」

言ってから姫地の顔を思い浮かべて、妙な気分になる。

「…だぁから、一人で手一杯だろ、妹なんて」

これ以上変な悩みを抱えないうちに、頭を小突いて、俺は家路につくのであった。


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