魔王の家の村娘A

5話 VS朝食


 次の日の朝。
「ふぁああ」
「くふぇぇ」
 同時に欠伸をしながら、良がキクを抱え階段を降りてくる。
 まるでぬいぐるみが無いと眠れない子供みたいですね。
 アンは彼にそう言おうかと思ったが、昨夜のこめかみの痛みを思い出し、自重した。
「おはようございます、良さん、キクちゃん」
 しかし顔の緩みを抑えることは出来ず、妙な笑顔でアンは一人と一匹に挨拶する羽目になった。
「おはよ……と、お前は何をしているのだ」
 寝ぼけ眼のまま普通に挨拶を返しかけた良だったが、魔王の沽券に関わるのか彼は途中でその言葉を飲み込むと、誤魔化すようにアンを睨みながら尋ねた。
「おはようお兄ちゃん。何って、料理だよ」
 アンの隣に立つ舞もまた、振り返って彼に説明をする。
 彼女らは良より一時間ほど前に起き、顔を洗い朝食の支度を始めていた。
 パジャマの上にエプロンをつけ、共にキッチンに並んでいると、自分に妹が出来たようでアンには嬉しかった。
 昨日の風呂場での出来事さえなければ、もっとすんなり彼女を妹のように思えたはずなのだが。
「料理って、お前らそんな事できるのか?」
「お兄ちゃん。私にできると思う?」
「おい」
 問い返す舞に、良が半眼を向ける。
「あ、私は一応できますよ。酒場で賄いを作ってたこともありますし」
 アンは良を安心させるべくそう告げるが、彼は寝起きの所為だけでは無さそうな目つきの悪さで今度はアンを見る。
「お前が、料理なぁ」
「食材も大体あちらと一緒でしたし。トマトとか、レタスとか」
 言いながらアンは、今きざんでいた食材を見せる。
 異世界にあっても人間という種族は存在するように、野菜もまた同じものは存在するらしい。
 冷蔵庫とやらを開ける際はどんなゲテモノが飛び出すか、アンも戦々恐々としたものだが、取り越し苦労だったようだ。
 中身はほぼ彼女の知っている食材ばかりであった。
「あと、この毒フニフニ草とか」
「そりゃほうれん草だ! そんな素材この世界にはねぇよ! ていうか毒って名前ついてるじゃねぇか! 何作ろうとしてるんだよ!」
 更にアンが掲げた葉を見て、良が怒涛のツッコミをする。
「え、大丈夫ですよ。こうやって苺ジャムを塗れば毒は中和されますから」
「だからそれはフニ何とかじゃねぇ! 何塗ってんだ!?」
 そんな、どう見ても毒フニフニ草なのに。
 信じられない思いでアンは手元にあるジャム塗れの野菜を見た。
「お兄ちゃん近所迷惑」
「誰の所為だ!? 生のほうれん草にジャム塗った時点でお前もおかしいと思え!」
 叫ぶ良の腕から、うるさそうにキクが逃げる。
 それを少し意外に感じながら、アンは見つめた。
「はぁ、はぁ、あぁ、あいつも俺にべったりという訳では無いらしいな。昨日も寝るときはクッションを勝手に裂いて、俺に背を向けて寝た」
「おー……」
 息を整えながら、良がアンの疑問を察したらしく答えた。
 流石は異世界最強生物。心まであのナデナデに侵されてはいなかったらしい。
 自らの世界の最強がこの世界の魔王に屈しなかった事に、アンは妙な感動を覚えた。
「まぁ、今朝はこいつの撫でろという催促で起こされたがな」
 ……ただ単に気まぐれなだけかもしれない。
 本当に、普通の剣では虫刺され程度の傷すら与えられない存在なのになぁ。
 感動が無駄になった気がして、アンはため息をついた。
「それより、料理は本当に大丈夫なんだろうな?」
「あ、はい。毒フニフニ草さえ抜けば多分普通のサンドイッチですから」
「アンさん、だからフニフニじゃないって」
 良の喉と近所の耳を心配してか。さすがに舞がアンに対してツッコミを入れる。
 そうでしたと謝ってから、アンはとりあえず毒……ほうれん草は別の器に入れておく。
 それを嫌そうに見てから、良はしかしと話題を変えた。
「あちらでもサンドイッチはあるのだな。もちろん別の名称が翻訳されているのだろうが。もしや由来はサンドイッチ伯爵か?」
「あ、はい。一つ目殺しのサンドイッチ伯爵が相手を石の壁で押しつぶす魔法をヒントに、この料理はできました」
「エピソードはまるで違うのだな……」
「じゃぁこの具って、つぶれた生き物がモデルなんだね……」
 由来を聞いてげんなりしたような顔をする二人。
 そういえばそんな理由で、これが嫌いな人もいたっけとアンは思い出した。
「それが嫌ならこちらのシチューもありますから」
「あ、そうだ。こっちはインスタントのに野菜を入れただけだから、安全だよ」
 アンが鍋に入った白いシチューを指し示すと、舞がそう補足する。
 あの四角い塊を鍋に入れてかき混ぜるだけでシチューになるというのだから、本当にこの世界の技術は大したものだ。
「安全と評される料理と言うのも、微妙に食いたくなくなるな」
「そんなに不安なら、お兄ちゃんも手伝ってくれれば良いじゃない」
「魔王が料理など、似合わないにも程があるだろう」
 そう言って肩をすくめる良。
 良いと思うのになぁ、お料理魔王。などとアンが思っている間に、彼は背中を向けてテーブルへと向かってしまった。
 しょうがない人、と二人は顔を見合わせ、料理の続きを作ることにした。
 それから十分後。
 良の横には舞。膝の上にはキク。向かい側にはアンという昨日と同じ配置で、食器を並び終えた彼らは座っていた。
「いただきまーす」
 舞がそう言ってサンドイッチに手をつける。良も同じよう口の中でそう挨拶しそれを口に運ぶ。
 この世界では、食前に主神レンギ様にお祈りする習慣は無いらしい。
 まぁ、神様も流石に異世界までは見ていないだろう。
 そうアンは判断し、彼らに倣っていただきますと言ってサンドイッチに手をつけた。
「ど、どうでしょう」
「ん、まぁ普通だな」
「そうですか……」
 恐る恐るといった感じでサンドイッチを租借し終えた良に感想を聞くと、特に面白みの無いコメントが返ってきた。
「まぁ、サンドイッチですからそう極端な事にはならないですよね」
「なりかけただろうか」
 良がジト目でジャム漬けのほうれん草を見る。
 試しに齧ってみると、なんというか草とジャムの味がした。
 こんなに似ているのに味がここまで違うとは、不思議なものだ。
 アンが文字通り苦々しい経験を積んでいると、舞が口を開いた。
「そういえばお兄ちゃん。重大な問題が発生しました」
「ほう、言ってみろ」
 挙手をする舞に、教師のように促す良。この世界でもこういうやり取りは一緒らしい。
「アンお姉ちゃんが着られる服がありません」
「……お前の物ではサイズが合わないか」
「上は何とかいけるんだけどねー。下がワカメっちゃうの」
「ぶっ」
 舞の言葉に、良が口の中の物を噴出した。キクが迷惑そうにそれを見上げる。
「ワカメ?」
 その言葉は上手く変換されていないようで、アンには意味が分からない。
 現在アンが着ているのは、昨日借りた寝巻きのままである。
 ……この世界のスカートはやたら短く、さらにアンが履いているのはドロワーズである。
 今朝は早くに起きて色々試しては見たものの、全て下からはみ出してしまった。
 ワカメってそういうことかとようやく当たりをつけ、アンは赤面した。
「だから、今日は皆で買い物に行こうよ」
 それを楽しそうに見てから、舞はキクにかかった内容物をはらっている良に提案した。
「面倒くさい。お前らだけで何とかならないのか?」
「私お金無いもん。お母さん資金渡してくれるならそうするけど?」
 舞は両手を広げた後、ニヤリと笑った。お母さん資金……一体なんだろう。
 アンが首を捻っている間にも、良と舞が言い争っている。
「お前にサイフなんて握らせたら、スッカラカンにしてサイフまで落としてくるから却下」
「お金入ったまま落とすよりマシでしょ?」
「最悪中の最悪じゃないだけだろうが! その浪費癖と落し癖を直せという話をだな……。もう良い、しょうがないから俺も付き合う」
「最初からそう言ってくれれば良いのに」
「はいはい、俺が悪かったよ」
 ため息をつく良と、言いながら嬉しそうにしている舞。
 こうして見ると普通に仲の良い兄妹に見える。
 やはりあの風呂場での言葉は冗談だったのかしらとアンはぼんやりと考えた。
「じゃぁ撫でて撫でて」
「意味が分からん」
 言いながらも、良は抵抗が無駄だと悟っているのか、それとも自らも撫で中毒なのか妹の頭を撫でる。
「んっ……」
 目をつぶり、舞はその感触を一時も逃がさないようにしているようだ。開いた口に紅潮する頬。髪をかき上げられる度に漏れる吐息。
 やはり、兄の愛撫に彼女が耽溺しているのは本当のようだ。
 アレってそんなに気持ちいいのかな。思ってからアンは、プルプルと首を左右に振った。私ったら何を考えているのかしら。
「おう?」
 ふと、良の指の動きが止まった。見れば、キクがテーブルの下から顔を出し、彼の服を引っ張っている。
 どうやら自分以外を撫でていることが気に入らないらしい。
「……むっ」
 目を開けた舞が、それに気づきキクを睨む。
 キクもまたアンを睨み返し、彼女らは傍目にも視線の火花が幻視できるほど激しく睨みあった。
 異世界最強生物に喧嘩を売るなんて無謀な! とも思うのだが、舞の底知れなさを考えると何故か良い勝負をしそうな気もしてきてしまう。
 いやいや、そんなことより止めなければ。アンが声を上げようとした時。
「あー、バカ、喧嘩すんなお前ら」
 良が、舞とキクの頭を同時に撫でた。
 へにゃりと、双方の力が抜ける。相変わらず魔法のような指だ。
「何だ、お前も撫でて欲しいのか?」
「りょ、良さんは、自分の手を傾国兵器だと自覚してください!」
 アンの視線に気づいた良が、こちらを見てそんな事を言う。
 冗談ではない。自分も撫でられてしまったらどうなることか。
 それから緩みきった独りと一匹の顔を見て、この人と暮らしていて本当に大丈夫だろうかとアンの心には再び不安が渦巻くのだった。

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