魔王の家の村娘A

15話 VSその日 


 アン=ノンマルトンがこの世界に来て三週間が過ぎた。
 部屋の掃除も慣れた物で、一階の掃除を手早く済ませた彼女は、二階の掃除に精を出していた。
 そこも今は一通りは終わっており、残すは普段掃除を断られている良の部屋と、そして和室を残すのみだ。
 良も部屋の掃除ぐらい任せてくれれば良いのに、やはり物を壊されるとでも思っているのだろうか。
 舞は思春期の男の子がどうこう言って、良に怒られていたが。
 それと、掃除をさせてもらえない部屋はもう一つあった。
 一階の、階段の脇の部屋だ。
 それの正体も、流石に三週間も一緒に暮らしているとアンにも察する事ができた。
 多分あれは、彼らの両親の部屋だ。
 アンは良達の両親に一度も会ったことが無い。
 彼らの口ぶりからして健在ではあると思うのだが、それに触れるのは二人の間でタブーなようで、舞すらそういう話題になりそうになると露骨に話を逸らそうとする。
 まぁ、話したくないのなら仕方が無いだろう。そう考え直し、アンは和室の戸を開けた。
「わぁ、いつ見てもすごい……」
 いくら掃除をしても、あの日の傷跡は消せはしない。
 壁と床(畳と言うらしい)には大穴と焦げ痕が生々しく残っている。
 そして扉を挟んで部屋の反対側、窓側の隅にあるのはコタツというらしい。
 冬に入ると二度と抜け出せないほどの、舞曰くお兄ちゃんの指の次に気持ちの良い物らしいのだが、多分アンには味わう事ができないだろう。
 少々センチメンタルな気分になりながら、アンはコタツをめくり上げる。
 すると勢いよく持ち上げすぎたのか、天板が動いた。
 慌てて抑えるアン。すると。
 カタッ。と音が鳴って、天板と掛け布団の間から何かが落ちた。
「あれ、これは……」
 拾い上げてみると、アンはそれが見覚えのある物体である事に気づく。
 良がこの間弄っていた、癒樹の印章だった。
 何故こんな物がこんな場所に。
 考えて、彼女は思い至った。
 そうか、これは前回の召喚で使ったものだ。既にニスも塗ってあるし、印も完成しているように見える。
 良はこれを再利用できる事を知らず、また、あの日のどさくさで無くしてしまっていたのだろう。
 これがあれば、もう一度儀式を行う事ができる。
 そう考えた直後、アンはなんだか胸が痛くなった。
 先程、冬には自分がこの家にいないのだと想像した時より、ずっと痛かった。
 アンは印章を胸の前でグッと握る。
 ……とにかくこれは良の物だ。彼に渡そう。
 そう決めたアンは、掃除機をその場に置くと、部屋を出た。
 そしてゆっくりと階段を降りていく。すると、良の話し声が聞こえた。
 舞は出かけているはずだし、一体誰とだろう。
「だから、彼女はそんなのじゃない!」
 突然の大声に、ビクリと体が震えた。
 どうやら良は、誰かと言い争っているらしい。アンの足が止まる。
「事情は話せない。その、遠くから来た女の子で」
 相手方の声が聞こえない。電話というものだろうか。彼が何度か使っている所を見たことがある。
 良が話しているのは、どうやらアンについてのようである。
 だとしたら、彼が話しているのは……。
「母さん。だから後一ヶ月で良いんだ。彼女をここで生活させてくれないか?」
 良さんの、お母さん……。彼女は、自分がこの家に居候をしている事を知らないんだ。
 そして、良さんはお母さんに自分をもう少し家に、引いてはこの世界に置いてもらえるように頼んでいる。
 でも、一ヶ月? 元々の予定でも、自分がこの世界にいられるのはあと一週間程だったはずだ。
 アンの脳裏に、一週間程前、良と二人きりになった時のやり取りが蘇った。
 彼は……もしかして自分がこの間漏らした、この世界にもう少し居たいと言う願いを叶えようとしてくれているのか。
「舞だって、彼女の事は気に入ってるし。その、悪い子じゃないんだ。ドジだし、世間知らずだし、無鉄砲だけど、悪い子じゃない」
 良が、自分を庇っていた。いつも、一般人だとバカにしていた自分を。
 嬉しい。という気持ちも嘘ではない。
しかしそれ以上に、アンは彼のいつもとは違う口調、声のトーンに何か居心地の悪さを感じ始めていた。
「もう良い! それならこっちにも考えがある! じゃぁな!」
 やがて、話が平行線に陥ったのか。良がそう叫んだ。
 ガシャンと音がして、荒い足音がこちらに向かってくる。
 逃げよう! そう決めた時には既に良が目の前に来ていた。
「あ……」
 自分のドン臭さを呪いながら、アンは良と対峙する。
 彼の顔にはいつもの不遜さが無く、それどころか、ばったり出会ったアンにすまなそうな表情すらしていた。
 それを見た途端、アンの視界が歪む。
「あの、私……ごめんなさい!」
「おい!?」
 気が付けば、アンは階段を駆け上がり自らの部屋に駆け込んでいた。
 後ろ手でドアを閉め、動悸のする胸を押さえる。
「うっう……」
 しかし、動悸が納まると共に、自分でも正体の分からない涙が、ぽろぽろと目から零れ落ちてきた。
 良が部屋の前まで追いかけてくる音がする。
 彼はしばらく扉の前に立っていたが、何も言わず、やがて階下へと降りていく。
 アンはベッドに飛び込むと、うつ伏せのまま涙を枕に吸わせ続けたのであった。

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