ドラポン 第一章 その3


 我が居間に入ると、既にミュッケ姉様以外の家族は揃っていた。
「む……」
 いきなり我を睨みつけるのは我が妹、アグノ・ザ・ドラゴンである。
「何か」
「ふん」
 我が尋ねると、彼女はドラゴンノーズブレスを吐きながら顔をそらす。
 年頃の女子は種族を問わず、年頃になると愛想が無くなるというから多分それだろう。更年期障害というやつだ。
 更に食卓の上座には、一匹のたぬきが座っている。我とよく似た模様をしているが、毛艶は我のほうが上である。
「ミュッケは?」
「お亡くなりになりました」
「あら、ご愁傷様」
 このとぼけたたぬきが我の母親、桂たま美である。父と別姓にしているのは深い理由があると昔言っていた気がするが、まぁ特に知りたいとは思わない。
「フウ姉さん、挨拶が遅れて申し訳ありません」
 そして我は最後に、部屋の隅で丸くなっていた我とも母とも形状が違う、毛むくじゃらな方に声をかけた。
「……別に、ポンがミュッケ大好きなのは知ってるし」
 すると彼女は、そっぽを向いたままそんな事をおっしゃる。
 まずい、むくれている。
 察した我は、まわりこんで彼女を見た。
「ね、姉さんを蔑ろにした訳ではないのです! 我はこの家で姉さんの事を一番尊敬していますから!」
 体長はたぬき時の我より一回り大きい程度。体は白と黒の縞模様の毛皮で彩られ、顔は猫のよう。しかしその牙は口を閉じていてもはみ出すほどに長く、手足の先は龍の鱗で覆われている。
 虎とドラゴンのハーフ。それが我が家で最年長の姉、フウ姉さんであった。
 彼女は背中についたドラゴンの羽をぴくぴくと動かすと、半眼で我を見る。
「本当に?」
「本当です!」
 我が直立して答えると、彼女は「んっ」と顎を突き出して上半身をそらせた。
「じゃぁどうすれば良いか分かるよね?」
「は、はい!」
 そのポーズの意味を察し、我は彼女に近づいて一礼。
「よしよしよし」
 そして姉さんの顎下を、愛情を込めて撫でた。
「うにゃ〜」
 すると彼女は途端にとろけたような表情となり、相好を崩す。
 我は数年前までは様々な姉様達に撫でられ続けていたので、相手が悦ぶ撫で方も一通りマスターしているのだ。
 姉さんは猫科の血が混じっているせいか、やけに甘えん坊である。しかしこの家では長女ゆえ、素直に甘える事ができない。
 その為こういった迂遠な態度を取ってしまうのだが、そこがまた愛しくもある。
「どう見ても尊敬してる態度じゃないんだけど……」 
 ぼそりと呟いたユマ姉上が、食卓の真ん中にサラダを置く。我が家の家事は当番制であり、今日の担当は姉上だったようだ。
 ……我の番は明日のはずである、多分。
「ていうか、アタシは挨拶すらされてないんだけどねぇ」
 母上が何やら愚痴っているが、まぁ気にしないでおこう。
 食卓には他にパンと羊肉のシチューまで置いてあり、先程まで我がすっかり忘れていた食欲を胃の底から思い出させた。
「いやぁ、姉上の料理は相変わらず食欲をそそりますな」
「別に、簡単な物ばかりでしょ」
 謙遜する姉上。彼女に我が胃袋の律動を見せてやりたい。我が姉上を賞賛すると、フウ姉さんがまた機嫌の悪そうな表情に戻ったので、我は夕食の準備が出来るまで彼女を撫でる事に集中する事にした。


 撫でられ足りない、そんな表情のフウ姉さんを残した全員が食卓につくと、我々は一斉にいただきますと言って手を合わせた。
 人間の神に祈る義理は無いし、ドラゴンの神に祈っても我々では効果が半分な気がする。
 様々な紆余曲折があったが、結局我々はどこぞの地域の風習に習い、こうやって食事を始めることにしていた。
「うむ、やはり姉上の作った物は最高です」
 シチューを啜りながら我が感嘆の声を上げると、姉上は聞こえない振りをしてそっぽを向いた。
 照れているのである。可愛いお方だ。
「アタシのじゃ不服だって言うのかい?」
 こちらはバッチリ聞こえていたらしい。我をじっと睨む母上。
「蟲やかえるの丸焼きは料理とは言いません」
 それに目も向けず、我はシチューをすすりながらそう言い返した。
 会話をする時に相手の目を見るという作法は、我が家では度々無視される。
「火を使うだけありがたいと思うんだね」
 しかし母も譲らない。彼女は前足で器用にフォークを操ってサラダを頬張りつつ、我に応酬した。。
 まぁ平凡なたぬきである母に、そこまで求めるのは酷というものだろうか。蟲やかえるも飽きるというだけでまずくはない訳であるし。
 ユマ姉上とミュッケ姉様が人間式の食事を我が家に取り入れてから、我の舌はすっかり贅沢者になった感がある。
 当番制なのでもちろん食べるだけではない。我は姉二人に教えを乞い、作ることにおいても今や第二の趣味と呼べるほどには拘るようになった。
 フウ姉さんは……ちらりと彼女を見ると、姉さんは床に置かれた器の上に盛られた飯を、ガツガツと食っている。
 彼女は我が家の食糧事情にあまり干渉しない。時折森の動物を狩ってきて、それが食卓に並ぶ程度である。
 となると一番の問題は……考え、我はそのまま隣に座る少女に目をやった。
「な、何じゃ?」
 意識したわけではないだろうが、彼女の台詞は我が居間に入ってきた時のモノと酷似していた。
 なので我はふんと鼻を鳴らして「炭の固まりは食べ物とすら呼ばん」と答えてやった。
「そなたも炭にしてやろうか?」
「すみません。我にはそういった形からの復活はできませんので勘弁してください」
 食事中に口をかっぱりと開ける無作法な妹に、我はテーブルの上に両手をつき深々と頭を下げる。
 アグノは毎度火加減を間違えて作った料理を炭にするくせに、それでも毎回料理をしたがるのだ。
 そしてそれを処理するのは、主に我の役目となる。
 我が家において、我の立場は大層弱い。我をぽんと生んだ母上や、身なりは小さくとも我より年かさな姉上はまぁいい。
 しかし普通の家庭であれば唯一威張れるはずの相手である妹が、とにかく我を尊敬しないのだ。
 アグノ・ザ・ドラゴンはヴォルガー・ザ・ドラゴンが作った子供達の中で、唯一の雌ドラゴンとの間に作られた純潔種である。
 その為か妹の中には「ドラゴンとは気高く強く」といった旧式の哲学があるらしく、我はその哲学に著しく反する存在らしい。
 我は確かに火も吐けないし空も飛べないが、羊肉を噛み切れる程度には丈夫な歯を持っているのだから、そのぐらいは敬ってくれても良いはずなのだが。
「おっと、このシチューはミュッケ姉様の物ですね」
「あ、ならばわらわが食べようか……」
 我がテーブルの端にあったシチューに目を向けると、アグノが何か言おうとした。
「いただきますね。勿体無いですからね」
 それに勘付いた我は早口でそう言うと、さっとシチューに手を伸ばし手元に引き寄せた。
 そして天才的変化センスで頬袋をさっと肥大化させ、一口でシチューを皿ごと口の中に収める。
 その間実に一秒である。
「あー!」
 するとアグノが自らの哲学もどこへやらな声を上げた。
 姉様の分まで平らげようとする意地汚さと言い、本来のアグノは気高さ、高貴さなどからは離れた性格をしている。
 んべっ、と口の中から皿を取り出した後、我は
「あー、もしかしてアグノも食べたかったー? ごめんねお兄ちゃん気づかなくてー」
 そんな自分を偽る妹が不憫で、兄はたびたび本来の彼女を引き出すよう努力をしているのだが。
「炭になれ!」
「二人ともやめなさい」
 激昂したアグノが変化を解きかけ、姉上がそれを制した。
 我は熱々シチューで食道が大変なことになっているのを悟られぬように、ゆっくりと水を飲む。
 ……うん、こんな事をやっているから、尊敬を集められないのかもしれない。

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