いもうとティーチャー☆

第一限:妹ティーチャー


 俺の妹は、天才だ。

 いや、決して兄バカなのではない。

 ついでに言えば、今年から受験生の春休みに死ぬほど課題を出されてテンパっている所為でもない。

 事実、実際、そうなのだ。

「おにーちゃん、何やってるの?」

 後ろに気配。

 振り向けば少女。

 さっきまで読んでいた漫画を片手に持ちながら、彼女は俺の手元を覗きこんだ。

「……見れば分かるだろ、課題だよ」

片野未久美。 12歳。

 俺、片野良幸の妹。

「あ、シグマだぁ!」

「なんで嬉しそうな顔をする」

 見た目はちんちくりん。 標準的12歳より少々劣る凸無し体型。

 イスに座った俺と頭を並べるほどの身長だ。

「お兄ちゃんは楽しくないの?」

「楽しいときに眉間に皺は寄らない」

 兄が言うのもなんだが、言動はアホな子だ。

 いや、兄だから言えるのだが、妹はアホな子だ。

 アメリカの首都はデンマークと答えるし、ポニーは成長すると馬になると思っている。

 さらに成長すればロバになると思ってるようなやつだ。

 説明するだけでウンザリする。

冒頭のセリフも取り消したいぐらいだが…。

「お前、ちょっとここの問題やってみろ」

「問4? 1620

……ほらな。

「問5」

「カッコ1が20023で、カッコ2が1になるね」

 俺が聞いてから、間が全く空かない。

 答えを見てるんじゃないかってスピードだ。

 が、そんなものがあるなら、おれが先に見てる。

「ちなみに、全部あってるよな?」

 「うん、検算も一回したし」

 さて、分かってもらえただろうか?

 もう一度言う、うちの妹は天才だ。

 一般常識は無いが、閃きと頭の回転とやらが段違いらしい。

 そしてついこの間、『アメリカの東大』と呼ばれる某超一流大学を首席で卒業した。

 飛び級と言うやつだ。

 昔の日本には飛び級制度など無かったのに、簡単にアメリカに影響されて、10年ぐらい前から施行されてしまったのだ。

そんな制度の所為で、冴えない高校三年生である俺より、妹は学歴が上な訳である。

こいつが書いた卒業論文は、文体が滅茶苦茶なくせにその内容の素晴らしさから、今も学会で議論が繰り広げられているという。

頭の後ろにいるちんちくりんを見ると世の中を不公平に感じるが、目の前の課題を見ると世の中の公平さに納得させられる。

「ねー、そんなことよりさぁ」

「なんだよ?」

「あーそーびーまーしょー」

世の中の不公平が、背中にのしかかって来た。

不公平は、やはり重い……。

「社会人がしゃべることか」

「む〜、だってずっとお兄ちゃんと遊べなかったんだもん」

 ぐりぐり……。

「はいはい、だってお前ずっとアメリカ行ってただろうが」

「せっかくお兄ちゃんに会いたくて、半年で大学を終わらせてきたのに……」

そんな理由で大学が卒業できるなら、とっくに学校なんぞ無いわ。

……ここに、してしまった人間がいるわけだが。

「今のセリフ、胸キュンもの?」

 俺の肩を定位置に決めたらしい妹の顔が、自分で聞くと台無しなことを聞く。

「あー、はいはい、キュンときた。 胸に矢が刺さった」

 『相手がお前じゃなければ』と、言う言葉を、俺はかろうじて飲みこむ。

「じゃ、遊ぼ」

「課題が終わったらな」

「どのぐらいで終わる?」

「今週いっぱいかかる」

 ちなみに、今日は火曜だ。

「来週から学校でしょ?」

「んじゃ、遊ぶのは不可能だな、物理的に」

 この天才少女に、本当に物理で計算されたら、ひとたまりも無いのだが、適当にはぐらかす為俺はそう言っておく。

「む〜、日本に帰ってきたら、いっぱい遊んでくれるって言ったのに。 詐欺だよ、詐欺ストだよ!」

「勝手に言葉を作るな。 …しょうがないだろ、天才には分からない苦労が、凡人にはあるんだよ」

 その約束は、妹がアメリカにいた時、メールでした約束だ。 一日何十通もメールが来るのは困ったが、離れている分、微笑ましくもあった。

 それで、こういう約束もホイホイしてしまった訳で。

 ある程度距離を置いていれば優しくなれてしまうのが人間ってやつなのだ。

「じゃぁ、私がその問題全部解いてあげるよ!」

「課題の意味が無いだろ」

 多分、妹がやってしまえば一時間で終わってしまう課題。

 俺の一週間を削って、妹が既に持っている知識を俺に与えてくれる課題。

 ほら、半径0距離にいるとこんな余計なことまで浮かんでくる。

「……高校かぁ、また行きたいな」

 なんだか、妹のセリフが皮肉に聞こえてしまう。

「輪廻転生してこい」

「そうじゃないよ! お兄ちゃんと同じ高校に行きたいの!」

「……んじゃ、教師にでもなれよ」

「あ、それいいね!」

 俺が言った冗談に、妹は喜色を浮かべて俺の背中から離れていった。

それにあわせて、俺も振り返る。

「じゃ〜ん、携帯電話〜!:」

「……それで?」

 妹が出したのは、なんの変哲も無い携帯電話。

 ストラップが電話本体より重そうなことを除けば。

 しかし、どこに電話をかけたって、12歳を教師として雇ってくれるはずが無い。

「実はこの前ねぇ、学会で文部科学省の偉い人と友達になったんだ〜」

 そう言って、電話を操作する。

 兄の知らないところで、妹はコネを手に入れていたらしい。

「でね、先生になるなら、どの学校でも斡旋してくれるって言ってくれたの!」

 いや、きっとそれは社交辞令の筈だ。 あったとしても、大学の講師とかの筈だ。

 妹が、耳に携帯をあてる。

「あ、もしもし、あっちゃん?」

「って、軽いな、おい!」

 本当に重役なのか!?

「うん、先生になりたいと思って。 あ、清海野原高校って言うんだけど…」

 清海野原高校、我が母校。

 進学校でも何でもない、普通の公立高校だ。

「うん、うん…」

 何やら話し合っている。

 ダメだろ、さすがに。

 いくらなんでも、いきなり電話をかけて、教員にしてもらえるはずが…。

「あ、OK? ありがと〜!」

 ……って、あっさりOK貰ってやがるし。

「やった、お兄ちゃん! 新学期から私、お兄ちゃんの学校の先生だよ!」

「あ、うん…」

「これでお兄ちゃんといっぱい一緒にいられる〜」

 12歳が先生って、漫画か?とか。

 一人の政治家の力であんなことできるのか?とか。

 何でこいつが、そんな権力持ってるんだ?とか。

 日本の政治は腐ってる! とか。

 言いたいことが沢山あった。 沢山あったのだ。

 それでも、冗談とは言え自分が言い出したことであり、つっこむのがどうしてもシャクで…。

 俺はそのまま固まってしまった。



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