“彼女”が校舎裏に到着したのは、九時五十五分。
 校舎裏はランニングコースの林となっており、鉄門扉の裏門に通じている。
 裏門は取っ手に足をかけるコツさえ知っていれば、簡単に乗り越える事が出来た。 
 そして彼女が林の中を慎重に進むと、その場所には既に先客がいた。
 彼女はその男に気づかれないように、林の陰に隠れる。
 制服を着込み、季節はずれのマフラーを巻き、落ちつかなげに、それを口元に上げたり、熱そうに首元に手を入れたりしている。
 立島大輔。 それが男の名前であった。 月明かりに、その物憂げな表情が照らされている。
 どうしようか。彼女が次の動きを考えていると。
「ぷっ」
 先程まで、ともすれば怯えた様子だった立島大輔が、急に吹き出した。
 この状況にあって、何故。
「くく、く、ははは、あはははは」
 彼女が混乱している間にも、彼は笑っている。
 そして、笑いは大きくなってゆく。
 パリ、パリパリ。
 同時に、どこからか玉ねぎの皮を破るような音が聞こえてきた。
 とても小さな音なのに、それは彼女の耳に深く深く入り込んでくる。
「あはは!ハハッ、ハハハハ! ヒャーアッハッハッハ!」
 笑い声はどんどん大きくなっていき、夜の空気を震わせる。
 バリッ! と、一際大きい音が響いた。
 同時に、彼の口もより大きく開いた。
 ――人が開いてはいけないところまで。
 大口を開けた彼の口の端が、耳まで届いている。
 本来あった唇の端のラインは、まるで彼の面の皮が紙でできていたかのように破れ、めくれ上がっている。
 そして、顎のラインなど知った事かと奥歯の奥まで並ぶ歯。
 「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――」
 彼の変化は、それで終わらなかった。
「アハハハハ! ヒャッ、アハハハハ!ギャハハハハハハハハハ!」
 立島大輔の頭が破裂した。 かと思ったが、違う。
 彼は口を更に大きく開けたのだ。
 例えば、唇に沿って人間の顔に鋸を入れればこうなるか。
 その口は耳まで、いや、その下を通り首まで裂けている。
 顎に続いて頚動脈がその存在を無くし、蝶番は首の後ろ。
 彼が笑い声を上げる度、まるで宝箱のように後ろに倒れそうになりながら、パタンパタンと開閉する。
 そこから覗く歯は大根のように白く大きく、氷柱のように鋭利。
 それに合わせて頭自体の大きさが三倍ほどに肥大化し、あるいは頭に箱を被っているようにも見える。
 しかしその頭には、ゴムのように伸びきった、少女にも見えたはずの立島大輔の顔が歪んで張り付いていた。
 比率もめちゃめちゃ。まるででたらめ。こどものらくがき。
 生き物であるかすら判別がつかない怪物に、彼は一瞬で変わってしまった。
 いや、違う。
 人の皮を被っていたモノが、今まさにその皮を脱ぎ捨て、正体を表したのだ。
 あれは、化け物だ。
「ひゃは、ひゃ、ひゃは…」
 笑いが、収まっていく。
 がくんがくんと揺れながら、その視線が下へと戻っていく。
「ひゃはぁ、あ?」
 目が、あった。
 食われる。
 本能でそう察し、彼女は悲鳴を上げて逃げ出した。


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