大地のほとんどが枯れぬ森に覆われた世界、ノミネリア。
森は魔王の力で作られ、その中には凶悪な魔物達が彷徨っている。
森と森の間にある狭い境界に押し込まれた人間は、何代にも渡り、魔王を討伐せんと戦士を送り込んできた。
魔王が死ねば森も魔物も消え去るが、時が経てば彼らは何度でも蘇った。
月と太陽の巡りのように繰り返すこの世界には、人間と魔物とドラゴンと、そしてたぬきが住んでいる。
『第一章 ドラゴンとたぬき』
「旦那。勘弁してもらえませんでしょうか。我も充分反省しております」
逆さ吊りのまま、頭の下には煮立った鍋という状況で、我は目の前の男に懇願した。
「うるさいクソたぬき。熱湯と俺の胃袋の中でたっぷり反省しろ。つうかたぬきの分際で何が我だ偉そうに」
だが、こんなにもかわいらしい我が頼んでいるというのに、我の尻尾を掴んでぶらさげている目の前の人間は、断固として我を食うつもりのようだ。おまけに我の一人称にまで文句をつける。
大陸の端っこにある片田舎。うっそうと茂る森の中に唐突に存在するひらけた場所。通称小ハゲ広場において、我は男に対して再度説得を試みた。
「反省というものは後に活かしてこそですよ旦那。肛門から出た後では大地の栄養にしかなれません」
「お前が世の中の役に立てるのなんざ、肥料になるぐらいのもんだ。人を散々おどかしやがって」
「あの表情はケッサクでしたな」
この世の終わりのような男の顔を思い出し、我は本能的な幸せに顔を歪ませる。
「……シメてから鍋に放り込んでやろうと思ったが、直接熱湯で溺れ死なせることにした」
すると男は反対に表情を消し、我の処刑方法をより一層残酷な方向へと推移させた。どちらにしろ食うという結論は変わらないらしい。
男はため息を吐くと、悲しげに首を振った。
「まったく、この森にドラゴンがいるって聞いてきたのに、何でこんな事に」
「いたではないですか、ドラゴン」
「アレはおめーが化けた奴だろ!」
我が前足で自らのことを指し示すと、男は大声を張り上げ、我の顔に唾を飛ばした。
つまりまぁ、こんな状況になったのは、ドラゴンの噂を聞きつけてノコノコやってきたこの男を、我が二十メートル(単位は人間のものを拝借している)を越えるドラゴンに変身して脅かした。というところに端を発する。
男が悲鳴を上げ、腰を抜かし、命乞いをしたまでは素晴らしい流れだったが、急な突風が我の頭の上に置いてある葉っぱを吹き飛ばしたところで流れは変わった。
変身が解けた我は、哀れ男の魔の手に落ちてしまったのだ。
「しかしお兄さん、ここに住んでいるドラゴンが我でラッキーでしたよ」
「まだ言い張るか。ていうか何で呼び方変えた」
「他のドラゴンは強大で誇り高く、あと怒った顔が怖いです。お兄ちゃんの装備では傷一つつけられません」
「……さては気安く呼んで俺に愛着を持たせようって腹だな。ふん、ドラゴンなんて所詮羽の生えたトカゲだろう。 誰が怖がるもんか」
「あっと兄様、そういうワイバーンみたいな亜竜と本物のドラゴンを混同するような発言はうちの妹が……」
言いかけたところで、我は言葉を止めた。
空がふっと暗くなったからである。
「妹だぁ? さりげなく家族がいることをアピールして恩赦を期待しようなんて狡い野郎だ。やっぱり今すぐ鍋に……ん?」
少し遅れて、男もそれに気づいたらしい。
「うおおお!?」
顔を上げ、彼は驚きの声を上げた。
太陽を背にし、上空から金色の鱗を持つドラゴンがゆっくりと降りてきたのだ。
体長は三メートルほどだが、その威風堂々とした姿は、我々を圧倒するには十分な圧力を放っている。
「ア、アグノ!」
我が裏がえった声でドラゴンに呼びかけると、男は我らを見比べてから立ち上がった。
「な、なんだお前もたぬきか! 二度も同じ手を使いやがって!」
憤慨した男が、我をぶら下げたままもう片方の手で剣を抜いた。
「アグノ、ダメだ!」
男は剣の腹を正面に向けると、大上段でドラゴンを撲殺せんとする。
それに対してドラゴンは、すぅっと息を吸い込んだ。
ボゥッ!
「ギャーーー!」
我が悲鳴を上げるのと、ドラゴンが口から炎を吐いたのは同時であった。
それは男の剣を容易に溶かし、彼の頭をかすめ、その後ろの鍋へ直撃し、火柱をあげた。
――しばしの沈黙の後、男が自らの剣を確かめ、円形の焼け野原が形作られた頭を確認し、背後を向いた。
そこにはもはや鍋の痕跡などなく、地面には熱でできた窪みができている。引火した草たちが、ちりちりと音を立て燃えていた。
「ほ、本物の……」
男は最後に我の顔を見た。我はぶらさげられたままの姿勢で、深く頷く。
「本物のドラゴンだあぁぁ!」
叫ぶと、男は我を放り出し一目散に逃げ出した。
恥も外聞も投げ捨てたそのスライドは、ある種美しくもある。
それを見送りながら、空中で一回転、二回転。我は地面へと華麗に着地した。
両手を挙げ、十点満点。胸を張った我だが、ドラゴン……アグノが睥睨している事に気づき、びくりと体をすくませる。
「ア、アグノ。我は首が疲れているので、もーう少し見上げやすくはしてくれないか?」
別に彼女に威圧されたわけでは、うん、決して無いが、我はアグノに控えめに提案した。
あくまで長時間逆さづりにされていた弊害である。
すると彼女の体が淡い光を放ちながら、するすると縮んでいくではないか。
さらに羽が縮み尻尾が縮み髪が生え、光が収まると我の目の前には、十三、四歳の少女が立っていた。
我のような術による変身ではない。竜が十歳毎に会得する、固有の形態変化である。
これは本人が細かい容姿を決められるモノではない。
だが、アグノの場合は抜けるような白い肌と、竜の時と同じように輝く金色の髪を持った中々の美少女の姿に変化していた。
服もちゃんと着ている、というのは貴兄らには残念なお知らせだろうか。
「何をしておるのじゃ」
とはいえ、縮んだとはいえ、少女の姿になったとはいえ、やはりドラゴンの威圧感は健在である。
ただしその古めかしい言葉遣いには効果がない。舌足らずであるし。
「いや、本能がうずいて、ちょっと人間をからかってやろうかと」
冷たく我を見下ろす彼女にたじろぎながら、我がしどろもどろに答えると、アグノはぐいと上半身を倒し、更に強く我を睨んだ。
「無様じゃ」
胸を貫く一言である。その心無い言葉に押され、我は前足で胸を押さえ一歩二歩と後退した。
そんな我の様子に、アグノは眉根を寄せ、口をへの字の曲げ、不快そうな顔をする。
「そなたのような兄など、わらわは認めんからな!」
そして叫んだアグノの体が光り、再び巨大なドラゴンへと変化した。
そうして彼女は、翼を大地に叩きつけるように動かし一瞬で空へと舞い上がった。その風圧に、我の体はころりんと一回転する。
しかし事実なのだ、妹よ。
すごい速度で飛び去っていくアグノを腹ばいで眺めながら、我は心の内で呟いた。
我の名は、ポン太郎・ザ・ドラゴン。
最強の竜、ヴォルガー・ザ・ドラゴンと、普通のたぬきとの間に生まれた、おそらく世界でただ一匹の、竜とたぬきのハーフである。