魔王の家の村娘A
四話 VSパジャマ
「ただいま戻りましたー……」
アンがふらふらと居間に戻ると、雑誌を読んでいた良が子竜と同時に顔を上げた。
「物凄い悲鳴が聞こえたが、無事か?」
「き、聞こえていたなら助けてくださいよぉ」
「どうせシャンプーでも目に入ったんだろう? そして俺が何事かと駆けつけると、キャーエッチーとか言ってその顔に桶でも投げつけるつもりだったに違いない。お前のような一般異世界人がやることなど分かりきっているのだ」
そして意味不明なことをつらつらと言う。多分これは冗談ではなく本気で言っているのだろう。もはやそれがどちらであろうが、今のアンにはどうでも良くなっていた。
「あー、良いお湯だったねー。アンお姉ちゃん」
そんな彼女の後ろから舞が現れ、アンに意味深な視線を送る。
「は、はい、舞様……舞ちゃん」
アンは彼女にギクシャクと言葉を返す。まさか年下の同性に、あんな辱めを受けるとは予想していなかった。
良は二人に不審そうな視線を向けてから、まぁいいと咳払いをし。
「で、その格好は何だ」
と、もっと不審そうな目で見た。
「何って、パジャマだよ」
それに対し、舞がさらりと答える。
「へそが出ているではないか」
良に指摘され、アンはまるで雷が落ちたかのように急いで臍を隠した。
「私のじゃサイズが合わないんだもん」
アンが着ている服は、パジャマというらしい。
この世界の標準的な寝具だと舞は言っており、ゆったりと作られている為アンでも着る事はできるのだが、如何せん手足や臍の丈が足りない。
「……風邪引くぞ。腹巻でも出してやれ」
「りょうかーい」
返事をし、舞は二階へと上がっていった。
「しんせ……ツンデレにどうも」
「だからその奇怪な日本語はやめろ」
親切、と言いかけてアンが言いなおすと、良は辟易とした顔で返した。
彼は手に持ったおまんじゅうを、膝の上にいる子竜にやる。
「食べさせちゃって良いんですか?」
「……異世界最強生物が、まさか饅頭詰まらせて死ぬなんて事はあるまい」
それでも少しは不安に思ったのか、彼はそれを千切って与えている。
何となくそれを微笑ましく思いながら、アンは彼の向かいに座った。
「というか、こいつの餌には何をやればいいんだ?」
彼女の表情が気に入らなかったのか。やはり良は憮然とした顔をしながら、アンに問いかける。
「んー、確か何でも食べますよ。牛とか、人間とか」
「人が手を差し出してるときに、不安になるようなことを言うな」
「だって、ドラゴンってそういう生き物なんですもん。普通の人は傍に居たいとすら思いませんよ」
「その割には平気そうだな。一般異世界人代表」
「え? あぁ、何だかよく分からない事が続いた所為で、感覚が麻痺してきちゃって」
良に指摘され、アンはようやく自らの矛盾に気づいた。出会ったときは恐怖で震えが止まらなかったと言うのに、今は愛嬌のようなものまで感じ始めている。
先程、風呂場で死ぬより恐ろしい目にあったからだろうか。
それとも。
「私の世界との繋がりって、この子しかいないんですよね」
そうだ、今の自分はまったく知らない世界で、一人ぼっちなのだ。
今更それを意識し、アンは胸の中をじんわりと締め付けられるような感覚を覚えた。
「そ、その、俺は謝らんぞ」
「あ、ごめんなさい。良さんを責めたい訳じゃないんです、あの穴を壊したのは私だし、そもそも助けてもらわなかったら、この子に食べられてましたから。それに……」
あからさまに動揺している良に、アンは慌てて弁明する。
更に出かかった言葉を、彼女は途中で飲み込んだ。
「どうした?」
「い、いえ……」
何となく、彼に対して安易にそれを言うのは憚られる。彼女自身それをはっきり断言できる訳ではなかったし、それを言えばきっと、何故と問われるであろうから。
良が押し黙り、アンも口を開けない。気まずい沈黙が降りた。
「ただいまー。あれ、どうしたの?」
そんな空気の中、舞がピンク色の布を持って戻ってきた。
彼女は両者の顔を覗き込むが、良は首を横に振り、アンは曖昧に笑うだけなので、諦めた様子でアンの前に立った。
「アンさん、ばんざーい」
ばんざいという言葉が、アンには何故か両手を上げろという意味だと伝わる。
彼女は言われた通りに両手を上げ、それから舞がニヤリと笑っている事に気づき、戦慄した。
が、舞はその伸縮性のある布をアンの頭の上から通し、腹の辺りで止めると何もせずに体を離した。
「期待しちゃった?」
「し、してません!」
ニヤニヤと笑ったまま良の隣に座る舞に、アンは顔を赤くして言い返した。
ワザと先程の風呂の件を連想させたらしい。
良はもちろん訳の分からないといった表情をしている。
恥ずかしくなり、アンはもじもじとその腹巻とやらを弄った。
どうやら編み物のようで、彼女の腹にぴったりとくっついている。
なるほど、確かにこれならお腹を壊さなくて済みそうだ。
この伸び縮みはお婆ちゃんが編んでくれたマフラーと同じ原理かしら。
そう考えた後、祖母の顔を思い出してまた気分が沈みそうになり、アンはプルプルと首を振った。
「さっきから何だ」
不審極まる、といった表情でこちらを見てくる良に、アンは愛想笑いを浮かべながら、何か誤魔化す材料はないかと周囲を見回した。
それから、ふと視線が良の膝の上にいる子竜へと行く。
「あ、名前をつけませんか?」
「名前?」
「そのドラゴンのです。飼うんですよね?」
「まぁ、野に放つ訳にはいかないからな」
問いかけると、良はふふんとシニカルに笑いながら答えた。
「それにこいつは、我が魔王軍の第二の部下だ」
「それって私が第一なんですか?」
「違うわ。お前みたいなファンタジーパンピー略してファンピーは一生召使いだ」
第一はこいつ。と、良は妹の頭に手を置き、ひと撫でした。
あ、舞ちゃん今一瞬凄い顔した。などと確認しつつ、アンは頷いた。
「そうですか……」
安心したような、役立たず扱いには少しガッカリしたような、微妙な気分である。
付随する思い出がまた顔を出しかけて、アンはまた首を左右に振った。
「……それはクセか何かなのか?」
「い、いえ、そうだ。そうじゃないですよ。名前ですよ名前。飼うにしても部下にするにしても名前がないと不便ですよ!」
もはや心配そうな顔になってきた良を誤魔化し、アンは若干大げさに主張する。
その勢いに押され、ぎょっと身を引いてから、良はそれを恥じるようにコホンと咳払いをして彼女に告げた。
「名前ならもう考えてある。クッキー、もしくはキクだ」
「えーっと、由来を聞いても良いですか?」
「こいつ、一見黒いが下に金色の皮膚があるだろう。黒と金だ。だからクロキンとも考えたのだが、それでは安易すぎるのでクッキー。もしくは逆さにして縮めてキクだ」
「異世界の人って、不思議な発想をするんですね」
「いや、お兄ちゃんだけだから。ていうか外見から離れられない時点でどう捻っても安易だと思うよお兄ちゃん」
「う、うるさいわ! あぁもうキクで決定」
女性陣に代わる代わる言われ、良はヤケクソ気味にそう断言した。
「良いかキク。俺とお前で世界を征服してゆくのだぞ。代わりにお前は我が部下一号に昇格してやる」
「あ、ちょっとお兄ちゃんズルい!」
言いながら、良は子竜――改めキクを持ち上げ語りかけた。
まるで交換条件になっていないとアンは思うのだが、抗議する舞を見るにそれは重要な部分らしい。
それに対し、キクは短く「くあぁ」と答えた。
もしかしたらキクはもう人間の言葉が分かるのかもしれない、などとアンはぼんやり考えた。
「よしよし、良い子だ」
その返事に良は気を良くし、キクを片手で抱きなおしその頭を撫でる。すると、その遠まわしな由来である金色の皮膚が風に揺れる稲穂のように覗いた。
キクが目を細め頤を上げると、良は鼻から息を抜きながら頬を緩めた。
良が初めて無邪気な笑顔を見せた気がし、アンも釣られて微笑んだ。
「な、何だ」
「いえ、良さんって可愛いなって思って」
「……放り出すぞお前」
「えぇ、褒めたのに!?」
アンが机に手を置き抗議の声を上げると、良は静かにキクを置き、机越しのアンの頭を両手で掴んだ。
「お・前・の・世・界・で・は、可愛いと言われて喜ぶ魔王がいるのか!?」
一語ずつ区切りながら、良が掌底でぐりぐりとアンのこめかみを嬲る。
その顔にはもはや先程までの笑みは無い。
「アンお姉ちゃん良いなぁ」
「良くないですって! 痛い痛い痛い!」
「クエエ」
指を咥えながら羨ましがる舞に叫びながら、アンはその痛みに悶え苦しんだ。
相手の気持ち良いツボが分かるという事は、痛みもより効率的に与えられるという事なのか。
まるで直接押しつぶされているような脳から、そんな言葉を絞り出される。
しかし、そうして騒いでいる内に、彼女の落ち込んだ気持ちはいつの間にか消えていたのだった。
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