魔王の家の村娘A

三話 VSサービスシーン


「で、どうしてくれるのだ」
 穴が開き、床が焦げ散々になった和室……という場所から、アンは男、平平良良に連れられ階段を降り、革張りのソファーのあるリビングらしき場所へと案内された。
 テーブルを挟んで向かい側に座った良が、開口一番に言ったのがこのセリフである。
「そ、その、殴った事はごめんなさいですけど、やっぱり支配とか征服とかは良くないと思います」
「一般人らしい画一的な意見だな。そもそも世界というのは既に誰かしらに支配されているのだ。だったらちょっとぐらい俺が支配してもかまわんだろう」
「一般人に殴られて転げまわる人の支配はちょっと……」
「殴った奴が言うな!」
 良が叫ぶと、その膝の上に乗っていた子竜がびくりと首を起こす。
 先程の二の舞を恐れてか。彼は子竜の背中を慌てて撫でる。
「はーい、お兄ちゃんとえーっと、アンさんにも麦茶とお菓子どうぞ」
 そこへ彼の妹、舞が盆の上に飲み物と紙に包まれた物を乗せてやってきた。
 彼女は兄の隣に座ると、包み紙をはずして中の物を口に入れる。
 アンもそれを真似してみると、口に入れた途端甘い味が広がった。
「おまんじゅうで大丈夫だった?」
「ふぁ、はふぃ」
 舞に問われ、アンはコクコクと頷く。なるほどこれはおまんじゅうと言うのか、美味しい、が、彼女の口では、一口で食べるには大きすぎる。
 もしかして異世界の人は自分より口が大きいのかしらん。などと考えながらアンはそれを何とか嚥下する。
「クーラーつけるね」
 言って、舞が手に持った何かを操作すると、ピッと音が鳴りどこからか涼しい風が舞い降りてきた。
 なんだろうこれ。アンがキョロキョロと周りを見回していると、良がコホンと咳払いをした。慌てて視線を戻すと、彼はじっとこちらを見ている。
 どうやら先程の質問の答えをずっと待っていたらしい。
「えーと、それで私どうすればいいんでしょう?」
「俺に聞くな!」
 落ち着いた所で尋ねると、男に再び怒鳴り返された。
 怒鳴りながらも子竜を撫でているのだから、器用なものだ。
「で、でも私、この世界の勝手という物を知らないので……。ここってどんな世界なんですか?」
 その質問に、向かいに座った兄妹は顔を見合わせる。
 私何か変な事を聞いたかしら。などと彼女が困っていると。
「えーと、とりあえずこういうドラゴンとかはいないね」
「あと魔法もないな」
「エルフとかドワーフとかもいないね」
 交互にあれが無いこれが無いと挙げていく二人。
「勇者も魔王もいない」
「魔王はいるじゃないですか」
 良の言葉にアンがツッコミを入れると、彼は眉間に皺を寄せ、難しい顔をした。
「俺は……まだ正式には魔王ではないというか、まぁいずれそうなる人材だが……」
「魔王見習いという訳ですか」
「一気に威厳がなくなるから、その呼び方はやめろ」
「とりあえず、良さんってこの世界を支配してるわけじゃないんですね」
「こんなつまらん世界、支配する価値もない」
 この世界が自分に殴り飛ばされるような人間が支配する世界ではなくて良かった。アンがほっと息を吐くと、良はつまらなそうにそっぽを向いて吐き捨てた。
「そういえば、先程から無い無いって言ってましたね」
「あぁ、何も無い空虚な世界だ」
 ついには子供のように口を尖らせる良。彼はこの世界が嫌いなのかしら。そう考えるとアンの胸に言いようのない感情が芽生えた。
 世界を、嫌う。今まで一つの世界、その端の小さな集落しか知らなかった彼女には、無かった感覚だ。
「おまんじゅうはあるじゃないですか」
「おまんじゅうがあってもなぁ……」
 アンがその解析不能な気持ちに戸惑いながらフォローすると、良は難しい顔をしたままではあったが、とりあえずこちらを向く。
「それに、この部屋にだって私が知らないものが沢山ありますし。……あ、そうだ。私この世界のことが知りたいです!」
「俺が聞いたのは、どうしたいかではなくどうするかだ!」
「あぁ、そういえばそんなお話でしたね」
 すっかり忘れていたアンがあっけらかんと返すと、良はがっくりと肩を落とした。
 しかしどうするのかと言われても、そもそもの話として、とアンは考える。
「えーと、良さんは私をどうしたいんですか?」
 普通はこういう場合、選択権を持つのは相手側だろう。ここは彼の世界であり、アンは加害者であり、しかも良は魔王のタマゴなのだ。
 魔王相手に加害者になった自分に、アンは今更ながら呆れてしまう。
「え、俺?」
 だが肝心の魔王はといえば、何やらとても間の抜けた反応を示す。
「そうです。こう、私をどうしたいとか。どうしてやりたいとか」
 言いながら、アンが身を乗り出し机に手をつくと、魔王良は慌てて身を引いた。
「ば、バッカ! 若い女の子が何言ってんだよ!」
「え? 私何か変な事言いました?」
「ごめんねアンさん。お兄ちゃんって人の十倍純情なの」
「は、はぁ」
 異界ならではのやり取りだろうか。アンにはもはや恒例となった生返事しか出来ない。
「バカ言うな! 魔王たるもの一辺たりとも汚れていない心を持つものか! えーと、お前にさせたいことだな! させたいこと……」
 それに対して何の対抗心を燃やしてか。良は高らかに宣言すると、こめかみに手を当て考え始めた。
 もぐもぐと新しい饅頭を摘みつつ、彼の答えを待つアン。
 それから、アンが更にもう一個食べようか迷っている間に、良はアンに指をびっと向けた。
「そーだ召使いだ! お前は俺の召使いになるのだ!」
「お兄ちゃん、考えた割に発想が小学生並み」
 隣の舞が、半眼で彼に呟く。
「召使いって、具体的には何をすればいいんでしょう」
「この家を全部掃除させるし、俺達の料理も毎食作ってもらう!」
「それでだけ良いんですか?」
「え、あぁあぁ……あー、えーと、あとゲームのレベル上げもやらせる」
「お兄ちゃん……」
 アンにはそれがどんな行為かは分からないが、良の妹が彼を哀れみの目で見ている以上、大した事ではあるまい。
「私、魔王さんのする事だから儀式の生贄にされちゃうとかそういう事を考えてました」
「……それを想定していて、よく俺に判断を委ねられるな」
「えへへ」
「褒められてないからね、アンさん」
「こいつ、思いの外バカだぞ」
 照れ笑いを浮かべるアンに、兄妹が揃って渋い顔になる。
 子竜までが短く鼻息を鳴らした。
 召使い……。アンはその言葉を反芻すると共に天井を見上げた。
 そこには、先程ドラゴンが酸であけた穴が開いている。
「そういえば、この家にはお二人で住んでいるんですか?」
 彼女の世界の基準では、良ぐらいの年になると自立する者も珍しくは無いが、このような一軒家を持つものは稀である。一山当てた冒険者ぐらいのものだろう。
「……今はそうだな」 
 渋面のまま、良がそう答えた。
「やっぱりお父様も魔王で?」
 質問を重ねると、その渋面が濃くなり、汁でも出そうな表情になる。
「極悪な人間ではあるな。自分の下半身さえ支配できないが」
「へぇ……」
 やは良く意味がわからない。舞が言っていた翻訳ミスとやらの所為かもしれないが、良の横を見ると彼女も浮かない顔をしているので、アンはそれ以上の追求をやめた。
「そんなことより」
 良がため息を吐くと、あからさまに話を変えようとする。
「なんでしょう?」
 やはりあまり触れないほうが良い話題のようだ。そう考え、アンは彼の話に乗ることにした。
「お前、シャワーを浴びて来い」
「え!?」
「えぇ!?」
 良の言葉に、女性二人が揃って声を上げる。
「お兄ちゃん! 召使いなんていって目的はやっぱり……」
「ば、違っ! そんな意味じゃねぇ!」
 兄妹が目の前で騒ぎ出す。子竜がうるさそうにそっぽを向いた。
「その、目が腫れてるから……」
「あぁ……」
「あ、あれ!?」
 良がボソリと漏らすと、舞がアンの顔を見、頷く。
 その言葉に、アンは慌てて目元を拭った。
 どうしよう、きっとここに来る前ずっと泣いていた所為だ。
 そんな顔でさっきまでずっと話していただなんて。恥ずかしくなり、ぐしぐしとこするが、それで直るはずもない。
「べ、別にそんなに目立つ訳じゃない。それにさっきも散々暴れたからな。……風呂の使い方は分かるか?」
「え、シャワーって、お風呂なんですか?」
「お前らの世界にはシャワーも無いのか」
「え、あ、はい。お風呂も普通はお金持ちの家か公衆浴場しかありません」
「……お前はしばらく独りにできそうにないな」
 シャワーを知らないなら、さっき驚いていたのは何なのだ。愚痴ってから、良は妹の頭をぽんと叩いた。
「舞、入れてやれ」
「……はーい」
 妙な間があって、舞が返事と共に立ち上がる。
 何だろうと気になりはしたが、それよりもアンには意外な事があった。
「親切なんですね、良さんって」
 初対面の時はずっと怒っている怖い魔王だと思っていたが、あんな事をした彼女をひどい目にあわせる気もないようだし、涙の痕に気づいてお風呂まで勧めてくれる。
 この人は本当は、良い人なんじゃないかしら。などと考え、アンが彼に礼を言うと。
「お、俺は、親切なんかじゃない!」
 ――急に、良が立ち上がり叫んだ。子竜が慌ててテーブルの上に着地する。
 先程から怒ってばかりの良だったが、何か様子が違う。
 拳を握った彼の表情は、怒りと言うより後悔、もしくは自己嫌悪のようなものに溢れている。
 何か悪い事を言ったかしら。彼の豹変具合にアンは困惑した。
 良の方も言ってからハッとした様子で。
「その、召使いが汚れていると、俺の教育が問われるだろう」
 と付け足した。
 こちら側に回ってきた舞が、良の様子を痛ましそうに見てから、アンに微笑む。
「お兄ちゃんは仮免気味にも魔王なんだから、親切なんて言っちゃダメだよ。こう言ってあげなきゃ」
 そうして、彼女はアンにごにょごにょと耳打ちをした。
 その内容を聞き、よくは分からないまま頷き、アンはその言葉を口にする。
「安いツンデレですね、良さんって」
「誰が安いツンデレかーー!!」
 また怒られた。しかしその怒声に、先程のような内側に向けられたものは無い。
「ええい、良いから早く風呂に入ってこんか!」
 それを確認したアンは、手を引く舞に連れられ、風呂場へと向かった。

 脱衣所だと告げられた場所で、アンはおずおずと服を脱いでいく。
 ずっと風呂と言えば公衆浴場であった彼女なので、同性に裸を見られる事など慣れたものだと思っていたのだが、まったく知らない人間でもない。かと言ってそれほど親しいとも言えない人間と個室に入るとなると、やはり緊張した。
 そう、この世界の風呂は個室なのだ。体を洗う場所と浴槽。それぞれが人間二人分ほどのスペースしかない。
「アンさーん?」
 一方で舞は体を隠す様子も無く、手に持ったホースから、ジョウロのように細かく分かれた水を出している。
「え、いえ、その……ちょっと待ってくださいね」
 言って、彼女は背中を向け、自らのスリップの胸元に指をかけ、その下の体に目をやる。
 彼女が躊躇する理由は、もう一つあった。
「大丈夫だって、私よりは大きいから」
「舞さんって、おいくつなんですか?」
「六十六」
「え、舞さんってもしかしてお婆ちゃんなんですか!?」
 思わず振り返り、この世界の人間は老けないのか。敬語を使っていて良かった。などとアンがビックリしたり安心したりしていると、舞が違う違うと手を振った。
「あぁ、年ね。年はねー、十一歳だよ」
 それから、彼女はそう答え直す。
 この世界と、自分のいた世界で年の数え方って一緒なのかしら。
 一瞬疑問に思ったアンだが、舞を見る限り十一歳と言われて違和感が無い。
 魔法の翻訳のおかげなのかもしれない。結論は出そうにないのでアンは疑問を脇に置いた。先にでた数字についてもだ。
「十一歳なら、これから大きくなるじゃないですか……」
「アンさんはいくつなの?」
「十六です」
「あ、じゃぁお兄ちゃんと一緒だね。それならこれからもっと大きくなるよ」
「でも、私はその……」
「ほら、早く入ろ。風邪引いちゃうよ」
「は、はい」
 言いかけたアンだが、舞に急かされ、躊躇いながらもついにスリップとドロワーズを脱ぎ捨てた。
 結んでいた髪を解き、そろそろと風呂場に入る。
「すべるから気をつけてねー」
「ど、どうも」
「で、これに座って」
「わかりました」
「お客さん、こういうお店は初めて?」
「はい?」
「ごめん、何でもないの。お兄ちゃんにやったら下品だって怒られたし」
 勧められるままに不思議な材質の椅子に座ると、舞が不可解なことを言い出した。
 アンが聞き返すと、通じなかったのが不満らしく舞は口を尖らせる。
 この世界の定型句か何かだろうか。彼女にはやはりよく分からない。
「お兄さんともこうやって入るんですか?」
「うん、そうだよー。あ、シャワー当てるから冷たかったりしたら言ってね」
 返事をしながら、舞がそのスコールのような水をアンの背中に当てていく。
 ……温かい。お湯である。これがシャワーだったのか。
 彼女達の話では、この世界には魔法が無いらしい。だが、これが魔法でないなら何なのだろう。そう、アンは考えた。
「どうしたの、アンさん」
 返事をしないアンを訝しがって、舞が尋ねる。
「いえ、この世界って不思議だなーと思って」
「そうかなー? そっちの世界のほうがずっと不思議だと思うけど」
「良さんもそう言ってましたね。だからこちらの世界に来ようと思ったんですか?」
「んー、私はそういう訳でもないんだけどねー。あ、目をつぶったほうがいいよ」
 言われた通りにすると、髪にシャワーが当たる。
「アンさんって、髪キレイだよねー。あ、全然引っかからないや」
 言いながら、舞がアンの髪の梳いていく。
「あ、舞さん?」
「髪、洗ってあげるね。シャンプーが目に染みるから開けちゃダメだよ」
 舞はしばらくシャワーと共に指でアンの髪の汚れを落としていく。それから彼女はアンの髪にペタペタと何かを塗り、頭皮を指で揉むようにして広げていった。
 アンは他人に髪を触れられる事に多少の抵抗がある性質なのだが、彼女に触られ、なおかつ謎の液体を塗られてもあまり不快ではない。
「うっふっふ、私もマッサージは自信があるんだ。お兄ちゃんには全然かなわないけど」
 しかし何故だろう。指自体は心地よいのだが、彼女の笑いからは不穏なものを感じる。
「私の髪、いつもお兄ちゃんに洗ってもらってるんだよ。お兄ちゃんの指はねー。凄いんの。気持ち良くて、いっつもぼうっとしてるうちに終わっちゃうんだ……。でも、私の髪には終わった後もぼんやりと感触が残ってて、それが時間が経つと引いていっちゃうんだけど、アルデンテのパスタみたいに、髪一本一本の芯に熱さが燻っててね。クセになっちゃうの」
 シャンプーとやらは、どうやら泡のようだ。それのおかげで上手く喋ることができない。
 それができたとして、彼女のトークに口を挟めたかは分からないが。
「会ったばっかりのアンさんに言うのもどうかと思うんだけど。私ね、今迷ってるの。何に迷ってるのかっていうと、大人になるか子供のままでいるか。子供のままでいたほうがお兄ちゃんにはいっぱい撫でてもらえると思うんだけど、子供のままじゃお兄ちゃんはきっと離れて行っちゃうし、きっと大人になったらもっと気持ち良いことが待ってると思うんだよね」
 彼女の話を聞きながら、アンは何となく理解していた。
 ドラゴン、あのプライドと知能の高い種族を一瞬で陥落させる指。それを十一年間受け続ける事の意味を。
 シャワーが再びかけられ、シャンプーが洗い流されていく。
 前髪を顔に貼り付けたまま、アンは動くことが出来ない。
 恐る恐る、ようやく目を開けると、鏡に映った舞がニッコリと笑っていた。
「はい。今の全部ジョーダンね」
「はい!?」
「ごめんね、異世界の人には分かりにくかったよねー」
「じょ、冗談……」
 言いながら、今度はタオルに石鹸をこすり付け始める舞。
 アンの頭は混乱したままで、彼女の言葉についていけていない。
 冗談だったのか。こちらの笑いのツボは本格的に自分達のものとは違うらしい。
 アンが自分でも成分のよく分からない深い息を吐いていると。
「お兄ちゃん。体のほうは洗ってくれなくなっちゃったんだよねー。だからアンさんで憂さ晴らしさせてね」
 鏡に映った舞が、タオルを持っていないほうの指をワキワキと動かしていた。
「そ、それも冗談ですよね」
「うふふふふ?」
「イヤーーー!!」
 アンの悲鳴が風呂場に響く。
 その日、その場所で、アンは魔王より恐ろしい人物を見たのだった。

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