ドラポン 第四章 その3


 一週間後。珍しく早めに起きた我は、伸びをすると朝の空気を吸い込んだ。
 魔王城で散々大暴れをした我ら家族であったが、誰にも怪我は無く、追っ手もいまだに来ていない。
 ……きっと、姫様が取り成してくれたのだろう。我は魔王城の方角に、ありがとうございますと手を合わせた。
 ちなみに我が玉袋は、またミニサイズに変化しなおしてある。やはりあの大きさはどう考えても邪魔だからだ。
 というか姫様――フィア殿に別れを告げ、謁見の間を出ようとしたところで早速出入り口に引っかかった。
 姉上達の評価も「膝に乗せられない」「背中に乗せられない」「見苦しい」「生理的に無理」と散々だったので、巨大な玉袋が必要になるという珍妙な事件が起こらない限り二度と変化を解くつもりは無い。
 普通の雄たぬきは、あの大きさでどうやって生活をしているのだろう。我がそう考えているその時であった。
 我が手を合わせていた魔王城のある方角から、一羽の鳥がこちらへと飛んでくる。
 その純白の羽を我がぼんやり見ていると、鳥は滑空しながらこちらへと舞い降りてきた。
 体長一メートルほどの、妙に大きな口ばしと喉袋をつけた鳥である。
「ポン太郎・ザ・ドラゴンさんですね。郵便です」
 彼はその大きな口ばしをパカパカと開閉しながら喋り、背負った鞄から一通の手紙を取り出すと、それを我に差し出した。
 我が手紙を受け取ると、彼はこちらが差出人を確認する前に、もう一枚紙を取り出してそちらも渡してくる。
「こちらの紙に印鑑かサインをお願いします」
「えーと、手形で良いですか?」
「はい、ではこちらの朱肉をどうぞ」
 彼が差し出す朱肉に手をつけると、我は手渡された紙に自らの手形をポンとつけた。それを確認した彼は。
「結構です」
 と短く言い、多忙なのかいそいそとそれを鞄にしまおうとする。
 しかし体のベースが鳥で、鞄の位置が背中ということもあり、それが一向に上手くいかない。焦れた我が手伝ってやると。
「ありがとうございます」
 と礼を言い、さっさと飛び立っていった。
 飛び去る彼に手を振って見送った後、我は朱肉にまみれた手を自らの毛皮で拭う。
 ……手紙のいくつかに我の手形がついてしまったが、まぁ多分大丈夫だろう。
 そう自分を納得させてから、我は受け取った手紙を確かめた。
 差出人は、フィア・レムアイト。フィア殿であった。
 ……どんな内容だろう。あんな事をしたからには、やはり恨み言……いやいやあの方がそんな事をするはずがない。
 まさか果し合いではあるまいか。戦々恐々としながら、我は手紙を開いた。 

 前略

 あれから一週間経ちましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 こちらは様々な後処理に追われ、ようやくこうして手紙を出すことができるようになりました。
 とはいえポン太郎さんを責めているわけではありません。
 あれは、完全に私のいたらなさが原因で起きたことでした。
 魔王城の魔物に関しても、皆さんには一切手出しをしないよう言い含めてありますのでご安心を。
 その約束を取り付けるにあたり、お母様に了解を取りに行ったのですが、そうしたら、叱られてしまいました。
 許婚をペット扱いするとは何事だ。
 魔王たるもの先入観に囚われず相手の本質を見よと。
 私は、何も言い返せませんでした。
 そんなお母様は今回の件を聞いて大層元気になり、もう少し引退を延ばすとおっしゃられました。
 私も当分お見合いはしなくて良いそうです。
 きちんと殿方を見る目を養うまでは。
 確かに私は町で貴方が見せてくれた優しさや素敵さを忘れ、貴方をただの都合の良い道具として扱ってしまいました。
 これは許されることではありません。
 申し訳ありませんでした。
 ……しかし、もし貴方様が認めてくださるのならば、私にもう一度機会を与えてくださらないでしょうか。
 貴方様を一人の殿方として、もう一度見たいと思うのです。
 ですからもし貴方さえよろしければ
 もう一度友達から始め直して下さいませんでしょうか?
                                      草々

 ――それは、整った字で書かれており、節々の言い回しに彼女の人柄を感じさせた。
 手紙を仕舞うと、我の顔がにたぁっと勝手に崩壊した。
 そうか、彼女は我の事を嫌いになったわけではないのか。
 我とて彼女に嫌われたくてあんなことをしでかした訳ではない。お互いの生き方に悲しい相違があっただけなのだ。
 しかしこれから時間をかけていけば、そのすれ違いも徐々に解消されていくだろう。
 ていうか友達から、ということはその先も期待できたりしちゃったりするんじゃん?
 スキップをしながら、我は縁側を横切る。
 そうして、スキップ、ホップ、ステップ、三回転ジャンプ。そして華麗に着地。
 ポーズを決めたところで、前方の人影に気付いた。
「随分嬉しそうね、ポン太」
「あ、姉上!」
 我が顔を上げると、我が姉上ユマ・ザ・ドラゴン様が感情のこもらない目で我を見下している。
 何か良くないところを見られた気がし、我が戦々恐々としていると、姉上はいきなり我をひょいと持ち上げた。
「手紙、誰からだったのかしら」
 そうして姉上は自分と我の目線が平行になるようにし、じっとこちらを見ながら尋ねてくる。
 なんだか察しがついていそうな言い振りだが、それで何故こんなに怒っているのかは分からない。
「えーと、それはぁ」
 分からないが、なんだか素直に答えると更に怒らせそうな気がする。我がしらばっくれようと首を横に向けると。
「魔王の娘に抱っこされて、相当ご満悦だったようね」
 姉上は我を、いきなり抱きしめた。
「私の胸なんて、もうどうでもいいのかしら」
 というより押し付けている。ゴリゴリと音が鳴る。
「痛い! 肋骨が痛いです姉上!」
 我に染み付いた頑固な汚れが落ちてしまう! 我が叫ぶと、姉上は意地にでもなったように更に強く我をその胸板に押し付けた。
「というかどこでそんな事聞いたのですか!? 我はフィア殿の豊満で極上な胸の感触など一言も洩らしていないというのに!」
 我は悲鳴を上げながら尋ねる。
 すると、そんな我の後ろ頭をツンツンとつつくものがあった。
 もはや万力のごとき姉上の抱擁から、我は自らの鼻を苦労してくぐり抜けさせ、反対側に顔を向ける。
「ひゃん」
 姉上が可愛らしい悲鳴をお上げになったが、まぁそれはそれである。
 ともかく我がそちら側を向くと、そこには白い肌に黒い髪の吸血鬼ドラゴン、ミュッケ・ザ・ドラゴン姉様がいた。
 彼女はにっこりと微笑んだまま、小さく八重歯が尖る口を開いた。
「わたしのファン倶楽部の子が教えてくれたんだよ」
「ファン倶楽部!?」
 その聞きなれない単語に、我は驚愕の声を上げる。
「うん、なんかサキュバスさんの中でそういうのができちゃったみたい。魅了の魔法は解いたんだけど、おかしいなぁ」
 少々困ったような笑顔で首を捻る姉様。それに対し、我は冷や汗をかいた。
 それはもしや魔法ではなく、姉様自身の魅力でサキュバス達を落としてしまったのではなかろうか。
 ミュッケ・ザ・ドラゴン。その進化は留まるところを知らない。
「それよりポンちゃん」
 そんな姉様の声が、より朗らかな調子になる。だというのに我は嫌な予感が止まらない。
「その子の膝枕ぁ、とってもお気に入りだったんだって? 幸せそうな顔をしてたって報告があったよ」
 ……フィア殿に膝枕をされると、なんと背中に乳が乗るのだ。その感触を思い出し、自らの意思とは関係なく我の顔が緩む。
「私達が命がけで乗り込んだっていうのにこの子は……」
「あだ! あだだだだだ! いや、あれはですね! 我も色々考えて……いや、むしろ考えないようにしていたせいでボンヤリとしていただけでしてね! 決して気持ち良さに陶然としていた訳では!」
 再び死の摩り下ろしを始めるユマ姉上に、必死で弁明をする。
 そんな我の首筋にひんやりとした手が乗った。
「お姉ちゃん悲しいなぁ。やっぱり今すぐポンちゃんの事噛んじゃおうかなぁ」
 ミュッケ姉様が、我と顔の高さを合わせるように屈みつつ、顔を伏せて呟く。
「か、噛むのは了承しましたが、今は何かダメな予感がします! 具体的に申しますと今噛まれたら一生乳のある女性には近づかないような命令を受ける気がします!」
 その長いまつげと、豊かではないが白い胸元にドキドキしながらも、我はそれを拒否した。
「大丈夫。お姉ちゃんたちとなら、いつでもどこまでも触れ合いOKにしておくから」
「今この時点でこれ以上無いほどにびったりとくっついているので結構です! というか倫理的にNGです!」
 顔を上げたミュッケ姉様の口調は軽い。しかしその目は何やら赤めの輝きを宿している。
 やはり今は絶対に噛まれる訳にいかない。逃れようとする我だが、ユマ姉上は我に対する抱っこ術を極めており、脱出は困難である。
「血が繋がってないから大丈夫」
 またそんな事を言う! と、ミュッケ姉様に抗議しようと思ったが、途中で声の発生源が別だという事に気付く。
「重いんだけど……」
 我が鼻先を上にやると、ユマ姉上の頭上に、ケモノの顔がちょこんと乗っていた。
 虎竜フウ・ザ・ドラゴン姉さんは、重いなどという妹への抗議の為か、彼女の頭をてしてしと叩く。
 すっかり仲良しさんである。
 そんな風に考え、我が微笑ましく思っていると、ユマ姉上の頭がぐぐっと前に倒された。
 自然、フウ姉さんの顔が我に近づく。
 もしかして先ほどのは、頭を下げろの合図だったのだろうか。
 我の知らぬ内に、ユマ姉上の調教は進んでいるのかもしれない。
「ポン……」
 何故だか目を細め、頭から落ちないのが不思議なほど身を乗り出すフウ姉さん。
「わ、我は姉さんのことを本当の姉のように思っておりますから」
 何故落ちないのかと言えば、ユマ姉上が影を伸ばして尻尾を掴んでいるからだと、目を泳がせた我は気づいた。
「私もポンのことは弟だと思ってるよ。でも、素敵な男の子としても見てる」
「そんな、都合が良すぎます」
「都合が良い姉は、嫌い?」
「それは、その……」
 じっと見つめられ、ついに我は姉さんと視線を合わせる。
 その鼻先は徐々に近づいて……。
「ポン太も鼻が邪魔」
 そんな我の鼻先を、姉上の髪先から伸びた影がぎゅうぎゅうと押しのけた。
「の、のおおお」
「ポ、ポン……!」
 遠く離れる我の鼻に、悲痛な声を上げるフウ姉さん。
 頭を傾がせながら、不満を表すフウ姉さんの前足と我の鼻先をやり過ごそうとするユマ姉上。
 その光景はちょっとしたワクワク動物ランドである。
「じゃ、邪魔というならば離してください」
 我が抗議すると、姉上の腕により一層力が篭る。
「何故締め上げるのです!?」
「ポンちゃん……やっぱりしばらくお姉ちゃん限定の契約を」
 そうして視線の先では、しっかり無視された形の姉様が潤んだ瞳で待ち構えていた。
「契約内容を! 契約内容を詳しく確認させてください!」
 悲鳴を上げる我。と、廊下の反対側を何者かが通る音がした。
 鼻が折れそうになりながら、「きゃん」という悲鳴を聞きつつ、我が顔をもう一度反対側に向ける。
 すると、今まさに我らの横を通りがからんとしているのは、我が唯一無二の妹、アグノ・ザ・ドラゴンであった。
「ア、アグノ! 助けてくれ!」
 我が助けを求めると、彼女は一旦足を止めた、が。
「そのぐらい自分でなんとかせい。……ドラゴンなのじゃから」
 ぼそりと呟くと、スタスタとその場から去ってしまう。その態度に、我ら四匹の動きが一斉に止まった。
「……中々新鮮な反応ね」
「めんどくさい子」
「思春期ってやつだねー」
「石でも食ったんでしょうか」
 我らが各々の感想を言い合っていると、スタスタと先程去ったそのステップのままアグノがこちらに戻ってくる。
「たーまーにー優しくすれば、そちという男はーー!」
 更にはそう言って、我の目の下を掴むとぎゅうぎゅうと伸ばし始める。
「今のどこが優しいのだ! と言うか、な、なぜ我だけを攻撃するのふぁ! やめっ、隈取りが伸びる! やめて!」
 あぁ麗しき家族の愛。もみくちゃにされながら、我は一週間ぶりにこの家に戻ってきたことを実感した。


 我がほうほうの体で姉上達から逃げ出すと、居間では母上がお茶を飲んでいた。
 我が自分の分も注ぎ、向かいでひと息ついていると、彼女がぼそりと呟く。
「……悪かったね、ポン太郎」
「何がです?」
 母上にはまるで似合わない言葉である。
 一瞬聞き違いをしたのかと思い、我が問うと、彼女は茶を置き、またしても似合わない苦笑いのような表情で答えた。
「アンタに素性の事を隠してて、さ。それに、野暮な時に止めちまったみたいだしね」
 野暮な時、、というのはあのガッデオにボコボコにされた時のことであろうか。
 しかしあの時の我は意地を張ることばかり考えていて、まさしく自らの恥部である玉袋を晒してまで奴を倒そうとする覚悟は無かった。
 母上が止めてくれなければ、恐らくあのまま殺されていたことだろう。
「いいのです、母上」
 であるから、珍しく殊勝な母上に、我はゆっくりと首を横に振って見せた。
「おかげで我は、大切なことを学ぶことができましたから」
 あれがなければ、我はきっと竜のプライドというものを勘違いしたままだった。
 姉上たちの深い愛を理解せぬままだった。
 そして何より……我は目を閉じて語る。
「生まれなど、どうでも良いのです。たとえ我の本当の父親がたぬきでも、我の中には竜の心が……」
「え?」
 しみじみと語っている我の台詞を、母上が唐突に声を上げて遮る
「どうしました、母上」
 話の腰を折られたことに若干むっとしながら、目を開けて我が尋ねると、彼女は首をひねった状態で我に問いかけた。
「アタシ、アンタの父親がたぬきだなんて言ったっけ?」
 ……その言葉の意味を理解するのに、数秒を要する。
 それから我は、机を肉球で叩いて声を上げた。
「違うのですか!?」
 さらりと衝撃の発言をかます母に、テーブルを乗り越えて問いただそうとする我。
 しかし、母上は逆に椅子から降りると、我を見上げてにやりと笑った。
「ま、いいじゃないか。生まれなんてどうでも良いんだろ?」
「いや、そう言いましたけれど……」
 言質を取られている形の我は、しぶしぶそう答える。
 すると、そうだろうそうだろうと頷き、母上は踵を返して居間から出て行ってしまった。
「むぅ……」
 落ち着く為に、お茶をひと啜り。
 ……そう言えば先程はスルーしたが、何故我の素性を隠す必要があったのだろう。
 何故父上は、我を魔王の娘さんの婚約者なんぞにしたのだろう。
 フウ姉さんが我の素性について黙っていたのは、母上に口止めされていたか、もしくは知らない方が良いような出自だったからではないだろうか。
 我って……何?
「あー! やっぱり気になります! 教えてください!」
 やはり我慢できず、我は母上を追って椅子から飛び降りた。
 自分が何者であるか。そのむつかしい問いに我が胸を張って答えられる日は……もう少し先になりそうである。

 どらぽんっ〜ドラゴンたぬきのポン太郎 了

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